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【小説】 亮介さんとあおいさんとぼくと  28/30

東京というのは、奈良からはずいぶん遠くて、縁がないところだった。家族で何度か足を運んだだけだ。観光するための場所というイメージしかなかった。ディズニーランドや東京タワーやお台場。そういえば、ディズニーランドは千葉にあった。

家族旅行では、二両編成の電車にしか乗ったことのないような両親と、慣れない乗り換えに苦労して、不安を抱えながら、いろんな場所をまわった。

観光というより、ちょっととした冒険だった。父と母も、人が多くて、そっけなくて、空気がきたなくて、こんなところは住むところじゃないと、東京をバカにしていた。

そんな親をもつぼくが東京に住むことになった。不思議なものだった。東京行きの新幹線にはドキドキしたし、おじさんのマネをしてビールを飲んでみたし、東京駅に着いてからも、駅舎がひろく、電車もたくさんあって、出口がたくさんあって、じぶんがいまどこにいて、どこに向かっているのかわからなかった。

そんなぼくでも、2、3年もすれば、中央線だろうと、丸ノ内線だろうと、都営大江戸線だろうと、主だった駅にはスマホに頼らずともいけるようになった。

仕事は、広告業界につとめることになった。ぼくの尊敬する人は、亮介さんも含め、みんな広告業界にいったからだ。仕事はおもったよりもたいへんだった。

朝早くから遅くまで働いた。帰宅してからでも、取引先から電話がかかってくることもよくあった。休日出勤することもしばしばあった。

しっかりとした休日ができても、上司や先輩と一杯やったり、仕事でかかわったイベントに顔をだしたり、業界をひっぱっている人のセミナーに参加するなどしていた。仕事を中心に生活がなりたっていた。

それでも、じぶんがやったことがいくらか世の中を動かしているとおもうと、やりがいのある仕事だった。そうやって、ぼくの二十代はすぎていった。

一方で、「研究会」などのまわりの人たちは、三十歳をむかえるまでに落ち着いていった。というべきか、現実的な選択をするようになっていった。

社会を変えるんだ、と声を大にしていた割に、世間から注目される結果をのこしている人はだれもいない。彼・彼女たちは、大学生活のなかで、じぶんはふつうの人間とはちがった存在なんだということを誇示したいがために、一時的に精神を高揚させていただけなのかもしれない。

彼・彼女たちは、結婚をして、こどもをつくって幸せそうである。谷口も田舎にかえって、高校時代の同級生と結婚したらしい。別に、個人の幸せを大切にしてくれるのは、大いにけっこうである。

しかし、就職してからあっという間に、金曜日と土曜日のお酒のために生き、会社の愚痴をいう人間になるなんて、だれが想像しただろうか。

他人に夢を語り、押し付け、他人の人生を巻き込んでいた責任のようなものを感じることはないのだろうか。あのキラキラしていた彼・彼女たちはどこにいってしまったんだろうか。


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