本当はオーストラリアでサバイバルをしていた話がしたい
去年の8月から今年の3月までオーストラリアにいた。半年以上の生活のハイライトをまとめられず、感想を尋ねられたらコアラがユーカリを食べている4秒の動画を見せていた。
コアラの話もしなくなって、今年二度目の夏が来た。お好み焼きを焼いていたら、今泉さんがオーストラリアの話聞いてないよと言っていた。スマホをMacに繋げようかと留学の振り返り発表会が始まりそうだったから、代わりにエッセイでもお届けしようと思う。
最初から書きたいことが多すぎる。私が渡航した日は、フライトキャンセル祭りだった。搭乗口がどんどん変わっていく。アナウンスは聞き取れないし、搭乗口の場所も見つけられなかった。道ゆく人に声かけてまわり、同じ飛行機に乗る人に出会ってからは親ガモを見つけた気持ちだった。
未だに理解できないが、便の変更をするために追加で1万円くらいのチケットを買わなければならなかった。気づいたらカウンターでブチギレていて、自分にびっくりした。英語が能力を測る手段から、他者とコミュニケーションするための道具になったのだ。英語に抵抗があるとか言ってられない。
無力すぎて、無敵。
2023年8月27日22時頃、真冬のメルボルンに着陸した。予定から12時間遅れての到着だった。
メルボルン滞在3日目に帰りたくなった。何にストレスを感じているのかも分からなかった。住んでいたシェアハウスをテラスハウスと呼んでいた。夜中にシャワーを浴びると冷たかった。朝早く起きてフードバンクに並んだ。最近ではワーホリに行く貧困ジャパニーズの象徴としてニュースで見かける。日本食が食べられなくて狂いそうだったから、あんこを煮詰めてみた。無いものはつくればいいということに気づいた。
ねむくなった。
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