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遺伝子テスト 2023/02/17 ボボボブログ

まずは話の種

  • 遺伝子テストをして自分が夜型人間って思いたい。

  • 真の自由はいらない。自由だと信じれる程度に自由感があれば満足

  • 高次元の話をしようとすればするほど需要が減る=漢字というシステムは人間より機械に向いている

遺伝子テスト

前提として;自己認識について

まず前提として、基本的に人類は皆、自分が何者なのかを知りたいと思う。自己認識には、社会的側面、個人的側面、色々なものがあると思う。前者の例でいうと、どんな仕事をしているのか、どんな立ち回りを求められているのか、どんなキャラだと思われているのか、どのような性自認をしているのか、などが挙げられる。後者の例は、自分がどういう性格なのか、どういう人や物を好きになるのか、どういう風に時間を過ごすのが好きなのか、どういう分野に興味があるのか、などがわかりやすい例だろう。こういった自己認識、自己評価をミスってしまうと、厳密に言えば、自分はこういう人間だろうという判断が間違っていた時、人は無意識下で膨大なストレスを蓄積してしまう。まるで地球のプレートが流れるマグマによって少しずつ動かされていることに気付かないように。自分の人生が全くコントロール下にないような感覚に陥るだろう。ここからが本題。

人間の型

人が自分が何者かを知るのが重要、という話をした。それを踏まえた上で自分が思うのは、遺伝子テストやってみたいなぁということ。自分はつい最近、この世の全てに逆張りをしてみたい、という話をした。でも正直あれは言ってるだけで、本心じゃない。本心じゃないのにあれをあえて言ってる時点であれは逆張りなのである意味あれはサクセス逆張りなのだが、そんな屁理屈はいい。おそらく自分は「夜型人間」だ。父親は絶対に夜型人間。40年以上ヴァンパイアのような生活をしていて、それが彼の仕事に一番合っているようなのでもう彼はこれでいい。自分の場合はかなりぐるぐるしている。忙しい時期、オンラインバイトや課題の蓄積、突然の休みを全力で遊ぼうと一晩中ゲームに勤しむ、などするせいで簡単に太陽の位置がバグる。おそらくダリは僕の疲弊しきった体内時計を見て「記憶の固執」を書き上げた。そんな生活を送る自分はある種のアイデンティティクライシスに陥る。自分は一体何型なんや、と。こういうふうにバラバラに型が変わる時、人々はこんな解決策を生み出す。それが、流動型・Fluid-type person。ジェンダーで言えば、ジェンダーフルイッドがこれにあたる。時と場合によって変わるならそういう型なんだよ!という開き直りである。このコンテクストでの開き直り、自分は嫌いじゃない。結果として新しい型を生み出すことに成功しているからだ。ただ、自分は極度な理想主義的な側面があるので、ちょっと反骨的になって、こんなことをチラッと思ってしまう。
「そもそもどの方にハマらないでも幸せに思える状態が最強じゃね〜〜、、?」
最初にアイデンティティクライシスに陥ってるとか言った人間が口走っていいことではないのは百も承知だが、まぁ自分は5年近くこの状態で生きてきたし、ちょろっと言うくらいなら許されるだろう。あれ?なんか考えながら打ち込んでると全然本題に入らないな、、まぁそれがこの日記の持つ特権、ゆるさなのでよしとしよう。
とにかく、自分の睡眠の型がわかるならわかりたいわな、ってことで最近見つけたのが睡眠の型を遺伝子データをもとに検査できるよ、ってやつ。え、そんなんわかるんかい。ってか、そんなことわかるならもっと他のこともわかっちゃうんじゃないの。たとえば最適職とか、ジェンダーアイデンティティとか、性格とか。めっちゃ単純なこといえば、これ分かれば人生の無駄イベントってほとんど削減できそうな気が、、

ちょっと思考が爆走してるので一旦箇条書きモード

  • 苦手なことを経験するのって意味あるよね

  • デザイナーべビー的な観点から考えた時、親が子の適正パラメータを知ったらディストピアになりそう。かと言って本人が知って育つのもなんかなぁ。。

  • その人が知りたくなったらいつでも知ることができる程度いいのかな?

