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誤読のフランク(改訂版) 第9回 モトラマ 不思議な3人(RFA-11)(RFA-12)

Motorama - Los Angelos  モトラマ ロサンゼルス(RFA-11)

そして、映画だ。新しい新世代のレストラン。映画のプレミア上映会。新しい音楽。新しい映画の見方。自家用車で映画を鑑賞する生活。あれだよね、車で映画見るやつだよね。
これは、映画を見ている子供たち、と、親? 運転手? うん、運転手と取った方が面白く見れるかも。

裕福な家庭の子供たちは映画を見るためにおしゃれして車で出かける。運転手は、彼らのことを気にかけていて、時々後部座席の子供たちに目を向ける。大丈夫かい? 大丈夫です。

映画はきっと冒険活劇か、ディズニー映画か。妹が見たいとねだるので「眠れる森の美女」とか。この頃かかっていただろう1950年代前半に公開された映画の一覧を見ていると「海底二万哩」とかある。
雰囲気なら「二万哩」がおすすめか。

子供たちにとっては少し大きな車の中はまるで潜水艦のようだった。暗い夜のカーポートに同じように並ぶ車の窓から眺める各々のあかりは深海魚の群れ。その中で彼らはどのような話をしただろう。まるで夢見心地のようではないか。こんな子供の時代があったらどんなか嬉しかっただろうとか思ってしまう。いいなー。なんて思いながらよく見ると、写ってるのは子供ではないかもしれないとも思えてくる。

若い夫婦は毎週、決まった時間に運転手に連れられて映画に出かける。おしゃれして、2人だけの小さなデート。そちらの方がロマンチックか。映画を見ているようで見ていない。運転手はいるけど、いないようないるような。2人きりのような2人だけでないような。ステキな1枚。。。

で。


今までの話は、嘘。全部間違い。でした。忘れてしまってください。

検索してしまいました。モトラマって何か。
1949から61年にかけてGMが開いていたモーターショーだって。
https://en.wikipedia.org/wiki/General_Motors_Motorama
モーターショー! モーターショーの会場の写真。
どおりで運転手ぽいけど子供っぽい。2人は大人に見えるけど、やっぱり子供かな。そうだよね。そうだよね。

ページは対比の構造で連続しているように見える。あたかも見ている人の意識を行ったり来たりさせているように思える。
前のページのジュークボックスにたむろする少年達は、食べられないほどは貧しくはなかろうが、モトラマの最新の車に乗るような家庭では到底ないだろう。ただの街の悪ガキたちだ。
第2シークエンスは裕福な男。綺麗な女性。悪ガキたち。裕福な子供。
次は何が来るだろうかと、思うと、これだ。次。


New York City ニューヨークシティ(RFA-12)

男娼だよね。男達だよね。そう見えるよね。

いや、向かって右のブラックの人、なんとなく乳首ぽい皺あるから女性? でも右のドーラン塗ってる人とか、よく分からないが、むしろ男性っぽく見える。元々男性。ちがう〜?そう見えるというかずうっとそう思って見ていたので、本当のことを知ってる人は、教えないで下さい。

何にせよ、この本の正面向きの写真はギョッとする。
雑踏を歩いている時に、正面からじっと見られてるような感じ。
前に同じような構図は老女と海兵隊のショット。(この文章書いているのが遅々として進まないから、だいぶ昔に見た気分。)
それだけこの本は正面からのカットは少ない。

少しだけ、写真批評的に考えてみるとロバート フランクより前の時代にアメリカを撮って回った写真家として、ウオーカー エバンスがいる。たぶん、ロバート フランクはその一連の写真を知っていただろう。そして、真似をしなかった。

ウオーカー エバンスのアメリカの写真は、人々の多くは正面を向いて時には笑顔を見せて記念写真のように、フレームに収まっている。対象もやや貧しい人々から本当に貧しい人々の方へ、もちろんそれは、写真を撮ることが、社会調査の仕事だったからロバート フランクのアメリカ人のような階層や状況に幅はない。ちゃんと調査してるとの証拠に、対象とコミュニケーションをとり、話をして、写真を撮っている。

