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夏の日本陸連遠征 その驚き

コロラド大学でのコーチングも2年が過ぎようとしてる時、日本から電話がかかってきた。どこでどう調べたのか 全く不明です。その時の電話は アメリカに日本のジュニア選手団が行くので 通訳を頼みたい。それだけの電話で 一体何がどうなってるのか 意味わからず、翌日 こちらから日本陸連に電話して 担当者と話した。すると 話はこうだ 現在アメリカに博士号の勉強 研究してる先生が行く予定だったが、急に行けなくなったので行って欲しい。全ての経費などは日本陸連が持つからとのことで、ある種位方的に、話され、こちらも考えないといけませんがと 返答すると 明日までに連絡くださいって、なぜか ほぼ決まったんかいって感じの話で電話を切り、相談相手のいない俺は 理学療法のボスに相談すると 仕事は心配ないから、やればいい。大学も夏休みになってるからコーチングもないし、そんな軽い気持ちで俺は 仕事を引き受けた。それから数週間後に 合流先のシアトルに出向き、合流した。その時団長だった方が、君何も聞いてないの?
はい? なんでしょうか? ドレスコード? 俺には何も知らされず サマーセーターで行ったことに 少々怪訝な顔をされた。(そんなの聞いてないし、アメリカで夏場にジャケット着用ってまずありえんし)って思いながら 
選手団に合流 一緒に行動してると、俺がコロラドで指導してる選手に近い年齢の選手たちだが、なぜか非常に幼く感じた。体一つとっても 大きさが違う。やはりアメリカ人はデカかったんだ。ここで色々驚き また日本の情報を持っていない俺としては、全てが新鮮だった。シアトルからオハイオ州へ移動の機内は、日本選手団団長と色々 話をしながら、あっという間の時間だった。空港でアメリカ側が手配したバスに乗り込み オハイオ州立大学の学生寮へ。


選手たちから 出た最初の苦情は お風呂ないんですか (ようは湯船がないってこと) あるわけないやろうって思いながら 選手には説明して、学内を説明した 自分が卒業した学校じゃないけど ある程度は似たものがある。選手たちには ゼッケン(ビブナンバー)を私 諸説明を行い 次は 学生寮での食事まで自由。すると選手たちは皆それぞれ 部屋に消えていった。しかし、中には神経が過敏な選手が 枕むりです ベッド硬すぎて寝れないとか 苦情が (内心 ところ変われば 全て変わるんだよ)(うだうだぬかすなって感じだった覚えがある。)選手の意見などは聞いていたけど それを大会事務局に話ても 前に進まないのはわかっていたので 全て 俺の内にしまっておいた

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