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「見えないモノの声が聞こえる」と言ってる人の感覚を実体験から分析してみる。


「〇〇の声が聞こえる」

「〇〇が見える」




「お母さんの声が聞こえる」 とか 「遠くの山が見える」なら普通なのに

「死んだお母さんの声が聞こえる」 とか 「龍が見える」になると

一気に胡散臭くなったり、そんなことができるのは一部の特別な人間だけだと線引きされてしまうのはなぜなんだろう?



かくいうわたしも以前は同じよう線引きしていて。

理系&理論派人間だったのに突然
「子宮の声に従うことにした」 とか 「これからやってくるお空の赤ちゃんとお話したらその通りに妊娠した」 なんて言い始め

「どうしちゃったのあの子…」とドン引きした当時の友人・知人が一人や二人じゃなかったのも知っています(笑)


詳しくはプロフィールを。


特別な人しかできない、もしくは胡散臭いイメージだった目に見えないモノとのコンタクト・コミュニケーションは
誰もが持っている当たり前の「感じる」感覚なのだと確信し、今ではその感覚を引き出すサポートをお仕事にまでしてしまいました。


情報過多になり、どこにあるのか分からない「正しさ」や「正解」を求め続けるだけでは生きるのがしんどくなってきた現代社会の中で
見えないけれど確かに存在するものとつながる自分の「内側の感性」を育てていくことは、これからの時代の豊かさに必要不可欠な土台になっていきます。



では目に見えない存在とコンタクトしているという人は一体どんな感覚なのか?実体験を踏まえながら分析してまとめてみました。


見えない存在とのコンタクトって何なんだ?

そもそも、私たちは普通に見えないものと交信しています。

身体の中にある臓器(外からは目に見えない)・ご先祖様・神様・自然・宇宙などなど・・・
「声」として会話を認識しているわけじゃなくても、わたし達は周りにある様々なものと情報・エネルギーを交流・交信しながら生きていて。
逆にこれらとの交流をゼロにして生きる方が難しいはず。


臓器たちの会話 〜見えないけど、確かにある〜

プロフィール記事でも書いたように、わたし自身は思考とは異なるお腹の底の方からの感覚を初めて強く受け取った時「子宮の声」として認識しました。


「身体の声を聞いてくださいね」

概念的なものであったとしても、お医者さんですらこのような表現を用いることはあります。
数年前のNHKスペシャルでは、臓器は脳からの指令を受けて動くというこれまでの概念を覆す「臓器たちの会話」がテーマになっていました。


身体の声というとなんとなくスピリチュアルな能力がなくても大丈夫そうなイメージ。実際身体に意識を向けて問いかけてみると、確かに何らかの反応を感じました。

さらにどこに意識を向けるかによって、例えば子宮に聞いた時と、胃に聞いた時だと同じ問いかけをしても返ってくる反応が微妙に違うことも分かりました。


おしゃべりな胎児 〜わたしの中に、別人がいる〜

妊娠中にはお腹の胎児がいろーんなことを教えてくれました。

妊娠中の身体のこと、心のこと、生まれる日の相談から、生き方そのものに対する禅問答!?まで
泣いたり笑ったり、深く考えさせられたり、目から鱗のアドバイスで軽くなったり。人生を変える体験でした。


胎児と対話するというこの感覚は妊娠期ならではのもので
胎児は母体の一部としてつながっているにも関わらず、別人としての人格も持ち合わせている。

つまり臓器と同じく自分の内側にある物理的につながった存在なので、身体の声を聞く延長で受け取れるのだけど
明らかに自分では思いもしない別人のような返答が返ってくることもあるので

「私じゃない人間が確かにここにいる!!」

という他では味わうことのできない、神秘的かつ面白い、唯一無二の感覚なのです。



父・祖母の死から 〜見えなくても、そこにいる〜

第一子である息子を産んだ半年後に父が
その翌年、第二子である娘を産む半年前に祖母が
立て続けに他界しました。

その時に実感したのは「そこにいるじゃん!」という確かな存在感。

今まで霊感と呼べるようなものはなかったはずなのに
葬儀が終わってぼーっとしてると「はよ皆のとこ行かんかい」と気を使う父の声を感じ、階段を上がる足音が聞こえ、
法事で帰省すると「よう帰ってきたねぇ」と私の腕をつかむ祖母の手を感じました。


実は父が急な病気で他界した後、霊媒師でもある友人に何か父が言いたかったことがないのか聞いてみたのですが、そこで言われた一言が

「一番分かってるのは、一番つながってるのは、家族だよ。」


ハッとしました。

生まれた時からつながっているのに、自分で聞こうともしないで他の人に答えを聞こうとしていた自分。
父や祖母に意識を向けて問いかけてみたら、あの懐かしい優しい声ですぐに答えてくれるのです。

