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物語のタネ その伍『宇宙料理人 #10』完

俺の名前は、田中雅人。
50歳の料理人。
日本人初の宇宙料理人として、国際宇宙ステーションで様々な実験を行う宇宙飛行士の為に食事を作るのが俺の仕事だ。

ソムチャイ、フェルナンド、ゲイリーと4人で、宇宙に持っていくならどの肉がいいのか?の論争をしている。
ま、結局皆自分が食べたい肉、食べたい食べ方の主張をしているだけなのだが。
因みに、俺は、豚肉だね。
勿論、牛も鶏も好きだし、ラムも捨てがたい。
あー、馬肉もね、馬刺し、美味いな〜。
でも、俺は豚だ、今はね。

そう、『食』っていうのは難しい。
皆「美味しいものを食べたい」という欲求は共通。
同じなのにその「美味しい」が人それぞれ違うのだ。
同じゴールを目ざしているのに、そのゴールの形がそれぞれ違う。
そして、皆、自分のゴールの形が一番!だと思っている。
ある意味それは争いの種だ。
宗教だって同じだ。
皆「幸せになりたい」場合によっては「平和になりたい」という欲求というか目的は同じだ。
だが、皆、自分たちが考える、信じるその形があり、それが一番だと思っている。
で、他はダメだと争いが起こる。
全くもって本末転倒甚だしいが、起こってしまうのだ。
「隣人を愛せよ」と書いてあるのに、その隣人が自分と違う価値観を持っていると憎んでしまうのだ。
人間の抱える矛盾である。

が、俺が思うに、食に関しては、それが無い様に感じる。
「食べ物の恨みは恐ろしい」という言葉もあるが、それは、“食わせなかった、食えなかった“という恨みであって、“食えた“のであればそんな恨みは生まれないだろう。
さっき言ったこととちょっと矛盾するかもだが、「美味しい」は、これが一番ってのがそれぞれあったとしても、それ以外にも「美味しいな〜」というものや瞬間はある。
初めて食べた異国の料理だって美味しい!ってのはあるし。
すげー腹が空いていた時に食べた、なんの変哲もないクラッカーはすげー美味しいし。
気の合う仲間や家族と囲んだ食卓での食事は勿論美味しいが、仕事終わりに缶詰のつまみで飲む缶ビールの美味さも極上だ。

そして、人は「美味しい!」を感じている時、すごく幸せなんだと思う。
そんな幸せを感じている時に、他の人を憎んだりはしないだろう。
つまり「美味しい食事」は人生を幸せにする秘訣なんだな。
そして、それはとても懐が深くて、多様性があり寛容である。
そこが素晴らしいところなんだ。

昨日、俺は豚肉の生姜焼きを作った。
フェルナンドもゲイリーもソムチャイも、皆、初体験だった。
そして、皆、「美味しい」と言っていた。

国も育ちも年齢も違う俺たち4人が皆幸せになり、その時間を共有し、それによって更に幸せになった。
それは「美味しい」が引き起こした奇跡であると同時に、人間が生きる上での根源的なあるべき時間でもあるのだ、きっと。

そうだ、俺たち料理人は「美味しいもの」を作り出すんじゃないんだ。
人の心の中に「美味しい」を誕生させるきっかけとなるものを作っているんだ。

フェルナンド、ゲイリー、ソムチャイ。
これから1年間、この3人が少しでも多くの幸せな時間を過ごせるように。
毎日彼らの心に「美味しい」が生まれるように。
それが俺がここにいる意味なのだ。

3人の、牛肉vs鶏肉バトルはまだ続いている。
では、ちょっと俺は失礼して今日の献立を。

さて、何を作ろうかな。

(宇宙料理人 第1章 完)


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