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父が死ぬ間際に教えてくれた事

私は海外永住者です。日本の親から遠く離れて暮らしていたので父親と連絡を取るたびにジャーナルをつけ記録をとるようにしていました。

父は晩年になり体も頭も急速に衰え亡くなりました。そうやって親が壊れていくのはその時はわからないものです。だから記録はとても有用でした。

父が亡くなるまでいろいろありました。母も病気で亡くなる一方、妹は親の資産に手をつけていました。現在も相続調停中です。

両親が亡くなり妹と争うことになって私が生まれ育った家庭は終焉を迎えました。

そんな中でも、私は父との最後の会話でとても大切な事を教えられた気がします。これはその過程の記録です。


2021年5月28日 転倒

親父が坂で仰向けに転倒した。背負った買い物でバランスを崩したらしい。頭が切れ血だらけで救急車で搬送された。

幸い頭を縫っただけで済んだ。無理したんだろうな。気持ちはわかる。でも血まみれはやめてくれ。

父は片足がだんだん不自由になりました。この後も何回も外で転倒しますが転び方を工夫したので(本人談)血まみれになったのはこの一回だけでした。

転倒すると自分で起き上がれないので通りかかる人を待って助けてもらってました。それがみっともないと母と妹は嫌がっていました。

2021年6月11日 リハビリ入院

足のリハビリ入院中だよ、と親父からメール。朝早くから女部屋の患者たちが飯を出せと看護師たちと言い合いしてうるさくて寝てられないそうだ。いったいどんな病院だ。

2021年7月6日 メール誤消去

以前母親の病気の事を調べてメールで送った。それを誤消去したとのことで再送。親父はパソコンが得意でこんな事今まで無かったのだが。

2021年7月10日  iPadが使えない

iPadにログインできなくなった。親父は以前はできていた操作が確実にできなくなっているようだ。

2021年7月21日 パソコンウィルス

親父のパソコンがウィルスにやられたので対策を説明。電話ではわからなかったけど後からわかったよとメール報告。

この頃から親父のメールの末尾に変な英文字の羅列が入るようになった。

2021年8月15日 大変なんだよ

動画通話は復帰したが、「忙しくて大変だ」と不満げに言う。母親や妹と揉めているようだったので、それとなく妹や母親に聞いてみてもわからず。  

妹は実家近くに住んでいて、週末に実家で親に食事を振る舞っていました。その際に父と喧嘩になるのです。

父はストレスに思って私に何度も相談していました。認知症の兆候はすでにあり、この時は状況を説明できなくなっていたのだと思います。

2021年10月14日 (1) 電動カート

親父が高齢者用の電動カート購入をどう思うかメールで聞いてきた。私は賛成だと伝えた。残された時間は限られている。やりたい事はなんでもやってほしい。

ところが妹がすごい剣幕で電話してきた。

「私は口を出さない」と言いながら、転んで起き上がれないくせに外へ行くな、電動カートなんか迷惑だ買うなとまくし立てる。その一方で父は歩いて脚力をつけるべきなのに指図通りにしない、と不満をぶちまける。

