床木「仙床寺」の大般若法要。
2月、佐伯市弥生の床木にある「仙床寺」が賑やかです。
年に一度の「大般若法要」が行われました。
臨済宗「青松山 仙床寺」は1680年に、
当時の庄屋「河野 七郎兵衛」さんによって創建されたそうです。
ただし当初は「地蔵庵」。
仙床寺と改めたのは1882年ということ。意外に近代のことです。
この大般若法要がいつから始まったのかは、確認できませんでしたが、
かつては、出店も並ぶほどの賑わいがあった時代もあったそうです。
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今でも、心温かいおせったいがあり、微笑ましいです。
そして、この法要にあわせて、年に一度、
この階段の上の扉がご開帳されます。
「阿多古勝軍地蔵菩薩像」の披露です。
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この「勝軍地蔵」、なんと鎌倉末~南北朝期に製作された貴重なものです。
1300年代になります。すごい。
(敢えて、写真はここでは披露しませんね。)
そんな「阿多古勝軍地蔵菩薩像」は、
京都の愛宕山に古くから祀られていたものです。
それがなぜ、佐伯市の床木にあるのでしょう?
仙床寺に「勝軍地蔵」が勧請されたのは、1887年7月。
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その20年前の1867年、明治元年の頃、
仏教徒にはつらい時期が訪れていました。
それは、神仏判然令による「廃仏毀釈」です。
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京都では愛宕山に「勝軍地蔵」を留めておくことが難しくなりました。
仙床寺へ地蔵は遷座する流れに向かっていきます。
簡単にいうと・・・
「外来の仏教」と「日本固有の神道」が神仏習合で融合していたものから、
仏教を排除し、極度に神道を重んじようとした明治のはじめの政策により、
地蔵の破壊などが各地で行われ、
その時代背景が「勝軍地蔵」を愛宕山から運び出す要因となりました。
京都の愛宕山から、まず移されたのは、臨済宗の大本山。
あの有名な京都の「妙心寺」です。
今では、日本最大の禅寺といわれる由緒あるお寺に、
「阿多古勝軍地蔵菩薩像」は移されました。
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しかし、ここも聖域ではなかった。ということでしょうか・・・
そして、前述の通り1887年7月に「勝軍地蔵」は床木にやって来ます。
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どうやって運ばれたと思われますか・・・
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それは・・・、当時の仙床寺11代目の和尚が、
背に負ってはるばる京都から運んだといわれています。
信用できるのは、己のみということでしょうか。
確実に運びたかったことが想像されます。
こうして様々な苦労の果てに、勝軍地蔵が床木「仙床寺」にはあるのです。
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庵から寺に改めて、わずか5年目の仙床寺でした。
まさか貴重な地蔵があるとは考えつかない場所として、
選ばれたのでしょうか。
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私は、当時の11代目の和尚に、
地蔵を任せられる人望があったからであると思っています。
そんな深い歴史を抱えるお寺に、
この日はたくさんの和尚さんが集まっています。
そして、このようにお経をぱたぱたぱた・・・・。「転読」です。
じつに、ありがたい空気がこの場を包みます!
そして、表にみんなで大移動。なぜなら・・・
餅まきです!
盛り上がりますね~!!
ずらりと、和尚さんが並ぶ姿は圧巻です。
お餅もたくさんでした。
仙床寺の大般若法要の様子でした。
また来年。
(仙床寺 大般若法要2018)
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