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雨、青色の珈琲、煙管の音。

とある田舎の平日の昼下がり…

今日はついてない。
いや、今日に限らず私はついてない。

少し散歩をするだけの予定だったから、
傘を持っていなかったのだ。

半里も歩かぬつもりであったが、
天気予報くらい確認すれば良かった。

雨宿りできそうな場所を探す。
コンビニは近くにはない。
どこにでもある普通の田舎だからだ。

服に雨が染みる。
少し冷えてきた。

軒先でもいいから、雨を避けたい。

「これだから、雨は嫌いなんだ」

そう呟いた矢先、曲がり角で、
何かが光っているのが見える。

あれは青色の回転灯…
喫茶店なのか…?

私は珈琲が好きだ。
良く近所の喫茶店に行く。
だが、ここに喫茶店があるのは知らなかった。

ここで休憩しよう。
そう思うと、少し足取りが軽くなった。

「カフェ・バー ブルー」
店先の看板にはそう書いてある。
傘立てはでているが、傘は一本もない。

肩の水滴を払ってから、ドアを開ける。
からんからん、と音が鳴る。

少し入って、店内を見渡す。
カウンターが五席、
テーブル席が二つ。
こじんまりとした喫茶店だ。
客は自分以外にはいない。

「いらっしゃいませ」

この声で我に返る。
カウンターの奥に、男が一人。

「一人なんだけど」

「お好きな席にどうぞ」

そう言われて、真ん中のカウンター席に進む。

「初めてのご来店ですか?」

「そうだけど」

「当店、珈琲とお酒しかご用意できません。
 よろしかったでしょうか?」

後出しジャンケンみたいだな、と思いつつ、
軽く頷く。

「何になさいますか?」

「…珈琲、ホットで」

「かしこまりました」

改めて、店内を見渡す。
暗めの照明は、バーもしているからだろう。
男の後ろにはたくさんの瓶が並んでいる。
音楽は、ジャズのようだ。
詳しくはないが、ブルース、
と言うやつかもしれない。

「お待たせしました」

また我に返る。

「珈琲になります。お砂糖とミルクは
 お申し付けください」

「…ありがとう…!?」

青かった。

その珈琲は青かった。

目を擦って、また見てみる。

青い。濃い青だ。
透明感のない、しっかりとした青だ。

「………」

「冷めないうちに、どうぞ」

「…はい…」

「青い珈琲は初めてですか?」

「!?…はい…」

「今日は一段と濃い青ですね、
 味に変化はないと思いますが…」

「…そうですか…」

「ささ、どうぞ」

「…いただきます」

香りは普通の珈琲だ。
一口飲んでみる。

「……美味しい…」

苦味と酸味のバランス、コク。
今まで飲んだ珈琲の中で一番だ。

「それは良かった!ありがとうございます」

男はニコニコしている。

「…あの…」

「いかがなさいました?」

「…なんで青いんですか?」

「青かったらダメですか?」

「…いや…珈琲は普通、黒、というか、
 茶色、というか…」

「確かにそうかもしれませんね!
 でも、青い珈琲も美味しいでしょ?」

「…何か、着色料とか…?」

「いえ、添加物は入っていませんよ!
 ちゃんと豆から出した色です」

「…そうですか…」

もう一口飲む。
味は確かに美味しい。
でもなぜ青いのか。

「…あの…」

「マスター、でいいですよ」

「……マスター、この珈琲は美味しいです。
 でも、どうして青色なんですか?」

「青かったらダメですか?」

「…いえ、そういうわけでは…」

「ふふっ、みなさん、初めは
 そんな反応ですよ」

「…そうですか…」

「この珈琲には魔法がかかっているんです」

「…?魔法?」

「お客様の心が、沈んでいれば青色が
 濃くでます。反対に、浮かんでいれば
 淡い青になりますよ」

「…そうですか…」

不思議な話だと思った。
だが、マスターの口調からは、
嘘だとは思えなかった。

「…マスター」

「はい?」

「…私の気持ちが見えるのですか?」

「そうですね、これは私の推理なのですが、
 散歩中に雨に降られて、落ち込んでいた
 ところ、この店を見つけて少し安堵した、
 といった感じでしょうか?」

「…その通りです…」

「やっぱり、そうでしたか。
 急な雨でしたからね、天気予報も
 あてにならないもんです」

どうやら晴れの予報だったようだ。

もう一口飲む。
少しぬるくなり、余韻が楽しい温度になった。

「…マスター」

「なんでしょう?」

「…いつから、ここで喫茶店を
 やられているのですか?」

「そうですね、もう四年になります」

「…そうですか…」

もう一口飲む。
あと一口くらいか。

「…マスター」

「はい」

「…お酒も出しているんですか?」

「はい、一応バーでもありますので」

「…そうですか…」

「何かお飲みになりますか?」

「…一杯だけ…」

「かしこまりました。
 何にいたしましょう?」

「…おまかせ…で…」

「かしこまりました」

マスターは後ろの瓶から一本選ぶと、
ロックグラスに注いだ。

「お待たせしました、こちら、
 雨の日の一本、になります」

「…ありがとうございます…」

雨の日の一本、と言うくらいなら、
静かな酒なのかもしれない。

一口飲んでみる。

「……美味しい…」

予想を裏切ってきた。
少し甘めのテイスト、花のような香り、
そしてたっぷりの余韻。

「…マスター」

「いかがなさいました?」

「…これにも、魔法がかかっているんですか?」

「いえ、これにはかかっていませんよ」

「…そうですか…」

急に静かになった。
音楽が止まったようだ。

「リクエスト、ありますか?」

「…今の私にピッタリの曲で…」

「かしこまりました」

マスターは棚から一枚のレコードを
取り出した。
プレーヤーにセットする。

流れてきたのは、明るいジャズだった。
詳しくはないが、スィング、
と言うやつかもしれない。

「…マスター」

「ああ、仰りたいことはわかりますよ。
 なぜこの曲にしたのか、ってね」

「…そうですか…」

「ほら、残った珈琲を見てください」

そう言われて、見てみる。

珈琲は少し淡い青色になっていた。

「…どうして…?」

「きっと、心が晴れたんですよ。
 雨の日の一本には、そういう効能が
 ありますからね」

「…そうですか…」

「お客様、お煙草はされますか?」

「…?少しは吸いますが…」

「それなら良かった。今、吸っても
 よろしいでしょうか?」

「…?私が、ですか?」

「いえ、私が吸うのです」

「あ、ああ、そうですか、どうぞ」

「ありがとうございます」

マスターはポケットから
煙管を取り出した。
刻み煙草を詰め、マッチで火をつける。

ふかして、煙を吐く。

三服ほどして、灰皿に煙管を打ちつけた。

二回、カンカーン、と音が鳴る。

私には心地よく聞こえた。

「おかわりいたしますか?」

「…いえ、もうお会計で」

「かしこまりました」

金額はどのぐらいだろうか?

「…!安い…」

「煙管をお許しいただけたので、
 サービスしております」

「…そうですか」

「ありがとうございました、
 またお越しくださいませ」

「…ありがとう、また来るよ」

「お待ちしております」

カランカラン、と音が鳴る。

ふと見上げると、
夕陽が落ちていく途中だった。

月がもう頭上にある。

綺麗な上弦の月だ。

店の外ではこんなに時間が経っていたのか、
と思うほど、一瞬のように感じた。

また来よう。

そう思って、帰路に着いた。

足取りは軽かった。

その後、私は何度も近くを散歩したが、
その店を見つけることはできなかった。

その不思議な喫茶店は、
次はあなたの前に現れるかもしれない。

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