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植物・神様・物…何とでもつながれる

もう目に見えるとか見えないとか、物理的につながっているとかいないとか
気にならなくなっていました。

家にある観葉植物に意識を向けてちょうどいい置き場所を聞いてみたり
神社に行ったら神様と今後について対話してみたり
いわゆる命あるものだけじゃなく、コップや鉛筆など、いわゆる「物」にも意識やエネルギーがあるような気がしてきます。


では、これらの「声」とはどういった感覚なのでしょうか?
わたし自身の体感から分析していきます。



「つながる」という気の性質

「気(氣)」は、意識を向けたところに流れる性質を持っています。
頭を使っていると頭に、身体を使っていると全身に
人の目を気にしていると自分から外へ、自分自身を感じてると自分の真ん中へ。

単純に言うと、コンタクトしたい対象に意識を向けるとそこに気のパイプがつながり、感覚を受け取りやすくなります。
そしてこの意識を向ける精度は使うこと、続けることなど身体感覚を丁寧に磨くことでより研ぎ澄まされていきます。



感覚を受け取ること

意識の周波数が合うと、相手から発せられたものがこちらに伝わってくる。

その時に感じる感覚は「声」だけに限らず
イメージであったり、においであったり、味であったり、
分類できないような「感覚」そのものかもしれません。

身体を通して湧き起こってくる感覚
それは人によっても違うし、その時によっても違います。

わたしもいろんな感覚を受け取りますが、キャッチした感覚を言葉として受け取ることも多いので「〇〇の声を聞く」という表現がしっくりくるなぁと感じています。


エネルギーの翻訳作業

最近、わたしが見えない何かの声を聞く時に身体の内側でどういうことをしているのかなぁとよくよく探ってみたら

相手から発せられた気・エネルギーを受け取って
「この感覚はどの言葉のエネルギーにフィットするのか」を
無意識下で瞬時に行っているような感覚でした。

要はエネルギーの翻訳作業。

エネルギーの翻訳


わたしは「言葉」というものが好きなので、反射的に言葉に変換することが多いのかもしれません。
言葉とエネルギーがフィットすると身体感覚もスッと通りがよくて気持ちいいし、ズレてると何だか身体の置き所がない感じで気持ち悪い。ズレている時はわたしの頭で考えた言葉のようです。

言葉にはできないイメージが浮かぶ時もあるし、何とも表現できない感覚のみの時もある。受け取ったエネルギーがビジュアルに変換される人は「〇〇が見える」と言うのかもしれません。


外国人とのコミュニケーションだと思ってみるといい

あなたが片言の外国語しか話せないとしましょう。
ネイティブな外国人(見えない存在)は一生懸命あなたに何かを伝えようとしてきている。

そもそもその言語を学び始めたばかりだと語彙が少なすぎて
何となくのニュアンスは伝わっても、それを日本語に正確に翻訳するのは難しい。

でも・・・まずは何となくが伝わればいいよね?


ここで発揮したいのが日本人が長けている「空気を読む」能力。
相手に意識を合わせてそこから発せられる気を読む。
いつもやってるでしょ?
姿が見えないとできない?メールや電話越しに感じるものだってあるはず。

外国人


相手が喜んでいるのか、怒ってるのか、悲しんでいるのかが伝われば
こちらも次の手が打てる。別のアプローチができる。

出川イングリッシュ(イッテQ)でもしっかりコミュニケーションが取れるのだから!


そうしながらコミュニケーションを取り続けていると
語彙力も増えてだんだんと細かいニュアンスまでわかるようになり、気がつけばネイティブに近くなっていく。

翻訳家によって解釈が違うと、同じものの声を聞いてても違いが出るし
時には本質とズレていることもある(笑)会話が得意な人もいれば、翻訳を文章で表現するのが得意な人もいる。


もう無視できないこれからの時代

結論、見えないものとのコミュニケーションは誰にでもできる。
感覚オタクとして分析してみたくなったので細かく書いてみましたが、単なる自己満足なだけで、ここまで細かく考えなくてよくて。


むしろ直感を信じて感じるままに。


意識してなくても、そこにある・いるものからのエネルギーを受け取りながら生きている。運動神経と同じくもともとのセンスの差はあれども使えば伸びる。


実際わたしのセッションでは「私にはそんな力ないです〜」と勝手に作っている壁をガシガシ壊していく作業が大半です。
壁を壊せば、もう受け取っていた感覚にただ気づいていくだけ。


プロの翻訳家ほどネイティブにならなくたって。
「見えるものしか信じない」と言っていたら決して味わえない、もっともっと豊かな奥深い世界。


「正解」のないこれからの時代は、もうその世界を無視しては生きられない。



わたしの感覚の世界を綴ってみましたが
実はこの文章を書く作業も同じく「翻訳作業」です。


わたし自身とつながって、わたしの内側から湧いてくる感覚がどの言葉にフィットするのか、どう表現したら体内がスッと通って心地よいのか。


noteは特にこの感覚を大切に綴っていきます。

プロフィール写真くろかわさいこ



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