ロバートフランクにはそれがない。すっと入って、すっと撮る。カメラの小型化もあるだろうけど、対象に密接にかかわらなくても、撮れるものは撮れるのだと思う。何年同じ街に通っても何も撮れない人には撮れないし、一瞬すれ違っただけでも何かを撮れる人は撮れる。写真の残酷なところだ(僕も含めて多くの人が、そう撮れるようになりたいと思いながらシャッターを切っているのではないか)。

男か女かはさておき、先程書いたように、この写真は正面から撮られていて、被写体は撮られることを意識している。会話があったのか、カメラを振ってジェスチャーがあったのか、左右の2人はポーズをとり、真ん中は顔を隠している。いや、もっとよく見てみると、左右の2人は向かって左方向のフレーム外の出来事に気を取られているのかも知れない。顔や体の動きから少し気がそぞろのようにも見える。真ん中だけがロバートフランクの意図に気付き、咄嗟に顔を隠している。

その時こんな情景だったのかも知れない。
少しいかがわしい通り。夕日が落ちる前だけど、暗くなり切っていない時間。フランクが歩道を歩いていると、なにかに出くわす。喧嘩か道路で事故とか、荷物がひっくり返ったとか、遠くで誰かが大声をあげたとか。人だかりが出来ているのかも知れない。フランクは1枚、人だかりを撮り、そのまま進もうとすると、この3人がビルの入口から出てきたのが目に入る。何歩か進んで、カメラを振って撮らせてと合図する。
1カット目は3人並んで、2カット目は、1枚目とはほとんど同じ。
3カット目で、左右の2人はもう道路の真ん中の騒動に気を取られている。真ん中の奥の女性が微笑みを浮かべながら、顔に手をやる。

そこまでイメージした時に、背景の文字が気になった。

気になるといままでのイメージにその文字か介入して、もう同じイメージではなくなってゆく。あ、あ、そうか。これも何かのパレードの帰りとか、演劇の劇場の出口とか、そういったものの可能性もあるのかも知れないとも、思った。

壁に貼られた DON'T MISS MISTER MISTIN--の文字。
多分そう書かれているだろう。
気になってしまってしょうが無いから調べてみると
Ringling Brothers and Barnum & Bailey Circus. Don't Miss Mister Mistin, Jr. というのにぶつかった。

https://goo.gl/me4Wt6
アイテム詳細の部分に、このサーカスの巡業ポスターが1953年製とのこと。多分、この写真を読むラインはこの部分がヒントになるのかも知れない。なんだ。サーカスか。なるほど。それならそうと書いてくれればよー。なんて思う。余計な迂回をしてしまった感じ。

この写真は駅とかかな。当時、黒人と白人が自然体で、一緒にいることがどれだけ特殊な環境なのか、日本に住んでて日本で育っている僕には分からない。
でも。なんだか不思議な写真になっているのは、ドーランだけではないはずだ。顔を隠した真ん中の女性の衣装もちょっと異国的な感じ。よく見えないが。

このRingling Brothers and Barnum & Bailey Circus は、どうも大きなサーカスで、巡業に特別列車を使用していた。背景はその列車かもしれない。先に挙げたウォーカーエバンスもサーカスの写真を数多く撮っていてその中にもこのサーカスの写真もあるみたいだ。

ただ、キャプションで説明ないことによって、僕らは彼らの存在が特別なものに感じていた。想像させる写真でもあるけれどもでも、サーカスかも知れないということが分かったら、僕らはもうサーカスの写真として見ているようになる。

写真のキャプションは必要か、必要ないか。
初めに見たときのギョッっとした感じが、サーカスとわかって、少し薄れてしまったように思う。
もし、今知ってがっかりした人がいたら、ごめんなさい。

※この一連の流れ、列車の旅、映画、音楽の受容、自動車産業、サーカス。これって、大衆文化の一覧みたいなシークエンスなのかもしれない。

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