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日常雑記:存在意義とか。

右上の奥歯にヒビが入った。
噛み締めが原因である。

私は仕事中、どうも無意識に奥歯を噛み締めているらしい。四つの奥歯全てが欠けている。

右上の奥歯はヒビがとうとう神経に達してしまった。
激痛のため、たまらずいつものS先生の歯科医院へ駆け込んだ。

処置後、少しS先生と話した。
「今度の研修会、夜先生も出席だって?」
「どうしてそれを?」
S先生と私は専門分野が違う。
「M先生に聞いた。」
「ああ、なるほど。」

M先生はS先生の高校と大学の後輩だ。今も交流があるらしい。

「M先生、怯えてたよ。夜先生到着の10分前には玄関で待ってお出迎えするって。」
S先生、笑いながらそう言った。
「あはは。そんなことする必要ないのに。」
私も笑う。

M先生は私と同科。実は私がM先生の専門科研修の教育係をした。5、6年前までそういう仕事が多かった。
私はずいぶん厳しい教育係だった。同じ過ちは絶対に許さなかった。命に関わるからだ。

ON/OFFの切り替えはキチンとしていたつもりだ。厳しいのは、現場だけ。
それでも、当時の私を知る若い先生たちは、私を怖がっている。

今は歳を重ねて、少しは私も丸くなったと思うのだが。
そういえば以前このnote上で「私の天敵はチェロ師匠」と書いたが、「5年前までの自分」も苦手だ。
目の前に現れたら、自分でも恐ろしい(笑)。存在を抹消したいほどだ。

           ★

存在と言えば。
少し前にこんなことがあった。

チェロ師匠の家に遊びに行ったとき。
約1ヶ月前に亡くなった先生のお父さんのアルバムを見せてもらった。
それは、遺族のために葬儀社が用意したものだ(今はそんなサービスがあるようだ)。写真の提供は、先生と先生のお姉さんだった。

「すごい。お父さんの幼少期の写真まで残ってるんですね。」
白黒写真だった。幼い頃の先生とお姉さんと一緒の写真もあった。この家との写真も。元々は先生のお祖父さんが建てた家なのだ。今は先生がリフォームして住んでいる。

「たくさんあるから、選ぶのもなかなか大変だったよ。」と先生。

「へぇ。私は自分の大学以前の写真はありません。」
「卒業アルバムも?」
「はい。」
「亡くなったお父さんお母さんとの写真は?」
「ありません。高校を卒業して施設を出るときに、私物のほとんどを捨てました。」

全てを持ち歩くことはできないし、暗い過去を捨てたかった。

先生、苦い表情をした。
「なんてことを。将来自分が死んだ後、こういうアルバムも作れないよ。」

私は首を振った。

「いりません。どういった形で死を迎えるのかは分かりませんが、もし余命が宣告されるのなら、私はその間に私物の全てを処分します。
葬儀もいらない、お墓もいらない。自分がこの世に存在していた痕跡は何もいらない。」

先生がアルバムを閉じた。
そして、私の顔を覗き込んだ。
「自身の存在意義を否定しているように聞こえるんだが。」
「…そうなのかも。」
私は少し考えて答えた。

「生きたくても生きられなかった方々をたくさん見てきました。私に死を語る資格はありません。ましてや、自分の死後のことなど。」

先生は、視線を落とした私の肩を掴んで自分の方を向かせて、少し厳しい口調で言った。

「夜自身はそれでいいのかもしれないけれど。
残されるであろう家族やお前を慕っている人やボクの気持ちを考えたことはあるか?」

…なかった。

そのような視点で考えたことがなかったので、私はひどく衝撃を受けた。

「あ、私が先に死んだら、私のチェロだけはセンセにあげます。アレはいい楽器だから、センセが持っていてもいいでしょう?」
話を逸らして衝撃をやり過ごそうとした。

でも、先生は許してくれなかった。
「それはいいけれど。
いつからそんなふうに自分を無にするようなことを考えるようになったの。」

私はしばらく沈黙した後言った。
「根っ子は自分のルーツにあると思いますが。強いて言うなら...2011年3月11日でしょうか。」

その日から約1ヶ月の間に私が何を見たのか、誰にも話したことはない。
その頃、先生と私は絶縁状態だった。

先生は「そうか。」とだけ言って、私の肩を軽く叩いた。きっと私が語らない過去のことを想像したに違いない。
お茶を淹れるために先生が立ち上がって、息苦しい会話は終わった。

           ★


情け無い話だが、先生に「残された人たちの気持ちを考えたことはあるか」と言われて私は初めて、もう自分一人だけで生きているのではないんだと気付いた。

これを機に、人との関わりをもう少し丁寧にしたいと思ったのだった。