「絵師」と「生成AI」の不和を考える その3【続・冷笑ではない中立の提示】


前提


※「その1」「その2」「分類」が前提の記事です。
「絵師」と「イラスト生成AI」の不和を考える その1(作曲の事例を添えて)
「絵師」と「イラスト生成AI」の不和を考える その2【冷笑ではない中立】
イラスト生成AI利用者の“立場の違い”の分類(議論が並行線になる原因)
 本記事単体で読むと印象が変わってしまう恐れがあるので、まずはその1から読んでいただきたいです。


 その2をもう少し深掘りします。

 イラスト生成AIを「使いたいのに現状使えないな」と考えてる人の意見があんまりにも少ないのです。
 それと、前回は生成AI利用者よりの書き方だったので、今回は少し利用者への批判的精神を持って記述します(その1、その2を読んできた方なら大丈夫なはず)。

個人利用



 生成AIは、ツールによってはそもそも
個人利用の場合に限る
と利用規約に記載しているものがあります。


 学習元にどれだけの学習元の素材が「表出している」かユーザ側に提示されてない以上、ツール側は生成物の権利の責任をもてません。
 そのための「個人利用の範囲のみ」です。

 で、生成AIによって生成されたイラストが、「人対人」の慣習上盗用の範囲であると言われるようなイラストであった場合、当然批判されます。
 そこで「生成AIが出力したものだから」というのは違う。生成AI側ではなくイラストを"利用者の名を元に"提示したので利用者にも批判は集まります。


上記の場合の問題はAI利用者も批判されることに納得出来るはず。

二次創作



生成AI利用者側が
「二次創作はどうなんだ。彼らとやってることは変わらないじゃないか」ということがあります。

近年、(と言っても媒体によっては10年以上)「二次創作ガイドライン」を明記しているタイトルが結構増えている。ガイドラインがない場合、ここら辺の平均的所感で二次創作をすることになります。
(深堀したいけど現状できないポイント)

公式イラストそのものの利用、及び加工は禁止
とされいることがある。これに引っかかるようなイラストは人力でもAIでもダメで。

学習元


「上記を回避してるならいいのでは?」

 しかし、思い返して欲しい。

 現状では生成AIが"何を素材にして"イラストを出力したかユーザ側は確認できない(ツールが多い・また確認をユーザの義務としていない)。

 とあるAIにより生成されたイラストを考える

・"オリジナル"にしろ"AIを受け入れてる作品Aの二次創作"にしろ、
生成されたイラストに作品A以外の既存人力作品がどの割合で入ってしまっているか。ユーザは判断できない

・そして現状生成AIツール側も責任を負うような仕組みは作れていない

・AI利用ユーザ(の、しかも金銭を得ている人達)は、生成されたイラストの中身の割合を判断せずそれを世に放つ

 この現状が良くないと考えています。


 人力の場合、他者の作品に"影響"を受けた部分が存在していることを認知していながら、引用や先人達からの学習に自らが責任を追うことを(言語化しているかはともかく)理解して投稿しているのです。

もしパロディや「ちょっとまずいかも……」と思う部分があっても、相手の創作者へのリスペクトといざという場合の責任を持って投稿するのです。

(たまに理解していない人が正当なレベルの批判に逆ギレしたりするが)


で、僕が生成AIを使いたいのに現状使えないのは上記の理由があるから。

もっと学習元に対してリスペクトある仕組みが導入されないと、自分の信条的に使えません。

“規制”という言葉の言外のニュアンス


 ただ、生成AIに"規制を求める"と言うのは、書かれた文字以上のニュアンスが入ってしまうと思います。
(SNSの規制派と推進派の諍いをみると)


 僕は「車と道路交通法」に例えたい

・車は便利だが、無法状態で速度制限なしで当たりを大人数で走られたらたまったもんじゃない

・無法とは行かなくても、速度制限だけ設けて信号が一切ない世界線を想像しても、事故は今より多発しているだろう

交通を円滑かつ安全にするための法」のようなものを、生成AIの活用に導入して欲しいです。


個人的に「創作前探索としての生成AI活用でセーフ」と思っているライン


 一件関係ないと思われるかも知れませんが、「手話」の話をさせてください。

 国語辞典と、手話辞典があるとします。
(普段我々が使う日本語は手話と対比するとき"口話"と言います)

 小説や記事を書いていて、言葉の類語や言い回しの変更をしたくなり、辞書を開きます。

 Xという単語を見付けました。
 では、この単語を文書に使用するのに、著作権や引用のあれこれを気にする必要があるでしょうか?
 ――ないですね。


 では、次に手話に関する記事や物語を書いていたとします。
 単語の手話表現が分からなくなり辞典を引きます。
イラストもしくは写真付きで、手話での語彙、表現方法を理解しました。
さて、こちらの辞典のイラストを手続きなく自分の作品に載せていいでしょうか?
 ――答えはNoです。残念ながら

 正直なところ、僕は「パブリックドメイン」化して欲しいと感じていますが、現状できません。
研究や公共性のための引用ならいいですが、物語の挿絵の使用は無理です。


 上記の比較を元にいくつか話させてください。


①現状の法律上アウトだったりグレーなことでも、今後の界隈の発展やのちのちのホワイト化を期待して、自分の行いを信じて活動をする。


 シリーズ記事の「その2」で書いたことや、DJ文化など、色々とこのような行いはされてきました。
僕はその行為ひとつひとつへの賛否は批評するとしても、活動そのものを行うこと自体は人間の営みとして賛同します。

