気がつくのに15年。
大学卒業後の5年間ほど、2社の企業で勤めた経験がある。
1社は専門商社で、買い手と売り手が円滑にいくように営業したり手配する業務内容だったと思う。
最近、フィジカルトレとケアを見ているファイターと、栄養アドバイザーの人の間を取り持つ機会があった。
今回は今までの情報や知識を持つ自分が間に入ることで、スムーズな流れになったように思う。
15年ほど前の話に戻るが、私がその商社に勤めていた時の上司が、右から左に流してるだけじゃうちらのいる意味がない、と言っていたのをよく覚えている。
15年近くも経ってしまったが、全く別の職業の今、その言葉の深い本質まで今回よく理解できたんじゃないかと思う。
一見単純で分かりそうなことの向こう側を理解し、実際に行うことは、思った以上に様々な経験やスキルが必要なのだと感じる。
様々な経験やスキルとは、たくさん机に向かって勉強するだけではなく、いろんな本や映画を見たり、いろんな場所へ遊びに行ったり、飲み屋で隣の人と仲良くなって話したり…、そんな経験やスキルも必要なのだろう。
それらが頭や体験の中で絡み合って化学反応を起こして新しい気づきやアイデアを生むのだと思う。
最近の私が目にするSNSには、真面目一辺倒な言葉が多い印象がある。真面目一辺倒ということは、揺るがない正論とも言えるだろうから強くて強固なのだろう。
もちろん真面目一辺倒な意見はとても大切なことで、それがあるから治安や常識が保たれる。
スポーツでいえば、サッカーでボールを抱えてトライしてはいけないし、ボクシングでハンマーを使って殴ってはいけないことを知る。
しかし、ラグビーの動きがサッカーに使えるかもしれないし、ハンマーを使う動作がボクシングに活きるかもしれない。
一つに囚われると化学反応はあまり起こらないとも思う。
活かせるかの精度には、裏付けになる仮説と実際のデータが必要で、さらにそのデータを理解して使う基礎知識も必要になる。
そこに様々な経験が混ざり合うことによってまた新しい化学反応を生むかもしれない。
真面目は大切だが真面目一辺倒でなく、自分軸を持って非真面目で人の尊厳を大切にできる人もいる。
それを自然体で自由にリラックスしてできる人間は、そうやって化学反応を起こしても良いのではないのだろうか。
自分のことでいえば、大なり小なり、そういう考えの人たちを中心に人生の時間を一緒に過ごせれば良いなと思う。
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