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誤読のフランク18回 建国の英雄 散髪屋の椅子 国旗に包まれた男 バイク乗り

Bar - Detroit

ロバートフランクがジョージ・ワシントンやリンカーンをどう思っているかということはよくわからないけども。それをBARに掲げて御真影にするみたいなことは、ロバートフランクみたいな外国人にはよく分からないような気がする。日本は天皇の御真影が明治以降に広まったり、祖先の写真を飾っている家もあったので、身近には感じる部分はある。
あー、でも、建国の象徴を飾るのは世界中どこでも一緒か。毛沢東とかゲバラとかはアイコンになってて世界中どこでも飾られてるか。じゃあ、これは、一般的でつまらない写真だ。
なんて書くと話が終わってしまう。
とりあえず、三分割のラインを引いてみると、構図的によく練られているのだということは気付く。敢えて外す、とか。
そして、旗がはためいている。このアメリカンズでは何枚目かな。旗はアメリカというものを象徴、アイコン化していると考えると、アメリカのカリカチュアとしての題材に選ばれる、選ばれやすいものだ。

ちなみに、この国旗、今僕たちが見ている国旗とは違う。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の国旗
1959年と60年に一つづつ星が増えている。
当時はニューメキシコとかが数に含まれてなかったのか。アメリカンズの初版と現行の版とは地名とか違ってるのかしらん? ちょっとよくわからないけど。

ちょっと前の写真でリンカーンは黒人解放に向かったとされているが、ネイティブ・アメリカンに対する虐殺を行った話が出てきてたのだけど、ワシントンも同様、ネイティブ・アメリカンに対する虐殺を行っている。

《ワシントンが軍を指揮していた間、インディアンを絶滅させる方針は一貫していて、ワシントンの軍隊はブーツトップやレギンスを作るためにイロコイ族の尻の皮を剥いだ。ワシントンによる虐殺を生き延びたインディアンたちは、ワシントンを「町の破壊者 (Town Destroyer)」と呼んだ。エリー湖畔からモホーク川にかけて、30を数えたセネカ族の集落のうち、ワシントンの直接命令によって、ここまでの5年未満の間で28の町村が破壊し尽くされたのである。またこのなかには、モホーク族、オノンダーガ族、カユーガ族のすべての町と集落が含まれていた。》
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジョージ・ワシントン

1つ前のシークエンスは自動車のロードムービーだった。中西部から西部にかけてのロードムービー、行き止まりがロスのマリブビーチ。歌に歌われたルート66を戻ってデトロイト。
当然自動車産業の街だ。
自動車の比喩は西部劇の馬車の比喩だ。第二次世界大戦以降、1950年代あたりまでには大量の西部劇が作られた。昔、子供の頃、日曜洋画劇場でさいならさいならの淀川長治が、古い西部劇をよくかけてて、子供ながらにワクワクしながら見てた記憶がある。それは一般の人々が開拓に夢踊らせる時代。

《1950年代に入る頃から、フロンティア精神を肯定してそこに主人公(ヒーロー)がいて無法者や先住民を倒す「西部劇」という一つの図式が崩れ始めた。1950年のデルマー・デイヴィス監督『折れた矢』は先住民は他者で白人コミュニティを脅かす存在という図式ではなく、先住民の側から描き、戦いを好むのではなく平和を求める彼らの姿を描いた。それは、当時黒人の地位向上を目指す公民権運動が次第に激しくなる時代に入り、人権意識が高まる中でインディアンや黒人の描き方が批判されるようになって、単なる勧善懲悪では有り得ない現実を浮かび上がらせ、それまでの西部劇が捨象してきた問題に対して向き合わざるを得なくなったことであった。》
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/西部劇

先に上げたSFの隆盛もこのフロンティア精神とリンクしているのはご存知のとおり。

となるとだ。

一般的なアメリカ白人社会の平均的なアメリカ市民の立場から見ると、建国の英雄だけど、一旦公民権運動側に立つと、虐殺者の肖像だ。車のシークエンスで死体がシートに包まれているのは、シートの中にはインディアンか黒人の死体なのだ(文脈から見るとそういう可能性は大いにある)。

