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峻厳なる表現規制の到達するところ

創作表現は、政治、宗教、法律、習慣などで凝り固まってしまったものの善悪をシミュレーションとして問い直せる人類の最後の砦です。

一回決まってしまったら、表現規制は簡単には崩せません。
そうして創作がなくなったら、人類は自らを封じ込める古くなってしまった悪しき習慣から抜け出すための最後の抵抗の方法を失うのです。

だから表現にタブーはあってはならないのです。
見たくない人がある程度見ないですむ配慮は必要であっても
見たい人は自由に見られる環境が常にあるってことが重要なのです。

自分が見たくない、存在を許したくない悍しいものだから規制するべき…
と秋霜烈日に考えることは、種として国として自分の首を絞める行為なのです。


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