24.1月チェロレッスン②:あなたが私に未来をくれた。
先週に引き続き、今週もレッスン。
今回は、私が一番最後だ。
「今日はセンセのお父さんの月命日じゃないですか。こんな遅い時間までレッスンしていていいんですか?」
楽器をケースから取り出しながら私が聞くと、先生がびっくりした表情をした。
「どうしました?」
「よく覚えているね。」
「…そりゃあ、そうですよ。」
先生の返事に私は訝しみながらそう言った。
先生はちょっと困ったように私の疑問に答えた。
「葬儀があったのが年末だったろう?だから年末は大騒ぎだったんだけど。年が明けた途端、パッタリ誰からも連絡が来なくなってね。『忙しかっただろうからちょっと遠慮しておこう』という配慮があったと思うけど。でも、1ヶ月目の命日くらい、親戚からは連絡があってもいいと思うんだ。姉以外からの連絡は全然ないんだよ。」
そういうワケか。
先生の弟子でも、事情を知っているのはごくわずかだ。
「今日は姉も仕事だから、明日ウチに集まることにしたんだ。」
「そうですか。」
「それにしても。夜は人を気遣える大人になったなぁ。親の教えが良かったんだね。」
そう言われて、凪いだ湖面にポトンと小石が落ちたように、心が少しざわついた。
「...センセですよ。」
ポツリ、と私は言った。
先生が不思議そうに首を傾げる。
私は続けた。
「私の親は私が9歳のときに死にました。ほとんど覚えていません。その後行った施設は私が記憶を消すほど、その当時は酷いところでした。私の育ての親はセンセだと思っています。」
先生が、ハッとしたように私を見た。
私は続ける。
「世の中を渡っていく術は、センセから教わりました。
センセが私に未来をくれたんですよ。」
「…そっか。」
嬉しいような哀しいような、複雑な表情をした先生に私はニッコリして見せた。
「そうだ。今度、センセのウチに遊びに行ってもいいですか?」
先生、キョトンとする。
「いつも来てるじゃない。」
「ここのところずっと、センセが不在のときに行ってます。今度はセンセがいるときに。
レッスンや練習じゃなくて、遊びに行きたい。」
先生、破顔する。
「もちろんだよ。大歓迎だ。いつでもおいで。」
★
レッスンを始めようとした先生、いつものスケール練習をすっぽかした。
「センセ、チューニングとスケール、忘れていますよ。」
「ああ、そうだった。」頭を掻く先生。
「久しぶりに朝からフルでレッスン入れたから、さすがに疲れたかな。
ついでに言うと、バッハ無伴奏の楽譜まで忘れてきたんだよ。」
さては、相手が私だから油断したな。
「じゃあ、私が隣に行って、一緒に楽譜見ながら弾きますか?」
「んー、大丈夫。頭に入ってる。」
私もそういうカッコいいセリフを言ってみたい。
「一通り弾けるようにはしてきました。」
「これ、全部通すの、大変だろう?」
「はい。まだスムーズに弾けないところがあるので、余計に大変ですねー。
今日はどこからやるのがいいでしょう?」
「じゃあ、3ページ目の頭から。」
先生が拍を取り出したので、それに合わせて弾き始めた。
4ページ目が終わったところで、先生が私の演奏を止めた。
「途中でごめん、143小節目のボウイング、違ってないか?」
先生が弾いてみせる。
確かに、弓のアップとダウンが私とは逆だ。
「ホントだ。写し間違えたかな?」
先生が楽譜を持っていないため、私のスマホに保存したファイルを出してみる。以前先生の楽譜を写メしたものが入っている。
「えっと、楽譜の上と下、二つの書き込みがあって、私は上のを写しました。」
「ああ、なるほど。じゃあ、下のほうがいい。下のに合わせて。」
数箇所、書き直した。
「それから、133のFからBに上がるところ。Bが下がり気味だ。もう少し上。」
そこ、音が取りにくいの、自分でもわかっていた。
「夜は、練習していてうまく弾けない所があると、最初から弾き直すだろう?ただでさえ練習時間を確保するのが難しいのに、それでは非効率的だ。
上手く弾けないのは、夜の場合、大抵一つの音だけなんだよ。そこさえできれば、あとは弾ける。
引っ掛かる音がどれなのか探って、その部分の前後数小節だけ、取り出して練習するようにしなさい。
大丈夫。夜は自分の思っている以上に弾けているから。」
最後のセリフはかなりアヤシイと私は思っているが、確かに引っ掛かるのは一音だけだった。
取り出し練習は、効率が良さそうだ。
5ページ目は、時間がなくなったため、次回に持ち越し。
★
「センセ。2週間前に交換したD線とC線。だいぶ馴染んだと思うのですが、今日センセが聴いて、音が寝ぼけている感じはしませんでしたか?」
弦を2本だけバーサムにした。
先生は前回のレッスンで「バーサムを下の弦に使うと、音が寝ぼけるかも」と言った。
「いや、全く気にならなかった。」
先生、そういえばそうだったね、という感じで言った。
「夜は弾いていてどう?音の立ち上がりが悪いと感じないかな?」
「いえ。それが、全然ないんですよ。
弦が細いから、ほら、この138小節目の重音、どうしても無理な指の取り方をしなければならないのに、比較的楽に弾けるんですよ。」
先生が手を伸ばしたので、持っていたチェロを先生に渡した。
先生、ポロンポロンと弦を爪弾く。
「あー、わかるよ。この楽器自体が強いから、柔らかい弦も受け止めて響かせられるんだなぁ。くそ〜、いいなぁ。僕もC線にバーサム使いたい。」
先生の楽器には合わないのだそうだ。
「私の楽器と先生の楽器を交換しましょう」とよっぽど言おうかと思った。
でも、たぶん、言ったら「Kさんが、お前のために用意した楽器なのに!」と怒られるだろう。
それに、プロは楽器を選ばないと思う(つまり、どんな楽器も上手く弾きこなす)。
「2月下旬なんだけど。この日は空いてる?」
先生、私にチラシをくれた。
あ!T先生(先生の先生)のコンサートだ。
「えーと…(スマホのスケジュールを見る)空いてますね。マスターヨーダのコンサート、久しぶりです。チケット買います。」
先生、ファイルからチケット1枚取り出して「あげるよ。」と言う。
「ええ?!このチケット、高いですよ。買いますよ。」
先生、ニヤリとして、「いいからいいから。もらっておきなさい。」と言う。
申し訳ない。
「センセは出演しないんですね?じゃあ、一緒に行きましょう。」
先生、うなずく。
「ああ、そうしようか。」
冴えない年明けだったけれど。ちょっとずつ楽しみができて嬉しい。
コンサートを励みに、明日からまたがんばろう。