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【読書録】大好きなほんを探して⑫(2021.12)


年を越したときの読みさしの本はベケットの『マロウン死す』でした。ベケット、なんかすごい。
一年続いてよかった。ほんとすぐ飽きるので。

①それでも、日本人は戦争を選んだ 加藤陽子

大学にいたときに、「加藤陽子さんの『それでも、日本人は戦争を選んだ』、これは名著だから読んどけよ』ってなんかの授業で先生に言われたのを覚えてる。
「いいタイトルだなー」って感じだったと思う。

でもね、大学の時のわたくしなんて、もう文庫一冊買うのにかなりの熟考を要してしまうタイプで、クソほどケチだった。外大の生協の本屋好きだったけどね。ていうか文庫で1000円超えるといまでも抵抗ある。
それが社会人入るとまあ、ある程度はホイホイ本を買えるようになったわけだけど。

で、今さらこれをあらためて読む気になったのは、滝口悠生がなんかでおすすめしてたから。なんだったっけ、たぶん青山ブックセンターの企画で、作家たちがおすすめ本選ぶやつ。去年滝口さんはそこで村上春樹の「猫を棄てる」を選んでたはずなので、第二次世界大戦に関心があるんだろうな、とか思う。

この本の作りを知らなくて、ただ、リーダブルな太平洋戦争史かと思ってたら違った。加藤先生が高校生にワークショップっぽい授業したときの講義録みたいになってて、口語体だからそれはもうリーダブル。スイスイ読める。内田樹的な。
で内容も、日清戦争とか日露戦争とかバンバン書くし、19世紀後半から漏れなく扱ってた。

知らないことはもちろんたくさんあって、たとえば松岡洋右って、やっぱりなんかヤベー奴だと思い込んでたけどそうではなかった。とかね。
歴史、世界史の教科書で当たり前だと思ってたことの奥にいろんなことがあるんだなーと思って,たしかにこれ読むと、教科書で覚えた「通史」のイメージに厚みが出る。ウィルソンってなんかデキる奴だと思ってたけど、意外と…とかね。
わたし、高校のとき、かなり無理しないと行きたい大学行けなかったので、あほみたいに世界史の教材で勉強したんですけど、やー、教科書なんかばっかり読んでても、底が知れてるよな、という思いを、なんか新たにした。教材ってやっぱ教材でしかなくて、そこは学びのスタート地点として設計されているにすぎないので、その奥にもっともっと広大な知識があることを忘れるともうどんどんアホになる。学校のテストだけできる子が別に大して賢くないのと似たような話だなと、なんかこれも、結構思うんだよな。

で、なんで日本人が戦争を選んだのか,は、これを読み切っても、べつによくわからない。ことを進めていたのは政治家だけど、民衆も無関係じゃない。それでも、日本はなんで戦争を選んだのか。
この本はそれを考えるための触媒みたいなもので、それを考えるための「わかりやすい日本の戦争史」だ。
教材だろうが教材じゃなかろうが、読んで、で、じぶんの頭で考えろ、っていうことなんだ、なんでもそうだ。そう考えた。

②モロイ サミュエル・ベケット 宇野邦一訳

ベケットデビューしました。
保坂和志を読んでいたら3日に一回くらい「ベケットのモロイ」の話がくる。読まずにはいられない。
モロイはどうやら体がボロボロで、どっかにひとりでいて、何かをうだうだ考えている。
モロイがいまどこにいるのか、考えていることはなんなのか、モロイには何が見えているのか、そもそもこれなんの話なのか,これを読んでいる自分はこの小説にとってどういう立ち位置なのか。なにひとつわからないまま話が進んでいく。巻末の宇野邦一の解説を読まないことには収まりが全くつかなかった。

IとIIに分かれていて、IIでは別の語り手がモロイのことを語るのに、Iと結局同じような感じでコイツ誰なのかよくわかんないし何を観て何を話してんのか、考え事の記述がうだうだ続く感じでよくわかんないし、もうまじで「得体が知れない」。

でも、たしかに、「モロイ」では、かすかに情景が浮かんだし,荒涼とした風景が見えたと思う、かなしみに形があったと思う。
それが、年末年始をはさんで読んだ「マロウン死す」だと、ほとんど形を無くしてしまう。これを読んでいる自分はなにを見ているのか、どこにいるのか、それが全然わからない。置いてきぼりにされてしまう。
ベケットを2作読んですっかりはまってしまった。こんな小説読んだことなくて、なんかほかのありきたりな話がかなり霞んで見える。

③彗星の孤独 寺尾紗穂


今年読んだエッセイの中ではほんとに随一によかった!

寺尾紗穂さんのこの本を知ったのは、たしか柿内正午さんっていう、ジンつくったりプルーストの本出したりしてる方のツイッターだったような。自分を支えてくれた一札、みたいなかんじで紹介されてて、へー、っていう。シュガーベイブの寺尾次郎の娘さんっていうのもその時は知らなかったけど、「そうなんだ!」ってなる。

寺尾紗穂さんが面白いのは、SSWでありながらこういうエッセイ書いてて、エッセイはわからんでもないけど「南洋と私」とか「原発労働者」とか、社会的なテーマの書籍を複数刊行されてること。

一見「え、なんで?」ってなる触手の広さだけど、それを寺尾さんはこんなかんじで説明してた。

ほかのとこでも色々説明してた気がするけど。
やりたいことを制限しない、やっててあたりまえ。専業?なんでそれが当たり前なの?っていうスタンス自体、新鮮で、じぶんにとっては目から鱗だった。正論と言えばもちろんそうなんだけど、なかなかそう思えていなかった。そう思いたかったのに。

