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  • 私は立教大学を卒業した22歳女子で、左官職人見習い

    春からなにすんのって聞かれたらこちらを送らせてもらいます。

最近の記事

本当はオーストラリアでサバイバルをしていた話がしたい

去年の8月から今年の3月までオーストラリアにいた。半年以上の生活のハイライトをまとめられず、感想を尋ねられたらコアラがユーカリを食べている4秒の動画を見せていた。 コアラの話もしなくなって、今年二度目の夏が来た。お好み焼きを焼いていたら、今泉さんがオーストラリアの話聞いてないよと言っていた。スマホをMacに繋げようかと留学の振り返り発表会が始まりそうだったから、代わりにエッセイでもお届けしようと思う。 最初から書きたいことが多すぎる。私が渡航した日は、フライトキャンセル祭

    • 「ラーメン横綱」の冷やし麻辣担々麺・お酢五回しがけが最高に好き。

      セミの声が聞こえて、冷蔵庫を開けば赤いスイカと目が合う。今年もお酢を5回しする季節がやってきた。日曜日の昼下がり、夏季限定「冷やし麻辣担々麺」を食べに、父親の運転するデカくて白い車に乗って国道線沿いに並ぶ「ラーメン横綱」に向かった。 関東・京都・大阪・兵庫。和歌山・東海に展開されている横綱。関東エリアとして記載されている店舗は全て千葉県であった。千葉エリアと記載しないことについては大した関心はない。東京ディズニーランドや東京ドイツ村だけでなく、マッチングアプリにいる私だって

      • 福島へのまなざし

        ひょんなことから経産相の方々に案内いただいた帰還困難区域を含む福島のまちと福島第一原子力発電所の構内。千葉に生まれて育った私は当日を迎える前から、被災地を眼差すことへの自信がなかった。被災された方々の苦しみを軽くすることが出来ないうしろめたさが立ち上がるからだ。 被災した当事者の痛みだって完全に分かることができない。かつて暮らしていた彼らが戻れなくなった場所を眼差し、数日後には千葉で楽しく笑っているような私には涙を流す資格すらないと思った。 最初に訪れた帰還困難区域に佇む

        • 不真面目な逃亡者が「渡し船」となる日がくるのかもしれない

          ”奥”を守るためには渡し船が必要である 会津の奥の方にある、最後にコツンと当たる“なにか”。世界の入り口に立つ人間には簡単に触れることができない。草木をかき分けて深い森へと潜っても、まだまだ道は続いているようだ。何に出会えるのかすら確かではない。そもそも、”なにか”は本当に存在するのだろうか……。多くの人はその過程で進むことを諦めて戻り、一部の覚悟を持った人だけが突き進んでいく。そうしてやっと、会津の「奥」に出会う。険しい道のりを乗り越えられた者にだけ辿り着くことができるか

        本当はオーストラリアでサバイバルをしていた話がしたい

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        • 私は立教大学を卒業した22歳女子で、左官職人見習い
          2本

        記事

          【第1章】私は立教大学を卒業した22歳女子で、左官職人見習い

          みなさん、お元気ですか〜〜 韓国に春は来てますか?大学の履修は組めましたか?就活はうまくいってますか? ということで、このnoteは0章から2章にかけて書いていくもので、いつも心配してくれる友人に向けて近況報告を兼ねて書いています。なので、友人のみなさんも、これから友人になれたら嬉しい、初めましてのみなさんもそんな距離感で読んでくれれば嬉しいです。 前回第0章は、大卒が左官職人になるってそんなにおかしいんですかという、もやもやを発散した文章に終わりましたね ▼まだ読んで

          【第1章】私は立教大学を卒業した22歳女子で、左官職人見習い

          【第0章】私は立教大学を卒業した22歳女子で左官職人見習い

          初めましての人も、お久しぶりの人もこのnoteを開いてくれてありがとうございます。 題名の通り第0章なんですけど、第2章くらいまで書こうと思っています。そして、最後で読んだ時に裏切るようなことになる可能性もあるので前もって言っておくと、今は左官職人見習いを辞退して、新たに就職活動をしています。この春卒業するということで、紆余曲折としたこれまでの1年間をまとめてみたいと思います。 「卒業した後なにするの?」 あぁ、なんて答えたらいいかなぁ。 友人達は時に誇らしげに、時に

          【第0章】私は立教大学を卒業した22歳女子で左官職人見習い