私は「お前は転ぶからカートに乗って外へ行くな、でも外で歩けと言ってる。口出ししないと言いながら口出ししてる。全部矛盾してる」と言い返した。

するとわからないそっちが悪いと捨てゼリフを吐かれ電話を切られた。

その後親父は電動カートをあきらめたようだ。

妹とはとても仲が悪く、十代で違う国に住んでからは行き来がありませんでした。親のことでやりとりはしましたが、妹とは関わりたくなかったのです。

この時も電動カートの事で私が「街には車椅子の人たちだっているじゃないか」と言うと妹は「あんなの邪魔だから」と吐き捨てるように言うのです。

そういう妹が心の底から嫌いなんです。

2021年10月14日 (2) リフォームの後悔

前に親父が「リフォームしたキッチンをきれいに使えとガミガミ言われる」と相談してきた。

実家のリフォーム代は妹と私で折半した。でもこれは間違いだった。妹は「金を出した自分に従え」と老いた親に詰め寄るような人間だ。たかが半分払ったぐらいで。

親父が震える声で「汚れひとつ無く使え、なんて自分達はもうそんなことできないんだよ」と言ってたのを思い出すと切ない。

妹に話しても逆ギレされる。良かれと思ったリフォームで親に辛い思いをさせてしまったのが悔やまれる。

体がきかないなりに努力しているのに「汚く使わせるために金を出したんじゃない」と妹に言われて父には辛かったようです。どう使おうと親が喜べばそれでよいのに。

その後相続で妹はリフォーム代は立て替えただけだから返せと言ってきました。

2021年12月8日 認知症

親父と電話。

母親が白内障手術をする病院がどこにあるか思い出せず、えっと、あそこの、あー、うー、と言ったきり黙ってしまった。

わからなくてもいいよと言ったがフリーズしたままだ。会話が何分も止まってしまった。そして、とにかく大変なんだよと切られた。

あきらかにおかしいので妹に連絡して懸念を伝えたが聞き入れようとしない。

この時点で認知症は始まっていたと思います。それまでは変だなと思うことはありましたが、会話が止まってしまうのは初めてでした。

2021年12月17日  転倒・入院・夜間せん妄

父親が救急車で入院した。

早朝にパンツ一丁で倒れていた。母親が声をかけたら「探し物をしてるだけだ」と言った。

母親は白内障の手術をしたばかりでよく見えない。親父の声はしっかりしていたから放っておいた。しばらくしてもまだ倒れていたので救急車を呼んだ、だそうだ。

親父に怪我は無いようだ。脳梗塞を疑ったが、口調はしっかりしてた。夜間せん妄か。最近会話が続かず表情が無かった。認知機能が低下し夜にせん妄が起きていたと考えると腑に落ちる。

その後親父が妹に電話して病院に持ってくる物を言ってきたそうだ。それもあり妹は親父が認知症だと受け入れない。

2021年12月21日 最後の電話

病院の親父に電話してみると通じた。声が細い。

転倒したことを聞くが説明できない。「要領を得なくて大変申し訳ない」と謝ってきた。律儀な親父らしくて笑ってしまった。いいんだよそんな事。親父も笑っていた。

親父は電話しながら寝てしまった。気づいた看護師さんが声をかけるのが聞こえた。

妹は親父が病院で服を脱ぐ「謎の行動」が起きると不思議がっている。だから認知症なんだよ。

2021年12月22日 医者の話

妹が病院で医者と面談。 

認知症の診断だった。せん妄症状が出ている。まだしっかりした部分があるから家庭の環境に戻るのが一番とのこと。

2021年12月28日  メール

以前携帯に残した留守電を聞いたらしく「元気だよ 入院してます」と親父からメールがきた。親父からの最後のメールになった。

2021年12月30日 看護師さんありがとう

親父の動画が送られてきた。「どちらさんもごくろうさまです」とテキ屋みたいだな。顔をしかめる表情は照れているからだ。

動画は看護師さん達が撮ってくれる。感じのいい病院だ。
翌日動画を送るとしばらくしてから既読がついた。

2022年1月7日 父誕生日

看護師さんたちが書いた誕生日メッセージを持った親父の動画が送られてきた。声がか細いがちゃんと挨拶を述べていた。

2022年1月8日  肺炎感染・郁子伯母

親父の肺炎感染が判明。微熱が続きCT検査をしたら片肺に重度の炎症が起きていた。

要安静なのになぜか妹が面会に行った。親父は妹を見て「イクコ」と呼んだ。何年も前に亡くなった親父の妹だ。母親が父方の家族を毛嫌いしたので没交渉だった。

郁子伯母さんが亡くなった時、親父は日記に「兄らしい事は何もしてやれなかった」と書いていた。ずっと心の底にあったのか。

妹は伯母の名前だとわからず「イクコと呼んだ、信じられない」と繰り返していた。郁子は伯母の事だと教えたら私に敵意をむき出しにした。

抗生物質を投与し経過を見るそうだ。良くなったら携帯をみるだろうとLineで動画を送ってみた。

実は妹はこの時嫌がる父の手をつかんで定期預金解約書に署名させていました。そのために病院に無理を言って面会したのです。

妹は後述のエンディングノートも見つけていてそこから父のATMカードも暗証番号も手に入れます。

2022年1月9日 クレジットカードの違和感

親父は以前クレジットカードを作ろうとしていた。

妹によると母に家計用のカードを取り上げられ、自分のカードを作れと言われたそうだ。家計用カードの支払いは父の収入からなのでおかしな話だ。

妹がとりなしたと言っていたが明らかに何か隠し事をしている。父の日記ではちょうど母が親父に定期を解約して妹に渡せと詰め寄って拒否されていた頃だ。妹は嘘ばかり言っていて違和感しかない。

