【才能はみだしっ子、自分を語る②】 何かを成し遂げることが幸せかといえば、必ずしもそうではないと、だんだん気づいていった
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【才能はみだしっ子、自分を語る②】 何かを成し遂げることが幸せかといえば、必ずしもそうではないと、だんだん気づいていった

才能はみだしっ子の仲間たち


今回、お話を伺ったのは、社会人のギフテッドの方。ライター・編集者として活躍する岡本拓さんは、忙しく仕事をしながらも、自分の時間を大切に暮らしていらっしゃいます。子どものころのお話から結婚したときの思い、31歳の今にいたるまでの、ご自分についての分析を、丁寧に話してくださいました。

岡本拓(おかもとたく)さんプロフィール
フリーのライター・編集者。ネットニュース、週刊誌、月刊誌で執筆中。「東洋経済オンライン」「週刊プレイボーイ」「弁護士ドットコム」「マイナビニュース」「浅田真央サンクスツアーパンフレット」など。

「ギフテッド」という言葉との出会い

19歳の冬に「ギフテッド」という言葉を知りました。もう13年も前になりますが、wikipediaの「ギフテッド」の項目を読んで「これ、自分やん!」と衝撃を受けました。急いで難波のジュンク堂書店に行き、ちょうど初版が出たばかりだった『ギフテッド 天才の育て方』を買って読んでみたりもしましたね。

自分の苦悩が特別ではないと知った安心感と、知らない人に僕自身のことを克明に書かれているような気持ち悪さ、人生で初めて感じる「自分がなにかにカテゴライズされることへの不快感」…など、様々な感情が入り混じり、なんとも言えない複雑な気持ちだったのを覚えています。

今思えばとても傲慢なのですが、この時期は、自分は”特別”だと思っていました。これだけつらいことがあるんだから、特別じゃないと割に合わない、と。しかし、「ギフテッド」を検索してたどり着いた先では、むしろ自分は”典型”として書かれている。特別と思っていた自分も、ひとつの傾向でくくることができる存在なのだと思い、急に自分がちっぽけに感じました。特別ではないとつきつけられた敗北感みたいなものに襲われて、自分のことを見透かされた感覚にも陥って。急に「きみは普通の人間だ」と言われた気がしたんです。

ご自身の気質について(過去と今)

・「常に働く頭」と「睡眠不足」

OE(overexcitability:過度激動。ギフテッドにみられる特性)が比較的強いほうで、幼少期から二十歳くらいまではかなりの気分屋でした。とくに頭が働きすぎることによる睡眠不足は、幼少期から最近までずっと悩まされてきました。母が言うにはあまり寝ない子どもだったそうで、中高のときはいくら早起きしても平気だったし、「朝5時に起きても5秒後には勉強ができる」ことを内心自慢に思っていました。(あとで気づくのですが、実際はただ「ちゃんと眠れていない」だけでした)

一方で睡眠をうまくコントロールできない部分もあって、18歳で浪人生をしていた頃、英語のリスニング試験中に限界がきて寝落ちしてしまったこともありました。大学生になってからは将来に対する不安が強かったためか、特におかしな状況になっていて、うまく眠れない日が一週間近く続く→月に150kmくらい走って体を無理やり疲れさせる→それでも頭は疲れないので眠れない→やっと限界に達して20時間睡眠の日が3日ほど続くというようなこともありました。

入眠に2~3時間かかることもザラで、眠れても5時間程度。アルコールで無理やり気絶するようにして眠っていた時期もあります。そのときの感覚としては、「頭が働きすぎて眠れない」みたいな感じでした。眠れないことはストレスに感じるのでいろいろ工夫してみたんですが、結局なにも効果はなくて。心を落ち着けようとすると、かえって頭が働いてしまう。頭が働きすぎるというか、「考えない」ができないのが僕の気質なんだと思います。

・睡眠導入剤を使うようになって

29歳になった頃から、メンタルクリニックで睡眠薬を処方してもらうようになりました。それからは、よく眠れるようになったんです。効きすぎて最初はびっくりしてしまい、しばらくは眠気に対する恐怖感もありましたね。まるで背中をひっぱられるみたいに眠りに落ちることができて、当時の僕にとっては未知の体験でした。今も服用を続けており、睡眠不足から解放されています。眠れることが生活の質を上げていることは確かです。

