見出し画像

ごみのことばかり考えている

最近、ごみのことばかり考えている。

うちの町会班のごみ当番は1か月交代。私は5月いっぱい当番だった。やりたくない、やれないという人もいるらしいが、私は嬉々として引き受けている。この町に越してきた30数年前、賃貸住宅に暮らす人間は町会になんて入れなかったし、ごみ当番も当然なかった。要は「お客さん」扱いだったのである。ようやく「お客さん」扱いじゃなく、住民になった! ごみ当番? 当然やりますよ! そんな気分である。

(もちろんこんな閉鎖的な地域でも、賃貸の住人を参加させないと回らないくらい、持ち家住民の高齢化がすさまじいということを忘れてはならない)

ごみ当番は素敵な仕事

ごみ当番が何をするかというと、うちの場合
1、ごみをカラスに荒らされないようにかけるネットを準備
2、その日に回収される種類のごみ袋を整頓し、ネットで覆う
3、その日に回収されない種類のごみをいったん隔離
4、分別できてないごみ袋を開いて、可能なかぎり分別し、2または3へ
5、回収後にごみ置き場を掃除
こんな感じだろうか。

うちの班は班長が大らかなタイプの人だからやれているという自覚はある。前の日の夜からネットを準備しているし、間違って出されたごみもさっといったん撤去して、いちいち「違反です」シール貼って晒すor持ち主を探すなんて無駄なこともせず、当番でなくても気になる人が心を配って、こまめに掃除したりして、いい感じで管理されている。私が一日くらい忘れてすっぽかしたって、「大丈夫よー」と言ってくれる。

当番を引き受けるようになってよかったことは主に3つ。
1、自分のうちのごみ出しを忘れなくなった
2、ごみの分別、調べたりして、ちょっとずつ詳しくなった
3、ちゃんとごみ出しができない人がけっこういる現実を思い知った

ここ1年で認知症が激しく進んだ家族をもつ者として強く主張したい。
「学校にも会社にも行ってないのに、曜日を覚えているほうが奇跡」
そして、ここひと月以上、ココシバから荷物を撤収して、自室に受け入れ、ごみ屋敷片づけ業者のYouTubeをBGM?に、片づけをしつづけてた者としてやはり強く主張したい。
「ごみ出しってかなり難しい。ごみ出しできるだけですごい」

散らばった使用済みナプキン

昨日、朝7時頃から金属のガチャガチャ音が街に響き渡っていた。日曜日だったので当然ごみの回収はない。あわてて飛び出してみたら、カラスがごみ置き場の2つだけ置かれたごみ袋を突きまわしていた。周囲を覆う簡易な金属の柵がカラスの足と嘴で突かれ、悲鳴を上げていたのだ。

一つの袋は完全に崩壊し、ごみは半径3メートルほどに無残にも散乱していた。スナック菓子の袋、パック惣菜の空き容器、混ぜちゃいけないはずのペットボトル、それから使用済み生理用ナプキンが「二日目でも安心」から「軽い日用」まで。持ってきた45リットル用ごみ袋に拾っては詰め、拾っては詰め、せつない気持ちになる。なぜか生ごみの詰め込まれたもう一つの袋(コバエが中で大量発生してた)は突かれただけで無事。たいした量もない袋2つ分のごみは、45リットル袋1枚に簡単にまとまった。

私の灰色の脳細胞が動きはじめ、プロファイリングがスタートする。女性、20~40代、単身、事務員、身なりに頓着しない、食に関心ない、趣味はとくにない。わかることはこれくらい。さらにせつなくなる。

せつなさを減らそうと、ココシバに寄ってこの出来事をしゃべった。そこにいたお客さんが言う。「外国人かな」。そう、ごみといえば外国人、外国人問題といえばごみ問題。「外国人には日本のルールを守るのが難しい」―それは実際そうだろうから、そう思ってしまうのはある意味、必然だ。でも、もうひとつの事実をみんな見ないようにしている。「日本人にも日本のルールを守るのは難しい」。

プロファイリングであえて外した一項目がある。「日本人、もしくは他文化にまったくつながりのない人」、これがあのごみの出し主の一特性である。

この地域には外国人住民が多い。川口市の統計によると令和6年1月1日現在、芝地区約8万人のうち、1割以上が外国籍だ。ハラルフードショップや中国食材店も多い。一般のスーパーマーケットにもエスニック食材は普通に置かれている。ごみ当番をしていて、カラスに食い荒らされて散らばったごみの中に見慣れない調味料があるのは珍しいことではない。しかしかのごみ袋にそれらは影も形もなかった。

間違えずにごみを出せる人、ほぼいない説

違う時間帯に出す、違う場所に出す、違うものを出す、違う分け方で出す。だいたいこのどれかが理由となって「ごみ問題」は発生する。ごみのルールはどんどん細かく=厳しくなっている。そのくせひどくあいまいである。うちのごみ置き場は「夜、出しちゃってもいいよー」という不文律があるが、「6時半~8時に出さなきゃダメ」という場所もある。タッパーはプラごみか普通ごみか、段ボールと紙ごみは別に梱包するのか、銀紙の場合は? アルミ缶と鉄の缶の区別等々、周囲に訊いてみたが、自信をもって回答する人は正直あまりいない。間違えることを怖れて出さなければごみ屋敷の発生だ。

「ちょっとくらい間違ってもなんとかなるでしょ」という鈍感力と、その時間にごみ置き場を見に行って、「これ、今日出せるっぽいわ」と感じる空気読み力、それから同じごみ置き場を使ってる人に「いまさら聞くの恥ずかしいんだけど…」と相談できるコミュ力、行政のウェブサイトをチェックして目の前の難物を「第3水曜日に捨てられる」と理解し、忘れず当日遂行する処理能力、現代日本のごみ出しには、かくも多種多様な能力が求められるようになってしまった。

ごみが散らかっている街で暮らすのはいやだ。間違った時間に出されるのはいやだし、通りすがりの人が捨てていくのもいや。あきらかにビン缶と生ごみが混ざっていて、これは持ってってもらえないだろうなと考えさせられるのもいや。でも、どれもちょっとした間違いや勘違い、手抜きから来ているにすぎない。ほんとうにあげつらって責め立てるほどのものなのか? この複雑怪奇なルールを完璧に理解できている人はいるのか? どうしたらもう少し多くの人がごみ出しに悩まずにいられるのか? 

地域のいざこざ、外国人ヘイトを生み出しながら、カラスは平然と次の餌場へと移っていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?