このころ妹は隠れて父の預金をATMから引き出しはじめていました。おろした札束の山はリュックに入れて何ヶ月も持ち歩いていました。

2022年1月11日 膿胸水

抗生物質が効いて親父の熱が下がった。膿胸水があり内科で抜くとのこと。

妹が親父の書斎からエンディングノートを見つけていた。エンディングノートには延命措置はいらないとあったので病院で書類にサインしてきたそうだ。

親父がそう意思表示してくれていたのはありがたい。だが妹はエンディングノートの残りは見ていないとわざとらしく言う。また嘘をついている。

2022年1月17日 経過順調

胸腔ドレーンで2000ccも胸水を抜いた。

せん妄気味だった時は横柄だったが、熱が下がったら人当たりがよいとのこと。裏表のある年寄りだな、親父は。

2022年1月21日 妹面会

妹が親父と面会。胸のドレーンを抜かないように手が拘束されていた。

親父はさっき孫が来ていたと言い出す。妹は不思議がるだけで認知症と認めない。

2022年2月11日 要介護度5

親父は要介護5になってしまった。寝たきり認定だ。もう実家には戻れない。

膿胸のドレーンは継続中。ドレーンが終われば転院になる。

2022年2月25日 衰弱始まる

妹が医者と面談。心臓近くの膿胸は取りきれないとの事。

40日もの治療で親父は嚥下能力が無くなりゼリーさえ喉につかえる状態だ。
栄養は点滴のみ。衰弱が始まっている。

2022年3月1日 新型コロナ感染

ようやく日本への入国ビザが取れそうだ。

だが親父が新型コロナに感染してしまいコロナ病棟に移された。危惧していたけどどうしようもない。日本に行って病院から連絡を待つ事になる。

2022年3月21日 新型コロナから生還

日本に来ている。実家に滞在中。

病院から連絡。親父は重症化せず奇跡の回復を遂げた。2日続けて陰性なら面会できる。

親父は今頃になって「僕はコロナなんですか?」と聞いたそうだ。医師は「こんな人は初めて」と笑ってた。

終日寝ている事が多いので日を選んで私を面会させてくれるそうだ。

2022年3月27日 廃人

病院で親父に会ってきた。

仰向けで横たわっている親父はほとんど反応がなかった。腐った魚のような目は焦点が合わず、口の片側が半分開いたままで顔が歪んでいた。生ける屍だった。

私がわかるかと聞くと、うぅ、わがうわがう、と不明瞭に囁くように言った。そのままうつろな目でゆっくり横を向きそれっきり反応が無かった。

廃人同様の親父の横で声を押し殺して泣いた。
マスクの中が鼻水だらけになった。

実家で母親に説明しながらまた泣いた。
母は不機嫌に顔をそむけ嫌悪を露わにした。母はそういう人だった。

2022年4月7日 とある商社マンの記憶

前回の顛末を聞いた医師が、おかしいなぁ起きてれば機嫌良くペラペラ喋るのに、と再度面会させてくれた。

ちょっと先生それを先に言ってよ。男泣きに泣いちゃったじゃないか。

親父は今日は意識がはっきりして見た目も前回とは別人だった。私がすぐわかり名前で呼んだ。そして「よくここまで来たな」と掠れた声で言った。

そうかそうか私が来たのが嬉しいのか、とまた目頭が熱くなったがよく聞くと話は違っていた。

親父は仕事でシンガポールの高級ホテルに泊まっていると思っていた。そしてたまたま私も仕事で来ていて偶然出会った事になっていた。

ここはほんとにいいホテルだよ、と褒めちぎる。お前はどのホテルに泊まってるんだ、連絡先を置いてってくれよと言う。

そしてパキスタンの人たちの接待をするんだ。パキスタン文化を勉強する英語のセミナーに行くんだよ、と少し自慢げに教えてくれた。

親父は世界を飛びまわる商社マンだった。そのキャリアのごく初めにパキスタンに長期滞在していた事がある。その時の記憶だった。

半世紀以上前の記憶が鮮やかに蘇り、親父は記憶の中の世界にいた。外国住まいの私がその世界に現れても違和感は無いらしい。こんなところで会うなんて奇遇だねと喜ぶ。

親父は、大きな家を借りて住んでるんだよ、と教えてくれた。洋間がいくつもあるとっても素敵な家なんだ。洋間はいくつ?と聞くと、なぞるようにひとーつ、ふたーつとゆっくり数え、八つ洋間があると言った。