とは言え、頭が働きすぎるのは今も変わらず、ネットニュース、週刊誌、月刊誌、ネットメディア…と、一般的なライター・編集者の3倍くらいの仕事量をこなしつつ、別名義での活動もしています。思いついたことは行動に移さないと気が済まない面もあり、完全に多動です(笑)。「頭が疲れる」という感覚はいまだに味わったことがありません。

僕が言う「頭が働く」とは、デスクトップにたくさんのウインドウを開いているような感じ。作業するのは一番手前に開いたウインドウだけど、開いてある別のソフトも動き続けている。そんな感じで、無意識領域下でいろんなことを考えているんだと思います。常にいろんなことを考え続けているので、考えていることが他のことと結びついて新しい企画になったりもしていて、それが今の仕事では役に立っています。

・感覚について

頭はいくら働いていても、「疲れる」という感じはしません。一方で、感覚が疲れることはあります。

ギフテッドの気質によるものかはわかりませんが、対人関係の疲れであったり、異臭や人混みが人一倍、苦手でした。音楽ライブは好きなのですが、だいたい30分くらいで疲れてきて、1時間すると帰りたくなってしまいます。城や神社、紅葉が見られるところといった落ち着く場所が好きです。

また、長そでは好きなのですが苦手です。服として着る分には、長そでは安心感があって好きなんです。でも、重ね着したときの関節が締め付けられる感覚が苦手で、2枚以上の衣服を重ねることができません。長そでの上に半そでを着たりして工夫しています。あるとき、コートの下に半そでのTシャツを着て出かけたことがあったのですが、人から「それは変だよ」と言われたことがありました。指摘されて初めて変なんだと気づきました。夏に長そでを着て行ったときも周囲から「変だ」と言われて、「じゃあ何月から何月まで半そでを着てもいいんだ」と尋ねたこともありました。

子どものころの興味と周囲の大人との関係

・想像力が強くて不安症になっていた子ども時代

幼少期からモノを作るのが大好きで、お絵かき、工作、物語作りなど一通りしていた印象があります。とくに好きだったのが工作で、幼稚園児のときに段ボールハウスを自宅の中に作りました。夕方から数時間は工作にいそしみ、晩ごはんに呼ばれたらさっさと食べて、すぐに工作を再開する…みたいな子どもでしたね。読み聞かせなども好きだったようで、1歳年上の姉が眠っている横でも父に読み聞かせをせがんでいたようです。

小学生になると環境問題に興味を持つようになりました。地球温暖化、それに伴う海面上昇…などを真剣に憂いていた記憶があります。ほかにも、普通に考えたらありえないような不安に襲われることがありました。たとえば、学校に行っているあいだに自分の家が自分の家じゃなくなったらどうしよう…と想像してしまったり。「家に帰ったら全然違う人たちがいたらどうしよう」という妄想が膨らみすぎて、不安で家に帰れないこともありました。

また、これは今思うと情報の精査ができていなかっただけですが、小学校3年生のときにノストラダムスの大予言がブームになり、環境問題で地球の未来を憂いていた自分はすっかり真に受けてしまって(笑)。 それまでは明るい性格だったのですが、一時的にとても暗くなってしまい、休み時間に鬱々としていてクラスメートから「なんでそんな悲しそうな顔してるん?」と聞かれたのを覚えています。4年生になると運良くクラスの中心的な男の子たちと仲良くなり、ノストラダムスの予言も外れ、陰謀論というものが世の中にあることも知って、自然と明るさを取り戻しました。

今はもう、このような不安を抱えたりはしません。年齢を重ねることで「自分が不安になっていることは普通は起こらない」とだんだん分かってきて、少しずつ自分と世界とを切り離せるようになっていったのだと思います。また、小学生時代に起こった9.11同時多発テロ事件の影響もあります。その衝撃は大きく、自分が想像する不安よりも、現実に起きていることのほうがずっとこわいと思うようになったのです。結果的に、想像よりも恐ろしいこと、予期しないことが現実には起こると考えるようになりました。