本編では音楽にまつわる話、子育ての話、自然の話……筆が赴くままにつづる、まさに随想がたくさん書かれる。やさしくてあたたかい、春の風みたいな筆致。

④明け方の猫 保坂和志

2021年最後の保坂本。
夢の中で猫になって……という表題作と、デビュー前の「揺籃」を収録。

この本を買ったのは「揺籃」を読みたかったから。

巻末の解説でも、保坂自身が、この「揺籃」と、著者のウェブサイトでメール小説として販売されている「ヒサに旋律の鳴りわたる」だけは、デビュー後のそれと遜色ない、みたいなことを言ってた。
実際、読んでみて,「揺籃」はほかの保坂作品とかなり趣が異なるけど、すごくおもしろい。読ませる。

鎌倉にいる僕は電車に乗る。行き先は新宿。いや、フランスか。フランスに留学した姉は失踪してしまった。

文体にはそれ以降の保坂の片鱗がもちろんあるけど、かなりベケットの影響を受けていることがわかる。「いや、違う。」とか言って言い直したり、よくわかんない場所にずるずる引っ張っていかれてしまったり。そもそも姉が失踪した場所がフランスっていう設定がされている時点で、ベケットが匂う。
ベケットっぽい不安や、ベケットっぽい「喪失」が描かれていながら,どことなく保坂っぽい間の抜けた表現も散見される。中学のころ、姉と一緒にお風呂に入ってドキドキしちゃいました、みたいな、ニッポンの田舎、それも一昔前のやつ……ってなる。とかね。

結果的に独特の味わいがあって、読んでいるときの充実感というか、「物語を読んだな……」みたいな感慨は保坂小説にしてはかなり大きかった。でも文学は物語じゃない、みたいな考え方をする人のはずだから、あまり本意ではないのかも。
でも好きだ。凝ってるのに読ませる文章だし、展開が純粋にスリラー感もあって、楽しいのがいい。それでいてぼんやりした不安や焦りみたいなものが通底してた。

これを書いたのは大学生ぐらいのころだったと、これもたしか巻末に書いてあった。保坂はあまりデビューが早い方ではないと思うけど、デビュー前からすごかったんだと思う。

表題作のほうは、なんか。11月に保坂の猫小説を読みすぎて、食傷気味でした。。

⑤アウレリャーノがやってくる 高橋文樹

話題の本。Amazonで予約して書いました。

新潮新人賞受賞作の表題作と、モロ「破滅派」な小説もう一本、それから「彼自身による高橋文樹」を収録。

Twitterで「もう自分で出す!」みたいになって高橋文樹がゴリゴリ出版計画を進めていくのを見てて、すげーって思ってた。まじかそこまで自分でやるか、みたいな。
そういう政策の経緯も、インディペンデントな創作・流通に興味大なわたし的にかなり気になるトピックだったし、それと同じくらい、タイトルからして作品が気になってた。
アウレリャーノ、どっから来んだ? イエズス会? みたいなことを思いつつ読み始めて、あ、違った……ってなるわけですが、疑問もしっかり解消。爽快(?)なエンディングでした、

表題作ふくめ、のってる小説は実際どっちも「破滅派」の話で、高橋文樹をフォローしているとTwitterでちょこちょこ見かけてた名前とかがだいぶでてきてなんかウケる。こういう現実とのリンクの仕方している小説が新人賞とったりするんだな〜と。

ユーモラスな文章なのがなによりよくて、話の筋も滑稽だけど、なんていうか、高貴なというか……それは言い過ぎか、品のいいユーモアで滑稽な話を語るので、マジメとフマジメの絶妙なバランスが心地いい。三人称すごい。中編とよべる長さでわりとスイスイ読める。あんまり読んだことない感じだった。

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1月の真ん中になってしまった。
なんとか1年分は続けられた。
さすがにそれより短いとなんも続けられん人になってしまうと思ったので。

途中から引用とかしながら丁寧に書くのはやめて、読後の印象ですらない、読書から生まれた考えとかをつらつら書くような、読書録と言っていいのかようわからん感じになってきてましたが、もとはといえば大江健三郎が「読書ノートづくりは長年の日課」みたいなことを言ってて真似したいなと思って始めたはずなので、そうなると引用とかしないと、大江式的にはあんまり意味ない。
でも、引用とかを意識しすぎると、読む時にnoteに文章を書くために読む、みたいになってきて、純粋な読書の楽しみからやや離れる。普通に読んでらまっさらな状態で読書の感想書くだけならいいけど、変に凝って、依頼されてない、原稿料ゼロの書評、みたいな感じが前面に出るのもなんかなあ。と思う。
というわけで、今後は毎月ゼッタイ更新、みたいのはやめて、個人のアレとしてきちんと「本を読む」のをもうちょっとやったほうがよさそうな気がするので、そっちを優先して、本について考えたことを書くのは、気が向いた時にときどき戻って来たいなと思います。
ほんとは毎月更新を何年も続けて蓄積したいと思ってたけど、読むって時間かかるもんね。ここで紹介するために、あんまり乱雑に読むのはやめたいので。
でもここで紹介した本に実際に手を伸ばしてくれた人とかもいたので、なんかしら読んだ本を誰かと共有し続けたいとは思います。

読んでくれた方々、ありがとうございます!

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