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ベトナム、ホーチミン市に住み始めて20余年あまり…。 とても理解しがたい出来事や、不条…

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ベトナム、ホーチミン市に住み始めて20余年あまり…。 とても理解しがたい出来事や、不条理な世界をベトナムから 不定期にお届けします。

最近の記事

べエトナミィズム生活#4       夕方の通りを歩いてみる…

空港からタクシーで約20分、あるホテルの前に着いた…。        あきらかに指定したホテルと違うけど、何がどうなってるのかまったく分からない。 後で知るのだが、このタクシードライバー氏は自分の贔屓のホテルの客を連れて行き、コミッションをもらう…というこの国ではごくごく当たり前の事をしたのだ…。                           日本からFAXで予約を入れてるから、指定のホテルに連れてけぇ…!    とややヒステリックに文句を言う。           

    • べエトナミィズム生活#4 Trang氏とTuan君

      結局イミグレを抜けるのに1時間半、更に到着なのに荷物の検査があって すべての荷物 X線を通さなければならなかった。            後で知ったがヌードのグラビアの雑誌、ビデオテープの検閲などがあった。 空港に着いて2時間以上も経って、出口に行って驚いた…!        出口の前に金網があって、そこに何百人とベトナム人がビッシリ張り付いている…。何かの映画で観たアジアのカオスと怖いものを感じた。 とりあえず、4人で何か冷たいものを飲もう…と空港の外にあるレストランの

      • べエトナミィズム生活#3 タンソンニャット国際空港

        羽田空港から関西国際空港を経て、JAL便はタンソンニャット国際空港に着いた。 朝早く羽田を出て、ベトナムの午後の遅い時間に着くと、空港ビルとは言えない建物が見え、ベトナム戦争時代の格納庫のような所を通って(しかも中には軍用ヘリがあった)滑走路の真ん中で飛行機は停まりしばらくそのまま動かなかった。 しばらくして動き出すとすぐに停まり、タラップが横付けされた。    飛行機の外は8月の日本より、カラっとしてたのを覚えている。     が、その後に空港ビルまで乗ったバスが、昔の

        • べエトナミィズム生活#2 初めてのVietnam

          1996年の8月、初めてベトナムに行く事になった。 いわゆるビジネスの視察…なんて名目だったけど、90%は遊びの旅だった。 男4人の旅で、その時は、私が一番若かったので、雑誌やら何やらで情報集めるのが必然的に私の役目だった。 Vietnam…、ハッキリ言ってベトナム戦争しか知識はなくて、色んな想像が頭を巡ったりした…。街は汚いんじゃないかとか、社会主義の厳しいそうな面とか蚊に刺されて病気になったら…など余計な心配ばかりした。 96年当時は、日本からの便は羽田⇒関西空港

        べエトナミィズム生活#4       夕方の通りを歩いてみる…

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          べエトナミィズム生活

          ホーチミンシティ(旧サイゴン)…。 20数年前から、この街に住んでます。 古く住んでる方々は、大方 Saigonと呼んでましたが、私には 何故かそう呼べなくて、Hochiminh Cityと呼んでいました。 理由は、何かこの地に来た若輩者が偉そうにこの国の事も知らずに サイゴンと呼ぶのがおこがましいような気がしたから。 単純にそれ自体も強がってたんですかね…。 しかし、時は流れ、20数年過し、50も後半になり、ベトナム人の妻と 子供をもうけ、やっとSaigon

          べエトナミィズム生活