・学校生活と周囲の大人の存在

子どもの頃は、なかなか感情をうまく言語化できませんでした。というよりは、不安の正体をまだつかめていなかったと言ったほうが正しいかもしれません。周囲の大人は子どもが何に苦しんでいるのか分からないのでしょうが、たぶん子ども自身も分かっていないんです。

親からすれば、「この子はどうして家に帰ってこないんだろう?」とか、謎な子どもだったと思います。等身大でつきあってくれた一番の存在は祖父でした。でもその祖父も、小学校3年生のとき亡くなっています。さっきも言ったように僕はモノ作りが好きで、祖父はなんでも手伝ってくれました。欲しいものを買ってくれたり、悪いことをたくらんでも許してくれる存在でした。

幸いにも、あまり人間関係で難しさを感じることはありませんでした。小学校ではクラスの中心的ポジションの男子たちと仲良くなれたし、中学高校は進学校でしたが、私学で自由な校風だったのが自分に合っていました(逆に、自分がギフテッドであると知った予備校以降は、人付き合いの難しさを感じることが増えたのですが)。

授業はずっと退屈で、「数学の授業中に英語の宿題をする」みたいなことをして耐え忍んでいました。電子辞書で永遠に百科事典を読んだりもしていましたね。最初は退屈しのぎでしたが、読んでいると楽しくなってきて、6コマの授業のうち5コマくらい百科事典を見ていた時期もありました。ほぼ読破していたと思いますし、そこで興味を持ったものを図書館で調べたりもしました。

また、昔から手で文字を書くことにストレスがあり、鉛筆が苦手でした。通常のシャーペンより太めのドクターグリップを使ったり、筆圧がかからないボールペンを使ったりしたのち、そもそも板書を写さなくなりました。その結果、教師から悪い注目のされ方をしたこともあります。

記憶力はいいほうだったようで、基本的に目で見て音読したら大抵のものは覚えられました。このような記憶のスタイルを自覚したのは中学校の頃です(小学校の頃は覚えようとした記憶があまりなく、大抵のものはなんとなく覚えられました)。どこになにが書いてあるかなどの配置と映像記憶と音読を組み合わせて覚えていました。

高校1年生のとき、自習の時間に物音を立てると怒る先生がいて、小さい声で音読しているといちいち注意されました。それで音に出さないで口パクだけで音読してみたら、意外と覚えられることに気づいて。そこからはノートもとらないし、文字も書かない、口にも出さない。頭の中で音読するようになっていきました。テストになって初めて、その単語を書くんです。覚えてるから書けるんですけど、「ああ、この単語ってこういう綴りだったのか」とふと我に返ることもありましたね。

年齢とともに記憶力が落ちているとは感じます。特に映像記億は、やっていないというのもありますが、今は以前ほどできなくなってしまっている気がします。しかし、学生の頃と今とでは、頭を使うにしても使っている部分が変わったと感じます。学生の頃は「記憶と暗記」が中心で、逆に今みたいな抽象的な思考とか本質的な思考はあまりしていませんでした。今は「仕事の着地点」を考えたりと、抽象的な思考をする脳みそが鍛えられています。だから、トータルでいえば頭脳の衰えは感じておらず、使う部分が変わっていったのかなと思います。

周囲との差異に気づいたきっかけ

「これ!」という大きなきっかけはなかったのですが、日々の中で感じる小さなズレ、ボタンの掛け違い的なことが重なり、周囲との差異を感じるようになっていったのだと思います。大きなきっかけなく、自分は周囲と少し違うのかもしれないとだんだんと感じるようになっていった人って、ギフテッドには多いんじゃないですかね。

とはいえ、中学・高校は超自由な校風で周囲も自由な人が多かったので、自分だけが浮くことはなくまわりとの違いはそこまで感じませんでした。むしろ年齢を重ねた18歳以降のほうが周囲との関係に悩みました。予備校の授業中に寝ていたら「体調悪いの?」と先生に起こされたり、大学の大教室が苦手だったり、じっとしていられないなどの問題に直面するうち、まわりとの違いを感じるようになっていきました。

