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個人的なSLOW WAVES

僕は作家になりたいのでも、編集者になりたいのでも、デザイナーになりたいのでもなく、「本づくり人間」になりたいのだと思った。
書きたいだけじゃない。編みたいだけじゃない。組みたいだけじゃない。書いて、編んで、組んで、作り上げる。宣伝もする。売る。届ける。そういうことを、ひとつひとつ、自分の手で、手作業でやりたいと思った。
そうか、作家になりたい、みたいに、ひとつのことだけにフォーカスした「なりたい」が自分にしっくりこないのは、そういうことだったのか。
そのことに気づいたとき、自分の中にあった靄が、すうっと晴れた感覚があった。
やりたいことを、言葉にできた。
それはすごく自由な感覚だった。

小説家を目指すなら新人賞を取ろう、というのは当然の発想だし、そこから始めるのが一番の近道だ。編集者になるなら、出版社に。デザイナーになるなら、デザイン事務所などに。
と、いうふうに、出版にまつわる仕事は、かなり細分化されている。出版関連の仕事は分業の形がはっきりしていて、それぞれの仕事の中身も、それと聞けばなんとなくイメージできる。

僕はそれが面白くなかった。
小説を書くなら書いて、それで終わり、あとは読んでね。みたいなスタンスで終わるのは、なんだかさみしいというか、物足りないというか、もったいない感じがあった。
書いたなら誰かに届けたい。それも、できるだけかっこよく。そのためには編集が、デザインが必要だ。
そして、それもぜんぶ、自分でやりたい。
というふうに考えるのは僕にとって全然変ではない。むしろ自然に思えるくらい。
だって、誰かに読んでほしくて、自分がやり始めていることなんだから。

文章に関することをやりはじめるまえに、バンドをやっていた時も同じような気持ちだったんだと思う。
曲を作って歌って録って、ライブをして、CDを売って…という、「作る」から「届ける」までを全部自分たちの手でやりたかった。それが喜びだった。

ただ、ビジネスとして本気でやろうとすると、プロたちが跋扈する分業体制に入り込めない。
そんなときに、とにかく「やってみる」。
その、無軌道で、しかし高揚感に満ちた行動の目標として、文学フリマはうってつけの場所だと思う。

自分のこれまでやってきたことを思い返すと、どれもこれも原点は、小学校のとき、友だちと漫画を描きあって、ホチキスで止めて、教室の後ろに置いてみんなに読んでもらっていた、あのころの経験なのかもしれない。
自分で描いたものを誰かに読んでほしい、教室に置いてみたい。でも恥ずかしくって、という僕を、母も先生も後押ししてくれた。それで描いた作品を教室に置いた。みんな読んでくれた。そして、「すげえ!」「いいね!」と言ってくれた。
あのときの、ほとばしる全能感。血が湧き上がるような喜び。あの、作品が誰かに価値を認めてもらえた時のうれしさは、いつだって、何度だって味わいたい、たまらない気持ちだ。

僕はその気持ちをまた味わいたくて、ZINEをはじめたのかもしれない。
利益は度外視。
効率も度外視。
やりたいことをやりたいようにやる。いけないことなんて、どこにもない。

ZINE自体は数年前からやりたい気持ちを持っていたけど、会社を辞めて、時間が少しできて、ようやくいろいろなことを考えられた。
引っ越してきた常滑の海を眺めながら、ZINEのテーマを「海」にすることに決めた。
音楽のZINE、食事のZINEなど、実は色々他にも考えていたことはあるけど、どれもちょっとしたアイディアがあっただけで、形にならなかった。
「海」は形になった。
それは僕にとって、海がとりわけ大切で、重たい、切実な意味を持つものだからなのかもしれない。

僕は18まで日立で過ごした。
27になる歳に常滑に来た。
故郷の海は、今は遠い。でも常滑の海を見ていると、海はどこまでもつながっている、そう思える。それは海のいいところのひとつだ。

「海について書いてほしい」と、僕が心から信頼している人たちに声をかけたのが、11月の始めだった。夏に引っ越してきたころ、昼間の蒸し暑さにすっかり閉口していた常滑の海沿いも、ひっそりと冬の入り口にたち、ぼくは新しい仕事を始めようとしていた。
年が明けて、依頼を快諾してくれた心強い仲間たちから、素晴らしい文章が集まった。それを誰よりも初めに読んだ。心が躍った。この雑誌は、「行ける!」

海を描いた短歌が、小説が、エッセイが集まった。創刊号の特集は「個人的な海」。フィクションも、フィクションじゃないことも、どちらも含めてそれぞれの「個人的な海」が集まった。通しでゲラを見ていて、まったくこの一冊が「ぶれている」感じがしなかった。それぞれの文章で語られている海の姿は全く違うし、海と文中の人物の関係も全く違ったけど、海は海だった。ひとつだった。
そのひとつの海が、それぞれの文章のなかでカラフルにきらめいている。「海は個人的な記憶の集合体なのだ」と、僕は本誌のステートメントに書くことになった。

inDesignやillustratorはまったく使ったことがないわけではなかったけど、完全に素人だった。常滑のイオンにある書店で入門書を買ってきて、ちょっと読んではやってみて、またちょっと読んではやってみて、の繰り返し。
奮発してCCに登録したら、こんなにフォントが使えるなんて! と驚いた。使わないやつも含めて大量にダウンロードした。なんだかそれだけで、武器が増えたみたいに、組版をする自分の手が勇ましく、バチバチとキーを叩いた。

校正をお願いしていた友だちから、コメント付きのwordを戻してもらう。それをまとめて、著者に戻す。赤字をもらって、また直す。ひとり印刷所をやっていた時期はちょっと作業が多くてヘロヘロしたけど、本ができあがればそんな疲労はどうでもいい。というか、その印刷所的な作業をこつこつとやっていた時間が長かったからこそ、出来上がりの喜びもいっそう大きい。
効率よくやれ、とうるさく言う人にはそんな気持ちはわからない。大切なのは、「自分でやること」なんだから。

ジャームッシュの「パターソン」で、主人公は仕事が始まる前のバスのなかで詩を書いていた。発表はしない。しかし、詩を書くときの瞳は澄んでいて、大切なことを見通したいという、無垢な願いがこめられていたように思う。
僕はあの、パターソンと同じ瞳で、文章を書いて、編んで、組んで本を作り、そして、発表したいと思う。誰かに読んでほしいと思う。無垢な願いを知ってほしいと思う。

細かく書いたらキリがないくらい、本づくりは緻密な作業の連続で、面倒の一言につきると言うこともできる。
けれど、僕はその疲れが吹き飛ぶほど、読書との出会いを文学フリマで楽しみたいと、強く、強く願っている。

海を眺めているとき、波の音が耳の中を占拠して、視界の中は行きつ戻りつする波を追いかけて、意識はどんどん無為な穏やかさの中に引き込まれる。
その無為な時間でだけ、感じられるものがある。
思い出せる記憶がある。
嗅ぐことのできる匂いがある。
そういうものを忘れてしまうことが、僕はすごく怖い。
そういうものを忘れないように、大切なものがこぼれ落ちないように、海を眺めていたい。
読者には、そんな時間を、大切なものに満ちた穏やかな波の音を、この雑誌を開いて、聞いてほしい。

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海の文芸誌
SLOW WAVES
issue 01 「個人的な海」
文学フリマ東京36
A-61
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