Barber shop through screen window - McClellenville, South Carolina

そして、以上の文脈から言うと、床屋の椅子ではなくて、このイメージは電気椅子ではないか。

もしくは、ツイン・ピークスの赤い部屋みたいな、インナースペースみたいな感じも受けるかも。そもそも、床屋ってちょっと淫靡なイメージがあるのはどこでも一緒だろうか? 映画の「髪結いの亭主」とかってのは特異な方か。
日本だと髪結いの亭主という言葉はヒモの代名詞だから、特にそう感じるのかも知れない。

日本では、絞首刑。
https://matome.naver.jp/m/odai/2139420539268575601

アメリカンズの頃、アメリカではどうだったんだろ?
https://deathpenaltyinfo.org/part-i-history-death-penalty

電気椅子は1980年代に薬物使用に置きかわるまで多くの州で使われていたそうだ。淫靡で甘美な死と椅子、他人の死ほど、甘美な娯楽はないのかも知れない。
われわれ人類は、その娯楽を知っている。

後ろのボトルが聴衆、両手でカメラを持ちガラス越しに撮影しているロバートフランクもその1人だ。背景の映り込みの一般住宅は市民の意味か。社会学、集団心理を学んだ者にとってたとえば社会の暗黒面は盲目的な群衆の熱狂が最大限生かされたときに、大きな悲劇が起こることは容易に想像ができる。この覗き込まれた部屋はアメリカ人の精神世界か、それともロバートフランクの心の中か。

アメリカンズの撮影されたものは、アメリカ人が見ているものを描いてきた。このシークエンスでは映画的に、ショートストーリーを断片的に繋ぎ合わせているように見える。始まりは漠然としてて、いつの間にか、イメージが次のイメージと連結して八艘飛びのように、思わぬ場所にたどり着く。
後にロバートフランクは映像を手掛けるようになるが、ホントに映像の断片が流れてゆくような気がする。

まー、ほんとの所はどうかわからないけど、この文章を書いていてイメージの堆積によってゾッとする写真にいくつかぶつかってきた。この写真もその一つのように感じる。何でもないような写真こそが、一番意味が深いのかも知れない。

奥の正面の窓が印象的。これもフレームインフレームになるのかな?


Backyard - Venice West, California

で、イメージがたどり着いたのは、ご丁寧に国旗に包まれている1人の男。

昼寝かな?
包まれるシリーズ、ロバートフランクはこのシリーズだけで写真を集めようとしてたように思う。最終的にやめたけど。カリフォルニアでは包まれる写真を撮ろうと探していたのかな?

この1枚、デトロイトのBARの写真で揺れていた国旗が、ふんわり舞い降りて、人を包んでいる。包むことは、このシークエンスでは死体だ。ビニールシートが国旗に入れ替わって、雑然とした庭で体を休めている。
アメリカに包まれてrest in peace の状態か。
放置された自動車もある。この写真は一つの開拓時代の終焉とある種の世界の終わりの写真かも知れない。自然の残酷さが白人社会へも侵攻してきたととっても良い。若しかすると、戦場の比喩かも知れない。

この写真にたどり着くと、もうビニールシートの写真はただのビニールシートの写真ではなく心穏やかに見られなくなってしまうように思う。

フロンティア精神は人種間の悲劇に彩られている。西へ西へと向かった果てのカリフォルニアで、たどり着いたのは国旗の栄光に包まれ、目を瞑って(覆って)眠る男。馬車の代わりの車は朽ち果て、畑は木々が生い茂っている。この場所にこのイメージは、アメリカンズの中でもかなり重要な要素として機能してる1枚ではないかと思う。

そういや、日本人で、ビニールシートを題材としてた人が居たなー。と思い出したけど、思い出せなくて、三日目にFBで聞いてみたら、田中長徳さんが教えて下さいました。まさに生き字引。ありがたいです。

小林のりおさん。
http://www.artbow.com/blue.html
ジャパニーズブルーって日本のブルーシートを撮影して作品化している。淡々と日常では見逃されている光景を撮影してて、当時、写真を始めたばかりの頃に面白い切り口だなと思って記憶に残った。
東北の震災を経験した今の時代から見ると、ビニールシートはもう別の意味に浸されてしまっていて、同じ写真でも全く別の意味が出てきたように思う。2011年以降、ブルーシートを見ると、震災の記憶が蘇るような気がしていたんだけど、7年、8年経ってしまうと、また薄れてくるような気がして、その心的外傷に近いほど強い印象だったビニールシートの色に対する感じ方も、忘却してゆく、というのは、なんとも言えないことだと思う。
剥がしても剥がれないような恐怖感が、いつの間にか日常の雑事に飲み込まれ、僕らは日々を過ごす。