何かを知ることや研究することは好きなので、大学の頃は図書館に入り浸っていました。授業にはあまり出ていませんでしたね。ゼミの先生が好きじゃなかったし、コミュニケーションがうまくいかない部分もありました。表面的には不真面目な学生なんだけど、自分としては学んでいたので…なんか、人間関係ってうまくいかないものですよね(苦笑)。語学には興味がなくて、第二外国語も本当は取りたくなかったです。やむなく朝鮮語を取りましたけど、あまりにもやる気がなかったため、自分が何組か分からず、試験で組を書けないで、「採点できない」と言われたこともありました。結果、第二外国語の単位を取ったのは4年生のときです。

好き嫌いはハッキリしていましたが、昔から特定のものに固執するといった傾向はなく、物を書く仕事にベクトルが向いたのは高校3年生と比較的遅いほうでした。きっかけは宮藤官九郎さんのドラマで、「こういうものを書きたい」とテレビドラマの脚本家を志しました。大学3年時にコンクールで受賞し、芸能事務所所属の作家になりました。

一方で、現実社会と自分の理想との乖離を感じるようにもなって。倫理観や道徳心が強く、“人間はこうあるべき”という思想にとらわれていた分、現実とのギャップに相応の衝撃がありました。現実の社会の理不尽さを目にする分、作品では「こうあるべき」と思うくらい人格的に完成されたキャラを出しちゃうんですけど、そういう作品って説教臭くなってつまらないんですよ。当たり前ですよね。それぞれダメな部分があって、凹凸があってこその人間なのに。

また、宮藤官九郎さんにあこがれて脚本家を志したものの、多くのテレビドラマを面白いと思えないことにも悩みました。アメリカのロマンティックコメディのような、軽妙な会話の作品が自分は好きなんですけど、日本のテレビドラマにはどうやらそこの需要はなかった。結果、「本当に好きなんだろうか?」と悩むようになりました。

「好き」という気持ちそのものは素晴らしいものだと思います。でも、その気持ちのまま進んだ先が、必ずしも自分が一番向いている場所だとは限らない。実際、僕にとっては、小説やシナリオなどの創作物より、事実を元にしたルポ系の記事や、インタビュー系の記事が一番才能を発揮できる場所でした。褒められる量が、誇張じゃなく1万倍くらい違うんですよ(笑) 自分で創作するわけじゃなく、実際に存在する人を描くので、変に美化されることなく、リアルに描けるんです。「好きなこと」と「向いていること」の間で悩んだ……という、よくあるタイプの悩みの話だと思うんですが、何が言いたいかと言うと、ギフテッドとはいえ、その辺は他の人と変わらないということです。

これから

・個人としての思い

今となっては、自分の欲求は「なにを書くか」ではなく「どう書くか」のほうが強いことに気づき、コンテンツを因数分解するようにして抽象的な思考で見られるようになりました。僕は小説やドラマよりも、距離感が必要な雑誌やネットの連載コンテンツが向いているようです。自分の才能との折り合いもつき、夢は叶えられていないものの、褒められることが多い分野を仕事にして、公私ともに充実しています。正直、野心とかはないタイプなので、妻と散歩したりバトミントンしたりする生活を今後も続けられたら大満足です。仕事面では、向いていることなら自然と結果もついてくるはずなので、いい意味で「求められる仕事をしていこう」といった緩い温度感でいます。

このような人生観を持つようになったのは、自分がギフテッドだとカテゴライズされた感覚が衝撃的だったのが大きく関係していると思います。その後の人生で自分以外のギフテッドに会って感じたのは、「ギフテッドは大天才ではない」というか。専門書で挙げられるギフテッドにはスティーブ・ジョブズやオードリー・タンが登場しますけど、少数派とはいえギフテッドは世界の総人口の2%もいるわけで、全員がそんな大天才なわけないですよね。もともとは、自分もなにかを成し遂げなくてはという使命感がありました。でも、なにか成し遂げなければ幸せではないかというと、必ずしもそうではないとだんだん思うようになっていったんです。

そう考えらえるようになるにおいては、妻との出会いは重要なポイントでした。妻とは相性が良くて、彼女自身はギフテッドではないのですが、共感してもらえている実感があり、素の自分でいても大丈夫と思える存在です。妻は「緩い時間」を大切にする人です。つき合い始めたころは歩くスピードが遅いなぁと感じたりもしたんですけど(笑)、彼女とのかかわりの中で人生を穏やかに過ごす尊さを教えてもらいました。

