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「計算」とは数について、ある「操作」を行う事だと言うこと他

トランプの2枚めくって出た数字を使って「計算」をする事を考えてみます。

その際、ポーカーチップを並べて計算をしてみましょう。

例えば、「8」と「3」が出たとします。

「8+3」は以下のようになるでしょう。

8枚のチップと3枚のチップを並べて、両方を合わせれば11枚のチップが並ぶことになります。

続いて、「8-3」をやってみましょう。

8枚のチップと3枚のチップを並べて、3枚づつ「チャラ」にして流します。

すると、5枚のチップが残ります。

さて、掛け算をやってみましょう。「8×3」です。

今度は、チップを8枚づつ3列に並べることになると思います。

「足し算」や「引き算」の場合、出たカードの数字と同じ枚数のチップを並べ、並べたチップについて、「合わせる」とか「チャラ」にすると言うようにチップを動かせば済みます。

ところが「掛け算」になると、「8」枚づつ「3」列に並べる・・・

つまり、最初に「8」個のチップを並べて、次に「3」個のチップを並べて、両方のチップを動かせばよいのではなく、

「8」と「3」と言う2つの数について、「8」個づつ「3」列に並べると言うように、何らかの規則に従って、チップを並べることになります。

「計算」とはこういう風にある「きまり」にしたがって、数を動かすこと(操作する)ことなのです。

専門用語を使って言えば、この「操作」が「演算子」で「操作の結果」が「関数」です。

掛け算の「×」も「演算子」の一種で掛け算の答えは元の数の「関数」です。

ついでに言えば、足し算は「両方合わせる」、引き算は「チャラにする」と言う操作をしている事になるので、「+」や「-」も演算子で足し算や引き算の答えは元の数の「関数」です。

小学生の教える際、あまりたくさんの「言葉」を一度に登場させると、子どもが混乱してしまうかもしれません。(実は「大人」でも知らない言葉がたくさん登場してくると、ヘキエキしてしまい、覚えられません。)

だから、「演算子」とか「関数」と言う言葉は使わない方がよいかもしれません。

ただ、「操作」は使ってもよいかもしれません。「操作」=「ある『きまり』にしたがってチップ(数)を動かすこと」だと伝えて、

計算と言うのは、その「きまり」にしたがって数を動かしているんだよ、足し算や引き算も数を合わせたり、チャラにしたりって動かしている、そういう「操作」なのだよ

と言えば、おそらく、子どもたちは理解してくれるでしょう。

ところで「言葉」、例えば、日本語を話すと言うことも何らかの「きまり」にしたがって、いろいろな単語を並べていると言えるかもしれません。

また、外国語を学ぶと言うのは、自分がふだん使っているのとは違う「きまり」で言葉を動かしている人達がいて、その「きまり」を学ぶと言うことかもしれません。

それから、「きまり」を自分で作ってみると言うのも面白いかもしれません。(実は、プログラミングにおける「関数」の定義って、この「きまり」を自分で作っているようなものなのです。)

歴史的に正しいのかどうかはよく分からないのですが、岡田英弘さんという学者は、上代の日本列島には倭人も漢人も韓人もいて、そういういろんな人達の共通語として、「倭国」が「日本」になる際の人工言語として「日本語」が造られたとしています。

萬葉集釋注の中で伊藤博さんは、「大陸文明の影響を受けたみずみずしい表現」として萬葉集の歌を評価しています。

また、日本語の文法(単語を並べる時の「きまり」)は韓国語とも共通していて、日本語は韓国語とともに「トランスユーラシア語」に入るのだそうです。

だから、日本語が100%人工言語、つまり、ゼロから「きまり」を造ったのではないかもしれません。ただ、萬葉集を専門に研究している人が「みずみずしい表現」と言う言い方をしているとしたら、その「きまり」を使う「使い方」について、新しい方法を生み出していったのが、「萬葉集」の歌で、その「使い方」が、日本語の源流だと考えてみてもよいかもしれません。

ちょっと、算数の話から飛んでしまいましたが、人と人がコミュニケーションしていく方法の一つに「数学(算数)」があるのだとすると、

数を動かす「きまり」について、子どもたちに伝えていくことは、とても重要なことかもしれません。

2週間予報は、1日経つとガラッと変わります。

一昨日の段階では、ほぼ連日最高気温30℃以上の真夏日になるとしていましたが、昨日段階では、28℃-29℃の日が多い、つまり、真夏日一歩手前だが真夏日になる事は少ないと言う予想でした。

今日になってみると、またほぼ連日、真夏日の予想になっています。

もっとも、これも最高気温30℃以上の日を「真夏日」と言うと言う「きまり」を前提にしている話です。

最高気温29℃以上とか、31℃以上と言う「きまり」ではなぜいけないのか?30℃と29℃、30℃と31℃では、例えば、野菜の生育にどういう「違い」が出てくるのか?

ちゃんと考えてみると難しい問題がたくさんあるようです。

ただ、なんにも「きまり」を造らないと、物事を表現できない、だから、大勢の人がいる世の中では、なんらかの「きまり」を造らないと、物事を人々に伝えていく事ができない、だから、仮にその「きまり」では表現しきれないことがあっても、なにかの「きまり」を造る必要がある、

では、その「きまり」で表現しきれないことをどう表現するのか?

新しい「きまり」、別な「きまり」を造るのか?、その「きまり」の「使い方」を工夫するのか?

萬葉集の時代の「日本語」は「きまり」を造ったのでしょうか?「きまり」の使い方を工夫した結果でしょうか?

また話がそれてきましたね。

本日の五枚目の数字づくりは、「2」、「1」、「8」、「2」を使って「6」を造るです。

どんな計算をしても構わないということは、どんな「きまり」に従って数を動かしても構わないと言うことです。

ポーカーチップを並べたり、積んだり、動かしたりして「計算」してみてください。

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