見出し画像

遺伝



今回は「常套句」でも軽く紹介した妹の話である。

時は遡り、今から25年前の1997年冬。年が明けてから、わずか6日目のことである。ヤツはこの世に生まれた。
待望の女の子であった両親はとても甘やかしたと同時に、男2人の後に生まれたからなのか、負けん気は強く内弁慶なわがままっ子に育った。
今でこそ、3時のヒロインのゆめっちに似ているが、幼少期はといえば、第68代横綱、かの有名な朝青龍に顔も性格も瓜二つであった。

そんな女版朝青龍は我が家でも生きる伝説として語り継がれている。

あれは、小4のとき。
家族みんなで、歴史のクイズ番組を観ていた。その中で超初級レベルと題し、「豊臣秀吉」の読み仮名を書けという簡単な問題があった。
もちろん読み方は「とよとみひでよし」であるが、妹が書いた答えはなんと、



「とよじんひできち」


誰だよ。ホトトギスも驚きすぎて鳴く以前に開いた口が塞がらなさそうな名前であった。

勿論、家族みんなで大爆笑。
妹だけは真剣に答えていたので、不機嫌そうに頬を膨らませ余計に朝青龍に見えてしまった。

そんな妹だが、今では結婚し、ちゃんと主婦として生活しているが、唯一苦手なことがある。
それは料理だ。そう、母ゆずりの料理下手なのである。

妹の場合、得意料理は何かと尋ねると、自信満々に「カップラーメン」と答える。

あるとき、私、兄、妹の3人で留守番をするときがあった。母はパートをしており、年に何回か職場の人たちと食事会をすることがあった。

そのため、3人で夕飯を食べなければいけないことがあった。
その場合、夕飯を作る担当は私であるが、その日は塾の時間と重なっていたため、夕飯の準備が遅くなってしまった。

ちなみに、夕飯は母が安いからといって買っていたオーストラリア産のステーキ肉だ。私としてもただ焼けばいいだけで、とても簡単だから楽であった。

急いで家に帰ると、ハリケーンでも通ったのかと思うほど散らかったキッチンを横目に、明らかに喧嘩してるであろう空気の中に、座り込む兄と妹がいた。

私はとりあえずワケを聞いた。
すると、兄が口を開く。
2人でお腹が空いたから、先にステーキを焼こうとしたが、どちらが焼くかという話になり、自信満々に妹が焼き始めたと。

たしかにステーキは焼くという行為だけだが、冷凍庫でキンキンに冷えたステーキ肉を焼くにはまずは解凍をしなければならない。

しかし妹は、元シェフの祖父に教わった"牛肉は強火で焼け"という言いつけだけはしっかり覚えてたそうで、冷凍庫から出したてのステーキ肉をそのまま強火で焼き、外が黒焦げの、中は冷たいままのベリーレアステーキが出来あがったそう。

お腹が空いている兄は肉をダメにしたとブチギレ、それに対して妹も、てめえが焼けと揉めに揉めたと。キッチンが荒れたのも、他のものを作ろうと色々引っ張り出しては見たものの、調味料の場所や段取りが悪く散らかしてしまったという。

今のご時世、電子レンジで解凍なんてできる。
妹になぜ解凍しなかったのか尋ねると、

「かいとう?なんの答え?」

そう言われた瞬間、私は妹に肉を焼かせた兄が悪いと判断したのだった。



そして、時が過ぎ私が大学生の頃。


大学時代、私は祖母の家に住んでいたので、実家には私を除く4人で暮らしていた。

実家に帰省したとき、リビングのドアを開けた瞬間、視界を埋め尽くすほどの白い何かが広がっていた。私の知っているリビングの色とはだいぶ異なる色合いだった。
目を凝らしてよく見ると、沢山の大根たちが見るも無惨な姿で、巨人族のご飯かのように山盛りにされていた。

横で漫画を見ていた兄にワケを尋ねると、どうやら妹が、大根を使った包丁のテストがあり、それの練習をしているとのこと。

妹は栄養学がメインの大学に通っていたため、そういった試験がよくあったそうだ。そもそもなぜその大学に行ったのか未だに不思議でならない。

それでも、いくらなんでも切りすぎだろうと思ったら、驚いたことに包丁とまな板が2セットあった。
そう、料理下手な母もまた一緒になって大根を切っていたのである。

兄曰く、父が母に対してまず手本を見せないといけないと言い出したのが始まりらしく、そこから料理下手2人揃って、農産物センターで買ってきた大根5本を全て使い切ったのだという。
ああでもない、こうでもないと言いながら奮闘しやっとの思いで出来たそうなのだが、こんな漫画のようなことがあるのかとさえ思った。

当然その日の夕飯、ましてや今後の食卓では大根三昧なのは言うまでもない。
切り終わった後、どう処理するのか尋ねると、母娘揃って「考えてなかったわ」と一言。
私は大根料理を作るだけ作って、その日すぐに祖母の家に引き返した。



そしてこれはつい半年前のできごと。
妹の旦那さんから変なことを聞かれた。

「お兄さんの家では、喉が痛いときに辛いものを食べるんですか?」

この旦那は何を言っているのだと思ったが、すぐに察した。

我が家では喉が痛いと誰かが言うと、決まって夕飯はキムチ鍋になる。
母の持論として、喉が痛いときは辛いものを食べて刺激しまくれというヤブ医者もびっくりな対処法を繰り出していた。


そして、妹は大人になっても母の持論を間に受けていたそうで。

妹の旦那さんが風邪をひいて寝込んだときに、食事を作ってあげたそうだ。喉を痛め、ゼリー飲料もやっと口にできるくらいの酷さだったらしいが、ある程度回復してきて、やっとおかゆのような柔らかい食べ物を口にできたという。

食事を待っている間、うたた寝していた旦那さんは、明らかに病人が口にしないであろう匂いを感じたそうだが、妹の分の食事であると思うことにしたそうだ。

「できたよー」という声と共に、ベッドに運ばれて来たものは、定番のおかゆでも、消化の良いうどんでもなく、まさかの、豚キムチ定食。

旦那さんは何の冗談かと思い、「喉痛いんだけど」と言うと、さも当たり前かのように「だからだよ」と言われたそうだ。

この件に関して妹本人に直接尋ねた。

妹は自信満々に「喉痛いって言うからキムチ鍋を作ろうとしたけど、さすがに一人分の鍋は作れないから何作るか考えた結果、豚キムチにした。風邪ひいてるときは体力つけないといけないから。豚肉はビタミンBが豊富で体力つくし、キムチ入れたら辛いので喉も治るやん。」と。

私は、喉痛いから固形物はキツいだろと伝えると、

「んなもん、よく噛めば流動食と変わらんよ。」

まさに、実写版あたしンちである。

それを聞いていた母は拍手喝采。さすがちゃんと大学で学んだだけはあると褒めていた。

この親にしてこの子ありとはよく言ったものだ。

遺伝とは恐ろしいものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?