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「たくさんあった青森の映画館」青森県内には153館もの映画館があった

「たくさんあった青森の映画館」

映画全盛期!昭和35年(1960)
全国に7457の映画館があり
観客動員数は年間で十一億二千万人余だったと言います。

その頃の青森県内も153館もの映画館があったんですよ

振り返ると
戦前、1941年には、
アメリカに次ぐ世界第2位の年に
500本を超える映画を日本も作っていたそうで
ちょっと資料をみて驚くも
第二次世界大戦が終わる1945年には26本だったそうで
その多くが戦意高揚映画だったそうです。

そして戦後、人々の生活も安定していき
戦争に行った人も戻ってくると
多くの人は楽しみを求めるようになり
青森市でも自然に娯楽が求められるようになっていったそうです

戦前、戦時中もそうだったように
多くの人が映画に娯楽を求める時代
(戦後値段史年表によれば、映画料金は3月3円、5月は4円50銭)

青森市では先ず相馬町(港町)に映画館が開かれました。

それが「海獣館」という名前
この海獣館は魚油製造工場の跡地
命名の由来もそこらへんから来てるのかも知れません。
いずれにしても、工場に多少手を加えたものだったそうですが
大勢の市民が集まったそうです。

この海獣館の後から
市内各地に映画館が次々出来ていったそうです。

「新興劇場」(古川)、「歌舞伎座」(塩町)、「東宝劇場」(寺町)、「浦部劇場」(名称は「東部劇場」「国際劇場」とかわる。堤町)、「松竹館」(古川)「第一劇場」(長島)、「ロマンス座」(古川)、「高栄劇場」「スバル座」(ともに合浦町)、「東映劇場」(新町)、「文化劇場」(古川)、「オデオン座」(堤町)、「日の出劇場」(波打)、「大勝館」(沖館)、「奈良屋劇場」(古川)、「スカラ座」(新町)などです。

この中で青森古川の地域を見てみると
現在の青森市の中三デパートの位置にあったのが新興劇場

昭和30年には10周年を迎え建物を新築と資料にあります。

ちなみに現在の昭和通りは
以前はこの映画館にちなみに新興劇場通りと呼ばれていたんだとか

新興劇場の近くには
青森松竹もありました。

昭和21年に開館した青森松竹映画劇場は昭和49年に
中三デパートが開店するのに合わせるように新装拡大、
青森松竹会館として生まれ変わりながら平成15年に閉館
現在は多目的活動施設として運営されています

移って夜店通りにあったのが奈良屋劇場
そしてその向かい側にロマンス座
仲町に青森日活などもありました。

このように青森市内中心部だけでもたくさんあった映画館も
時代の流れで次々に閉館していきます。

そんな中で今も市内中心部に残る映画館といえば「奈良屋劇場」

『奈良屋劇場』設立は1954年
館名の「奈良屋」は、創業者が京都出身で奈良県で商売をされていたからだそうです

戦後の映画全盛期から継続して映画館を営業

その後、現館主の谷田氏が1997年3月15日、地上4階建ての「NARAYAビル」に改築。
同ビル3階に『シネマディクト』として改名
再開業して今に至ります。

ビルの正面(国道7号線沿い)には旧劇場時代に使用していたスライド式映写機がモニュメントとして展示、古き映画全盛時代の記憶を伝えるようです。

県内あちこちの映画館が閉館なっていきます。

映画を観たくてたってみたものだなどというと若い世代の子達はビックリしています。



記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)
写真で見るあおもりあのとき : 青森県立郷土館ニュースより
http://kyodokan.exblog.jp/14163053/
シネマディクト
http://www.cinemadict.com/naraya_tusin01.html
写真転載東津軽今昔写真帖
新青森市史より
シネマディクトより

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