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『暦年齢』と『生物学的年齢』のギャップから育成の在り方を考える

育成カテゴリのコーチングに関わったことのある人であれば、同じ年齢(暦上)のプレーヤーであっても体格・パフォーマンスに大きなギャップがあると感じたことがあるだろう。

こうしたギャップを考えるときに、生物学的年齢という概念があることを知っているとまた違った見方・コーチングができるのではないだろうか。

生物学的年齢

さて、生物学的年齢とはなんだろうか。

簡単に言うと、生物学的年齢とは暦年齢に対して身体の成熟度がどのくらいかを診断し、割り出された年齢のことである(計測方法などの詳細についてはここでは省略する)。

当然、暦年齢と生物学的年齢にはギャップが存在する。

『暦年齢』と『生物学的年齢』のギャップ

身体の成熟スピードには、個人差があり性差、さらには人種間でのギャップまでもがある(性差については女子のほうが男子よりも早熟であるし、人種間でのギャップについてはアジア人のほうが白人系よりも早熟であると言われている)。

そのために、特に育成カテゴリにおいては同年齢のプレーヤーだとしても体格やパフォーマンスにかなりのギャップが出てくるの当然の結果だと言える。

コーチには、こうしたギャップを常に意識したコーチングが求められるのだ。

短期視点での評価・判断を勝手にしない

しかし、案外コーチたちは、暦年齢と生物学的年齢の間に存在する歴然たるギャップを無視する傾向にある。

例えばこうだ。

「同じ小学4年生なのに、AくんとBくんのパフォーマンスには大きな差がある。Bくんは体が小さいし、パワーもないからアタッカー向きではないな。彼の将来を考えると目指すべきはリベロかセッターだろう。アタック練習をするよりはたくさんレシーブやトスの練習をさせよう。」

こんな判断がコーチング現場で起こっていないだろうかっ?

もし、生物学的年齢という概念を念頭においていれば。もし、もっと長期的視点でBくんの将来の可能性を考えるコーチングができていれば。

このような愚かな判断は絶対にしないはずである。

育成カテゴリにおけるコーチング

上記のような愚かな判断をする原因はどこにあるのだろうか。

その大きな原因はこれまでの記事の中でも、何度もしつこいほどに書いてきたが勝利至上主義にあると思っている。
※特に日本の小学生カテゴリではフリーポジション制という名のポジション固定制が育成の「環境」として長年存在しており、その「環境」がBくんのような犠牲者をたくさん生んでいる(と思っている)。

「そのカテゴリ」での目下の勝利が至上命題であるならば、上記の例で下されたコーチの判断は適切だ。

しかし、それでいいのだろうか(いや、いいはずがない)。

Bくんの将来の可能性を摘み取ってまで目先の試合に勝利することが重要か(そんなはずがない)。

もちろん試合をする以上、全力で勝ちを目指すのことは当然尊いことであり、そうあるべきである。しかし育成カテゴリにおいては特に勝利が「至上命題」になっては決していけない。

すこし、熱くなって話はそれてしまった感があるが話を戻そう。

育成カテゴリのコーチは自身の自己顕示欲や承認欲求に自らの思考力を奪われることなく、今回テーマとなった『暦年齢』と『生物学的年齢』のギャップも考慮した上で、プレーヤー一人一人に対するベストなコーチング・アプローチを模索し続けなければならない。

言葉で言うほど簡単なことでないことは百も承知である。

しかし、まずはやろうとする。やってみることでしか始まらない。

バレーボールに関する記事を執筆しています。バレーボーラーにとって有益な情報を提供することをコンセプトにしています。