記憶とは、強くもあり弱くもあるものだ。
この一連の記事を「誤読」と書いたのは意味がある。僕らは当時、その現場に居たものでは無い。写真は当事者にしか撮れないもので、60年も前の話なんか、今僕らが考えることを当時と同じ感情や同じ身体感覚で受け取ることは決してできないし、分かりようもない。
さらに、資料を見て「ロバートフランクがこう撮った」「ここに○○がある」と読んで、分かった積もりになるのは、何かを見ることにはなっていない。若しかすると旅の行程も分かるかもしれない。この時にロバートフランクがこういう所に行って、こうこう、こうしたと記録があるかもしれない。正しい記録だとしても、でも、それじゃ、違うんだよなぁ、と思いたい。

そして、これを棺桶+星条旗、と読みたい、と思う。


Newburgh, New York

新しいカウボーイ。1950年代に始まる新たなモータリゼーション。前の写真、次の写真とは全く趣が違うため、なんでこの写真がここにあるのか分からなかったが、今回丹念に読んでると、なぜこのイメージがここにあるのかなんとなく分かった気がする。

このシークエンスは映画のシーンのようだと書いた縦構図のカウボーイ。カウボーイの写真から始まるこのシークエンスの終わりの写真。12枚続くカウボーイと西部劇の話なのではないかと思える。妄想的だけど。

The Hells Angels Motorcycle Club は48年に作られたそう。
70年代80年代に麻薬や暴力的な問題で悪く知られるようになったけど、最初はどうもバイク乗り同好会みたいな小集団だったみたい。とはいえ、屈強な男ばかりのイメージあるけど。
https://newsd.co/ever-wanted-know-iconic-hells-angels-motorcycle-club/

って、このリンク先の写真、Irving Penn – Hells Angels (San Francisco), 1967. Appeared in Look magazine だよね。ペンペン。

ライフのビルレイも女性達を撮ってる。
timeline.com/women-hells-angels-ladies-3134cbae0776

日本語の同好会っていう言葉のイメージとはイメージ違うよね。

考えてみれば僕が子供の頃、暴走族が流行ってたんだよね。90年代にはもう古臭い奴らとみられて2006年の映画「下妻物語」あたりでは、嘲笑の対象として描かれたりしてる(だからこそかっこいい映画になっている)。
で、あの暴走族の文化って、たとえばヘルズエンジェルスあたりが源流なのか!なんて今気付いた次第。

チーム名にこだわったり、チームのためにとか、同じチームの結束とか。日本の暴走族がいびつなのは、日本的根性論とか軍隊式の集団心理とか、力の強いものに媚びへつらうとかの、日本的な集団行動に最適化されたため、あんな風に、ちよっと可哀想(今の目から見ると)な感じになってしまったのではないか、などと感じてしまう。

でも、この写真を見ながら、悪たれ集団とか、無法者の集団では、人種は関係なくなるというのは、きっとどこの社会でも同じことではないか、などと思ったりする。

最初、この写真を見た時には、職務質問受けてる暴走族、みたいな雰囲気を感じたけど、よく見ると、警察じゃないよね。サンドイッチ(か何か)を手にしてる黒人はバイク乗りと並列の、ほぼ変わらない位置にいる。サンドイッチ(か何か)を一緒に食べている風だし。どうもバイク乗り同士で、若しかすると、黒人ともうひとりの男はバイクイベントのセキュリティとかって可能性はありそう。
オルタモントの悲劇、の話を思い出すんだよね。古いロックミュージックのファンとしては、何度も読んだ話。そんなセキュリティのバイトをこの当時、やってたかどうか、よくわからないけども。

たとえば、久しぶりー! おー、お前も来たか。なんて話があって、バイク乗りの方がちょうどサンドイッチ買って来たんだ。食う? 食う食う。一日中立ってて辛いよな。まーねー。国道沿いのパーツ屋あるじゃん、あそこでさ、こないださ。

って感じかもって想像するのが楽しい。

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