このような考えを「それって敗北宣言では?」と言う人もいるかもしれませんが、そう言われてもかまわないし、気にしていないです。何気ない時間を積み重ねることが大事だと僕自身は考えていますし、その結果、世の中に適応できている気がします。

映画やドラマでは、天才の人生が悲劇的に描かれることがよくあります。その中では、才能を持った人が自分を犠牲にした社会貢献が美談として語られる。けれども、必ずしもその道を選択する必要はないと思います。自分も「脚本家として大成しなくちゃ」という考えに折り合いをつけて、夢の形を変えていった感覚があります。自分に期待しすぎる人は、やれるはず、とつらくなるのかもしれません。それはつらい思いをした分の、ゆがんだ自己愛の裏返し、とも取れると思うんです。

・ギフテッドとしての思い

ギフテッドの情報として出てくるのは子どもの話が多くて、大人のギフテッドはあまり情報がないことが不安でした。ギフテッドはSNSでの発信をしない人が多いと感じています。才能をひけらかしているととられる感があるし、ギフテッドを公言して失敗している人は検索しても出てきませんよね。ハイリーじゃないギフテッドはどのように社会に出てコミットしたのか…自分も大学のときに知りたかったし、不安でした。だからこそ自分は、そういう部分やエピソードを出していった方がいいのでは?と今では思っています。子どもよりも、高校生や大学生に読んでもらえるような、瓶に手紙を入れてネットの海に投げるようなことができればと考えています。ギフテッドがどう一般社会に溶け込んでいくのか、ということをコンテンツとして作っていきたいです。

他の当事者に伝えたいこと

自分は大学生のとき、「ギフテッドか、ギフテッドじゃないか」で周囲の人を判断していた時期があります。だから、下に見るとかではなく、自分が傷つきたくないがゆえに本音を打ち明ける相手を選んでいた感じだったのですが、今までの人生を振り返ってみると、自分を支えてくれたり励ましてくれたりした人は必ずしもギフテッドではなかった。当たり前の話ですが、「ギフテッド」という言葉を知って傷ついている最中は、ギフテッドではない人たちに対して敵意や恨みにも似た感情を覚えることもあると思います。でも、人生はそんな捨てたものではない。自分の見せ方や、コミュニケーションの方法を工夫する必要はありますが、ネガティブな感情で潰れないでいてほしいと願っています。

インタビュー後記

今回は当事者会を主宰されている土居綾美さんのご紹介で岡本拓さんのお話を伺いました。

岡本さんからは子どもの頃からのエピソード、特に成長の段階に合わせた心の動きの部分を詳しくお話を伺う事が出来ました。ギフテッドという個性を知らなかった時、知った時の変化など当事者の方が読まれたら共感する部分がたくさんあるのではないかと思いますし、保護者の皆さまにとってはお子さんを理解する上でとても参考になるエピソードなのではないかと感じています。周囲の友だちとは異なる感覚を持つギフテッドの個性を自分なりに理解し、受け入れて、工夫して寄り添うこと。岡本さんは貴重な事例を示して下さっていると思います。岡本さん、ご協力を頂きありがとうございました。(酒井)

同じ当事者として共感する部分もあった一方で、「ここはわたしとは違うな」と感じるお話もありました。ギフテッドという枠組みの中でも非常に多様な特性、個性の方がいることを実感し、多様な当事者の方の声をきくことが、ギフテッドとはどのような存在なのかを考えていく上で重要になってくることを改めて感じています。

また、岡本さんの現在の生活や心持ちについてのお話をお伺いする中で、才能や能力にとらわれすぎず、自分の人生について主体的に選択・決定していくことの大切さを感じました。

人生の先輩として、非常に参考になるお話であったとともに、この先の人生に不安を抱えながら生きている私を含めた当事者の方々・子どもたちを勇気づけてくれるお話であると思います。

瓶に入った手紙、受け取りました。(土居)

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才能はみだしっ子の仲間たち
このページは、書籍「才能はみだしっ子の育て方」の出版後、著者・酒井由紀子が直接お話を伺った方々のインタビュー集です。様々な角度から才能はみだしっ子たちの姿を探っていきます。  (シェアは歓迎ですが、記事を許可なく転載もしくはコピーして配布することを禁じます。)