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小説:月の時間

 幼少期に教わった知識は、例えそれが矛盾だらけのものだとしても頭の中に長く残るものである。その少しずつ間違っている情報を縫い合せて広がっていく僕の宇宙は、物理法則を無視して、僕の脳内で成り立つ。

「おひさまの昼、お月さまの夜、まわりまわって春夏秋冬」

 これは膵臓癌で亡くなった母親が、でたらめの音程で歌っていた口癖みたいなものだった。昼はおひさまの時間、夜はお月さまの時間だと、母親はよく唱えていた。

 こんな小さなきっかけで僕は、夏の黄昏時、おひさまとお月さまが共存するその短い時間を否定する子に育ったのであった。晴天に釘つけられている月のことを、「月もどき」と言っていた。

 その僕の考え方は、僕にその知識を教えてくれた母親がこの世から去り、通夜の前の真夏の空を見ても変わらなかった。

「羨ましいね。お母さんはこれから半年もないのに」

 小学校に上がるとき、お母さんと一緒に受けた健康健診で、至って健康と言われた僕に、帰り道の車の中で、母親は言った。

 「月もどき」が空に浮かび上がっていた頃、僕はまるで母親の寿命を奪ってまで生きている気分になった。

 母親はそれから半年を超え、一年三ヶ月を生きて、亡くなった。

「お母さんの分まで、君は生きてね」

 これは母親からの言葉ではない。父親が僕に頼んだのだ。いつも「残り寿命を分けてあげることができるなら、あなたに残りの半分を捧げたい」と言っていたお父さんだったが、その父親も母親が亡くなって九ヶ月後に、高速道路で逆走していたお年寄りの車と真正面から衝突して、即死した。

 葬式の時は、残された一人っ子の僕に親戚や親の知り合いが大勢きて、慰めてくれたが、僕は遺体のない棺に向かって、こっそりこういった。


「お父さん、寿命の半分、あげられたね」

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