死を美化する思想はくだらない 自殺した小説家の本は読むな

それは死にたくなさを誤魔化す方便にみえる。

太宰や芥川など読むな。夏目もいけない。
直接的死因にかかわらず死に取り憑かれている者の文章は死を誘引する為読んではならない。
ウェルテル効果というものもある。
「有名だから」「教養だから」「名作だから」
くそくらえである。
自殺した文豪やうつ病らしき者の文章を読んではならない。
百害あって一理なし、人生に益しない、邪魔でしかない猛毒だ。
暗い小説は全て避けよ。喜劇のみ摂取するが良い。頭良くなろうとなんてするな。自殺はダサいしキモい。生きる必要はないが死ぬ必要もない。あの世はない。あの世があると思って死ぬならお笑いだ。来世と言い残して電車に轢かれるなど噴飯物である。自傷や自罰が度胸なものか。特攻や割腹が忠誠や男らしさ潔さであった時代ではないのに誰にそのような教育を施されたのだ?恥が多くて結構。恥のない人間などおらぬ。失敗せず成功の道は見つけられない。そんな例を聞くならばまんまと騙されている。ライバルは少ない方がいいのだから。他人が死のうが皆どうでもよいのだ。自分さえ金が稼げればそれでよいのだ。みんな金が欲しいのだ。そしてそれ以外何も要らないのだ。

生きるのに必要なのは金のみである。
綺麗事の全ては欺瞞であり我こそが正しいと叫ぶあたたかき人間どもは自己の冷酷薄情に気づいていないか隠せていると信じている無知無恥の大莫迦者に相違あるまい。
わたしとてあなたがどうなろうが本来感知しようもなくする気もなくしたところで心が動くか疑問だ。
反吐が出る様な嘘ばかりが世の中を回している。全ては不完全で、まるでバブル経済のよう。
架空の価値虚飾に対して身の程知らずな散財が行われることが正当とされている。
騙したものがちである。
合法に騙し金を得れば良いのだ。
何故金の話をしているか。

死にたいと宣う何人が大金を前に死を選択するのかという命題を私は持っているから。
その現象ができない私は結論ありきでものを語らざるを得ない。
つまり大金があれば自殺など殆どの者はしないであろうとそういうことだ。

別に自殺したければすればいい。
無責任に止めるつもりもない。
斯く言うわたしが過去に自殺念慮を抱いていたのだから、全く理解できないというタチではないから。
今となっては死後信仰がないので自死を選ぼうとなど考えないが、そうであっても消えてしまいたくなる日は枚挙に暇がない。
世の中には苦痛ばかりがありそう感じていない人は総じて恵まれている。
金がなくとも家族が素晴らしいなり出会いが素晴らしいなりなんらか救いはあったのだろう。

全ての人生は異なっており元来比較する事は不可能である。
それは単位がちがうものを比較するようなものだ。
1光年と一億年を比べる様なものだ。
1mと1kgを比べる様なもの。
スケール、尺の種類が異なるのだ。
キャストできない型違いなのだ。
それだのに。
自分の単位しか持ち合わせていない筈なのに。
恵まれた人間ほどそのことに気づけない様だ。
だから簡単に、自分の人生という尺を使って他人に説教をふっかける。
私に説教をしたいなら幼少期に同棲にフェラチオを強制されてから言え。
死にたいという人間に死ぬなと言うなら同じ苦しみ味わえ。
不可能だろう?
だから説教などするな。

死を美化するなというのは他人に向けての説教ではない。
私の一つの教訓の覚え書きでしかない。
他人が勝手にこれを見に来て説教と感じられても困る。
読むと言う行為は受動的と言い切れるものではない。
副流煙や騒音とは異なる。
自発的な行為であるとわたしは考える。
もちろんあなたがそうである必要はないし期待しない。
わたしはわたしの中の事実としてあなたがこの記事を
1.開き
2.読み進めた
二つの積極的行動を提示する。

わたしは惹かれることを狙ったタイトルをつけたわけではない、単にこの記事の一番言いたい事を一文に込めた場合の一つの案があのタイトルであったというだけだ。
別の案を出すなら「自殺した小説家の本は読むな」だろうか。
うむ、これは副題にしておこう。
その方が内容をより言い表している。
若い女風に言って「地雷」であるならば開かなければいい、読み進めなければいいだけだ。

知っている。
君たちが無闇矢鱈に死に無思慮に憧れる事を知っている。
登場人物が死ぬストーリーでなきゃ感動できない病気らしいことも知っている。
今も中東やアフリカやこの国でさえ誰かが殺されたり飢えて死んでいっていることを説くのは高尚で空気が読めないお察しな話題と取り扱う人間が多数派であろうというのが今まで会ってきた人間を統計した結果つまり経験則だ。
核も地震も他人事。
病死も事故死も他人事。
自殺だけは身近。
是非は問わない。
めんどくさい。

ただやはり、
死を美化することはくだらない。
特に、フィクションを引用して死や生を語る事はまっこと莫迦げた試みである。
誰かの作品や偉人の名言という権威性によって説得力を得ようとするのは無思慮で下品なことだ。
おそらく私もそのような事をしていた事もあっただろう。
全く以って汚らわしい。
唾棄すべき思考停止だ。

きっとあなたには一割も伝わってないのだろう。
いつもそうだ。
みな頭がいいはずなのに私の想定を遥かに超える浅い理解でコメントしている。
それが当人にとっては正しい又は真なのだろう。
これがわたしにとっては正しく真である様に。

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