見出し画像

べエトナミィズム生活#3 タンソンニャット国際空港

羽田空港から関西国際空港を経て、JAL便はタンソンニャット国際空港に着いた。

朝早く羽田を出て、ベトナムの午後の遅い時間に着くと、空港ビルとは言えない建物が見え、ベトナム戦争時代の格納庫のような所を通って(しかも中には軍用ヘリがあった)滑走路の真ん中で飛行機は停まりしばらくそのまま動かなかった。

しばらくして動き出すとすぐに停まり、タラップが横付けされた。    飛行機の外は8月の日本より、カラっとしてたのを覚えている。     が、その後に空港ビルまで乗ったバスが、昔のディーゼルの汽車のように ムッとした嫌な匂いがした。

空港のビルはかなり素朴な物で、まずエアコンがなかった…。      あるのは天井についた扇風機だけで、アジア独特の雰囲気の中それでも  無事着いたベトナムに安堵していた。

人の後について、イミグレーションの部屋に入ると…、         ひとつの列に30人以上が並んでいて、4列位のブースと空いてるブースが やはり4列位あった。

その時、初めてベトナム社会主義共和国に来たんだなぁ…と感じた。   職員は一言も発せず、1人に対してえらい時間をかけて手続きしてる、暑い更に並んでる人も何故かみんな静かに並んでる…、暑い、やはり暑い。  その頃はパスポート以外にVisaの書類とか必要で、そこに不備があると戻され又、列の一番後ろに並ばなきゃいけない。              なんと理不尽な…、と思いながら書類を何度も見直した。

やっと自分の番が来た時のドキドキ感と言ったらなかった。       海外旅行は割と行ってたけど、こんな経験は初めてでベトナムという国が 何となく恐ろしくなった。

1996年8月 まだ34歳だった頃、今から24年前の事だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?