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親が子を思うほど子は親を思わない

◇これは自分が大学生の頃に祖母に言われた言葉。
 親元を離れ、1人暮らし。実家に帰らずバイト三昧。両親が仕送りをくれても「ありがとう」の連絡すらよこさない。そんな孫の姿に耐えかねたのでしょう。

 子どもをもつようになって痛いほど分かる言葉。そして、この言葉があるからこそ今では両親のことを案ずることができる。そんな気がしています。それでもなお、親より子を大事に思うのは生物的本能であり、この言葉が指し示す通りなのですが。

 知っているか知らないでいるかで立ち振る舞いは随分変わると思います。今の私にとっては大切な言葉の一つです。


1.大人になるということ

 イニシエーション、つまり大人になるための通過儀礼がかつてはありました。いや、今も未開社会には残っていますか。抜歯する、高い所から川へ飛び込む、数日間村を離れて修行するなど・・。
 宗教学者のエリアーデはイニシエーションを3つの型に分けていますが、一般的な子どもが大人の仲間入りをする成人式、部族加入の意味合いで今回は考えていきたいと思います。

 もうお分かりだと思いますが、今の日本の成人式は形骸化しています。成人式に出たからといって、社会的に心理的に大人へと成熟するなんてことはありません。システム上、法律上は大人です。この社会的・心理的に大人になることと、制度的・法律的に大人になることとの間に乖離があることでいろいろな問題があるのではないかと考えます。

 個を大事にするようになった近代社会において制度的なイニシエーションは形だけ残して役割としては消失します。だからといって子どもが子どものままでいられるわけではなく”いつの間にか”大人になっていきます。
 今ここでの大人とはあくまでも社会的・心理的な大人についてです。いい年して、恥ずかしい人もいます。彼らにはまだ個人のイニシエーションが訪れていないと捉えることができます。どういうことか。

個人としてのイニシエーションは、個々人に対して思いがけない形で生じてくることになる。ただ、その本人もその周囲の人も、せっかく生じてきたイニシエーションの儀式を、それと気づかずに、馬鹿げたこととか、不運なこととか考えてやり過ごしてしまうことが多いのである。

『大人になることのむずかしさ』河合隼雄(岩波書店)

 イニシエーションの個人への回帰。冒頭で取り上げた「親が子を思うほど子は親を思わない」と祖母に言われ、その真意を汲み取れたことは私にとって一つのイニシエーションだったのではないかと思います。
 当然、その一言だけで大人になれるわけではありませんし、私自身立派な大人であるとはまだまだ言えません。河合隼雄先生も、現代のイニシエーションは1回で終わらないと述べています。

 現代社会は、社会そのものが多様化し変化し続けています。「大人になるとはどういうことか」を考えられる人というのがポイントになるかもしれません。そうした意味では、子どもでも考え方や振る舞いが立派だなと思うこともあります。

 「大人になるとはどういうことか」を道徳で授業すると大変面白いです。渡辺道治先生の『授業を研ぐ』(東洋館出版)には、その一つの実践例として内容が細かく書かれている(なんと授業の様子を動画でも見られます!)ので、教員の方にはおすすめです。

2.はやく大人になれとは言わない

 注意しておきたいのは、成熟を急がないことだと考えます。なぜなら、子どもだからこそ身に付けられることもたくさんあるからです。

 授業中は静かにしなきゃいけない、忘れ物はしちゃいけない、目上の人には敬語を使わねばならない、時間と規律を守り生活しなきゃいけない・・・今の学校教育は、ともすれば家庭教育も、子どもに「はやく大人になれ」と暗黙のメッセージを送り続けているような気がします。

 もちろんしてはいけないことはあるし、それを指導することも大切です。でもどこかで「子どものために」が「大人のために」に無意識的になっている。それが子どもに向けて「はやく大人になれ」とメタメッセージとして送られる。子どもたちは、言葉遣いや身なり、SNSなど「ませる」という形で大人になろうとしているのではないか。

 残念ながらそれでは、社会的・心理的な大人にはなりません。親や教師は「はやく大人になれ」というメタメッセージの発信をやめることから始めてみることがいいのではないでしょうか。

 そして自分自身も成熟した大人になるためのイニシエーションをキャッチアップする。


◇子育て論ではなかったかもしれません。今日はこのへんで。

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