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昇り飛龍事件

感情に任せてnoteに思ったことを書こうと思うと、なかなかネガティブだったり攻撃的だったりする文章が出来上がってしまい、公開しないまま削除するということが何度か続いてしまった。

世の中には悲しいことや、やりきれないことが多いなぁと思いながら、こういう時は昔の馬鹿な話でも書いておこうと思う。

私は大学時代、学生寮に住んでいた。十数年前の当時で既に築45年という、見た目は廃墟、中身もほぼ廃墟な学生寮だ。当然男子寮で、200人近くの馬鹿な男子大学生が暮らしていた。

寮費は非常に安く、1か月2万円以下で風呂、朝夜の2食付きだ。家賃に相当する【寄宿料】なるものはなんと700円である。自治寮という、学生自身が運営を行う形態であったため、寮生から収集する寮費の中から、食堂のおばちゃんを雇う費用や、風呂の重油代なども捻出していた。

当時は既にカケラも無かったが、元々は学生運動の前線基地のような寮だったらしく、いたるところに赤っぽい名残があったのを覚えている。正直、当時ですらそんな思想に傾倒しているやつは1人もいなかった。私ももちろん、全然そっち系ではない。

私はこの寮では会計を担当していた。会計の担当は2人いて、1人は数字を合わせる「財務担当」。そして私が担当していたのは、寮費を滞納する寮生から金を取り立てる「情宣担当」であった。生来の顔の怖さが良い方向に働いたのか、私の人柄の良さがそうさせたのか、私が担当になってからは割と滞納は減った気がする。決して、滞納している人の親兄弟にまで取り立ての電話をかけまくったことが原因ではないはずだ。

ここでの暮らしはなかなかネタになるものが多い。主に下ネタだが。なので、汚い話題が苦手な方はこちらで読むのをやめることをオススメする。本当に直接的な汚い話なので……もちろん、装飾、誇大表現アリでお送りする。

『昇り飛龍事件』

ある日の朝、私の住んでいた学生寮の三階の廊下に、叫び声が響き渡った。大声に起こされた私も、寝ぼけながら叫び声のする「トイレ」へと向かった。こういう時は、大抵馬鹿みたいな事件が起こっているのだ。

私が着いたときには、既に結構な人がトイレに集まってきていた。口々に、すげぇ!やべぇ!と声をあげている。

どうしたのか尋ねると、後輩の1人が「これ見てくださいよ!」と便器の中を指さしていた。

そこには、大き目な焼き芋と見紛うほどの見事な【アレ】が、どこまでも真っ直ぐに、天に向かって伸び上がるように鎮座していた。【アレ】は、本来そこにあるべきことが当然のものではありつつも、その大きさ、太さから、もはやファンタジーの領域と言っても過言では無かった。

そういえば、ゴリラが発見されたのは19世紀に入ってからで、それまでは妖精などと同じ扱いであったのだったな、などということをその時思い出したかどうかは覚えていないが、それくらいの衝撃があったことは事実だ。そう、ゴリラが現実世界に存在したように、【アレ】も今、我々の目の前にあるのだから信じるしかない。

その時、後輩の1人が気付いた。

「すみません、俺、気づいちゃったんですけど……」

往年の名作ドラマ「ケイゾク」の中谷美紀ばりの台詞である。

「見てください…こいつ…真ん中あたりで『色が変わっている』」

その言葉に、一人の後輩がぽつりと「まさか……日付変更線?」と呟いた。その発想力と言葉のチョイスには脱帽である。そのたった一言で、トイレは爆笑に包まれた。

そんなこんなでひとしきり笑ったのだが、【アレ】をそのままにしておくわけにもいかない。我々は共同生活を送っている仲間なので、犯人探しなどもしない。とりあえず、海へお帰りいただくしかない、ということになり、後輩が水洗トイレのレバーを捻ってみる。

勢い良く水が流れ、【アレ】を押し流していく。ああ、良かった、と全員がほっと息を付いたその時だった。

「う……うわぁぁあああああ!」

水洗レバーを捻った後輩が、また叫んだ。

「こいつ!戻ってきましたよ!まるで昇り飛龍みたいに!」

この後輩の言葉のセンスには驚かされるばかりだ。一旦流れた【アレ】が水圧の壁を破って再び便器の中に戻ってくることを『昇り飛龍』と表現できる文学者が、今日本に何人いるだろうか?そんな馬鹿は多分1人も居ない。思ってても、文学者のプライドを賭けて、口にしないだろう。

そもそも、水洗トイレというのは【アレ】が戻ってこれるようには作られていない。それだけこの【アレ】が規格外だったということだ。TOTOの想定する基準をどれだけ上回っていればこのようなことになるのか。

もはや【アレ】などという表現では生ぬるい。【日付変更線をその身に刻んだ古の昇り飛龍】は、その後何度か我々の攻撃(水圧)に押し流されながらも、依然として住処から出て行こうとはしなかった。やはり、古龍を退治するには勇者の到着が待たれるところだった。

そして、勇者は現れた。

割り箸という聖剣を携え、古龍の住処に戻ってきたのは、あの言葉のセンスが凄い後輩だった。

後輩は、聖剣によって古龍を切り刻み、無事に住処から追い出すことに成功した。その姿は、まぎれもない勇者だった。

これが、我らが寮で起こった『昇り飛龍事件』の顛末である。非常に汚い話で本当に申し訳ない。

だが、我々は忘れてはいけない。折れた剣を手に、強大な敵に立ち向かうものこそが「勇者」なのだ。たとえそれが割り箸であったとしても。

最後にそれっぽいことを書いておけばなんとなくいい話だったような感じでごまかせると思いました。

お粗末。



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