  • でもそれが当たり前にみんなやってる時代だったら結局みんなやってるかもな、、一部の人しか拒否しなさそう

  • そういう人たちは反ワク派の人たちみたいに蔑まれるのか、、?あーあとっとと知っちゃえばいいのに、、みたいな

  • そう考えると今の反ワク派の人たちも進化の分岐の一種として捉える程度でいいのかな、、

  • でもワクチンの件だと、機能させるために社会としての団結が必要(人口の〇〇%以上が接種しないと意味ない)だったから苛烈化したのか

  • そう考えると自分の適性を知るかどうかはいよいよ個人の判断に任されるだろうから別にいいのかな。

  • 逆に個人の生産性が可視化される社会だったら、お前なんで生活保護受理者じゃないのにそんなに生産性低いんだよ、まさか反適正人か?みたいなこと言われちゃうかも、、(反適性人=自分の適性を知らないという判断をし続けている人達。この言葉、今僕が作りました。はい、僕が作りました。なんかヴィーガンみたいね。)

  • 戦争が正義の時代は非暴力が悪、培養肉が当たり前の時代になったら屠殺が悪になるのと同じで結局その時代の価値観でほとんどのことが決まっちまうのでなんともいえませんなぁ

結局、自分の適正を知りたいのか?

じゃあ結局のところ、僕は自分の適性を知りたいか、知りたくないか、どちらだろうか、、?

正直、知りたい。


でも逆張りしたいので知りたくない!もっと具体的に言うと、これは逆張りしても人に迷惑をかけない逆張りだと思うの。あえてレコードを聴いたっていいじゃないか。あえて紙で本読んだって自由じゃないか。せめてそういう逆張りは許されてほしいし、許せる社会であるべきだと思う。本当に社会の維持が困難なときはしゃーないか、、と身を引くよ。
自分は案外古臭い感動が好きだったりする。高校の時、当時の彼女はスケートが好きだった。かたや自分は初めてのスケートで後頭部からすっ転ぶトラウマを経験していた。その上、ローラースケート、ローラーブレードのような地面が滑る類の競技は全て、スポッチャで何時間練習しても一向に上手くなる気配がなかった。大の苦手分野にトラウマが王手を指していた、それこそ詰んでいるような状態だった。しかし自分はどうしても彼女とスケートがしたくて、スケート激うまフレンドと何時間も何週間も何ヶ月も通い詰めた。店員が僕の顔を覚えるなんていうレベルじゃなかった。他の客が転びまくる僕を覚えるレベルだった。しかし、何度も転んだだけあって、自分は着実に上手くなり、ついにその年のクリスマス、一緒に赤レンガ倉庫でスケートをするに至ったのだ!我ながらいい話だと思う。当時の自分が可愛い。そんでこういう話いいな、って思ってしまう。
何が言いたいかというと、やっぱり自分は自分の適性を知らなくてもいいのかなと思う。いや、まぁ正直綺麗事だと思うよ。社会に出て、今以上に理不尽を体験したらきっと今の僕が想像する以上に簡単に考えが変わるだろう。だがだからこそ、僕は今の僕のこの価値観を記録したい。なのであえて言う、
「苦労を楽しめる大人になろう。本当にキツかったらまぁ遺伝子テストなりなんなりすればいいさ。今はそんなにキツくないから、自分が思う自分の性格を信じるし、自分が好きだと思うものを信じるし、自分がなりたい自分になろうとするよ。その分、その模索が時間の無駄じゃないって思えるように、全力で楽しむよ。よって今の僕は個人の生産性が可視化されない社会を望む。」
ちょっと臭い締めになったけど、これをいずれ読む自分は多分これを書いてくれた自分に感謝するはず。恥じよりもまず感謝が先に来るはず!!こんなびっくりマーク二重でつけてるような文章を書いてる方が恥ずかしくなってきたのでここら辺にします。

あ、でも多分睡眠型テストは近いうち受けます。授業に支障出かねないし。家系に睡眠障害持ちいっぱいいるし。

では、また

斎家リック



P.S. 最初と言ってることが変わってて笑う。まぁ大抵新しい自分の方が賢くて古い自分の方があほなので。

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