 ただ、僕は「もしかしたら怒られて炎上して損害賠償を食らうかも」と思いながら、手話創作に辞典の挿絵を無断で使える"根性"や"健康"がありません。
 情けない話だと思います。


②ChatGPTよりイラスト生成AIの方が風当たりが厳しいことの説明の援用

 言語というもの自体の構文を単語ベクトルなどを用いて解析し、大規模言語モデルとして動くChatGPTのほうが、イラスト生成AIよりも受け入れられてる現状のイメージとパラレルかと考えています。

 まあ、ChatGPTは「平気で嘘をつく図書館司書」のようなイメージを持っており、ほんとに自分で調べる際の第1段階程度のものと認識しています。

 あと、これはいまいちわかっていないのですが、ChatGPT側はプライバシーなど気をつけた振る舞いをするし、有料な著作権有り創作の引用などは避けるのですが、おそらく電子書籍の有料文章なども学んでいるのですよね?


『ゆるコンピュータ科学ラジオ』の大規模言語モデル回
「ネットに投稿された全ての言語データを有志でリスト化したサイトを研究者が使っている(要約)」
というようなことを言っていたので、おそらくChatGPT側がセーフティガードでプライバシー関連や有料文書のアウトプットをしないようにしていて、それが理由でサービスとして提供出来ている部分があると思います。
(まあ、それを回避して色んな危険な情報を聞き出す術を探索することに情熱を燃やす界隈もあるのですが)

 このセーフティネットが、
・イラスト生成AIのツールだといまいち機能してないなあ
・ChatGPTと"同程度"に機能していたとしても、上記の"言語"と"イラスト"の著作権慣習的にまだまだ厳しく指摘を受けるだろうなあ
 という感想があります。

……
(ちょっと話の繋げ方が強引ですが)

ChatGPTを調べものとして使って、それを元に創作をするのは――問題が山ほどあるとはいえ――僕としては許容の範囲内です。
 特に図書館に行けず、SNSや周りとの創作の会話の機会が得られない僕にとってもありがたいものです。

 そして、イラスト生成AIを"個人利用の範囲で参考にして"創作をすることですが、これは以下の意見をもっていました(過去形)。

「ダメではないがメリットを感じられない。
通常周りにあるイラストや漫画参考にした方が良いと感じる素材が沢山ある」


 ……と自分では感じても実際に画像生成AIを"参照"してイラストを描く人はいる訳で。

 そのようなイラストレーターの立場を分類してみます。

①今までイラストに興味のなかった立場のクリエイターや入門者が生成AIの技術で初めて"イラスト"に目をつけて創作するようになった。

②著作権の"グラデーション"感にどうにもついていけない(自覚・無自覚問わず)が、間にAIで生成されたイラストを"差し込む"と、グレー感が薄まる感覚があって使っている。

③基本的に②に近い立場だが、紙や無料素材の"探索"という手段に慣れておらず、生成AIを使うことに効率の良さを感じる。"効率"重視。

 僕は日本語訳されてないアプリやガジェットで使い方が分からなくなった時、判断材料のひとつとしてChatGPTを使っていますが、イラストの素材探索で素材集などを買えない立場にいる人や、無料の素材探索に全く慣れてない人は画像生成AIで近いことをするのだろうなと納得しました。


模写や構図の流用、トレス




 模写や構図の流用、トレスに関しては、そもそもAI生成イラストではなく、人力イラストをモデルにした際に対して以下のように考え主張しています。

「イラストの引用の寛容さをもっとイラスト界隈全体が持って欲しい」

 例えば「引用元の明記をした上で無料公開されているイラストのトレスは許す」
 ――そういうシステムをツールとして作ったり二次創作ガイドラインとして広く受け入れられるような流れにしていく。

 というような創作のあり方が僕の理想です。
 僕の体調が今よりもう少しマシだった時は、慣習的にそれを許してくれてる界隈の二次創作絵を描いていました(1,2枚で体調悪化して描けなくなりましたが)



「その1」からここまでのまとめ(まとまっているかは微妙)


 ここまで色々書いてきましたが、「その1」がそれなりに読みやすく、よくまとまった記事になっていたのに対し、「その2」以降は荒削りな点も多々あったと思います。

 僕自身、生成AIに対して日々ちょっとずつ考えが変わっていったりしているので、日が経つとここまで書いた記事と違うことを言っているかも知れませんが、2024/8/11現在はおおよそ1~3で語ったことを私の意見(を表面化したもの)とさせていただきます。

 本当は自分の専門分野である"ナラトロジー(物語論)"を搦めた記述をしたいのですが、そこまで行くとガチ論文レベルになり、とても現状の健康状態で書けるものではありません。

以下にYouTubeのリンクなどを貼りますので、今までの、そして今後の筆者「彩色彩兎」の活動を応援して頂きたいです。


Youtube:彩色彩兎

Pixiv : Ayato

小説家になろう : 彩色彩兎

Amazon欲しい物リスト : ①闘病生活補助②MIDI







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?