ひょっとすると、と思い二階建てで一階に寝室がある家かと聞くとそうだと言う。スェーデンで両親が住んでいた大きな家だ。自分も何回か訪れた事がある。

その大きな家にはピアノが三台もあるんだ、と教えてくれた。そうだね、親父は若い頃よくピアノを弾いていたね。

横浜の実家は?と聞くと、あの家はもう古いからなぁと興味が無い。母や妹の事を聞いても関心が無く、代わりに今まで家族には話した事のない昔のビジネスや商談の話をしだした。

親父は時々喋るのをやめ、瞬きもせず仰向けに遠くを見ていた。そんな時は記憶の断片が蘇ってきているらしく、次に私を確かめるように見つめながらまた話しだした。

親父の記憶の断片たちはすっかりごちゃ混ぜになっていたが、訪れたいろんな国の眩い思い出の中にいるのは確かだった。

しばらくすると親父は子供のようにあくびをしてゆっくりと目を閉じて眠ってしまった。

親父は一番輝きに満ちて楽しかった頃の世界にいた。私はとても安堵した。

実家で母と妹に顛末を話した。
母は不満げに「勝手にいい家に住んじゃってさ」と恨みごとを言った。
そういう人なのだ。

妹は何も言わず私を睨みつけてきた。

2022年4月30日 アメリカへ帰国

私はアメリカ国籍なのでいつまでも日本に居られない。滞在期限が迫ってきた。

妹が父親の預金を引き出しているのは把握した。私の相続分から金をやるから教えろと言ったらペラペラ全部しゃべった。持ち歩いている札束の山も見せた。

もちろん私は一銭もやる気はない。

こんな事もう止めてくれ。親の資産を動かすなら連絡してくれと言うと、妹はすごい剣幕で父の資産はお前に関係ないと反発してきた。

さらに妹は多額の立替金があると言い出した。もちろんでっちあげだ。親は義弟にも多額の借金があると見え透いた嘘をつく。ノリミツお前もグルなのか。

妹は、親の死期が迫ると醜い意図を隠そうとしなくなった。憎悪むき出しで私にかかってくる。

父が私に何度も相談してきたのはこう言う事だったのか。

私は日本で弁護士を雇うことにした。母と妹に滞在中ありがとうとだけ置き手紙を残しアメリカに帰った。

弁護士を立てて以来妹とは全くやり取りしていません。でっちあげの立替金は無くなりました。弁護士さんって偉大です。

2022年5月16日 母死去

母が死去した。癌だったが最後まで元気で、奇跡のように痛みも苦しみも無かった。

母とは埋まらない距離があったけど最後に一緒に時間を過ごせてよかったと思う。

妹は母が亡くなると母の預金も引き出し始めました。父の分と合わせるとちょっとしたマンションが買える金額です。

幸い私が引き出した額を把握していたので全額弁護士が預かり金として保管することになりました。ほんとに弁護士さんって偉大です。

2022年5月31日 親父逝去

父が静かに息を引き取った。

昔、私が日本に帰らずアメリカに永住するつもりだと伝えたら親父は何も言わず後押ししてくれた。

親父には認知症になっても覚えていた海外時代の思い出があった。自分と私を重ねていたのかもしれない。

親父の最後の思い出は海外ばかりで、海外に永住する私の日常と重なるものがある。でもそうなのか。確かに私は人生の大半を海外で過ごしてきた。だが親父のように死ぬ間際に思い起こせるような思い出があるだろうか。全く自信がない。

実は海外に住んでいるかなんて関係無いのだろう。どこにいようと日常はある。あり続けて思い出となる。本当に大切なのは日常をどう生きるかって事じゃないのか。

親父は最後に思い出となって忘れない日常を送ることの大切さを教えてくれたのだと思う。

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