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「原価と手間と利益を見込んでこの値段になる」と言う説明はヨーロッパ人が植民地を作り、先住民の社会と資本主義社会を対比して生まれたものだと言うこと

アダム・スミスの国富論は1789年に書かれています。

この中で

資本の蓄積と土地の占有に先立つ初期未開の社会状態のもとにおいては、種々の物の獲得に必要な労働量の比率が、これらの物を相互に交換するためのルールを可能とする唯一の事情であったと思われる。
たとえば狩猟民族の間で、一匹のビーバーを仕留めるのに一頭の鹿を仕留める労働の二倍が普通費やされているとすると、ビーバー一匹は当然鹿二頭と交換されるべきである

と述べています。
中公文庫の注釈は、この記述について、以下のように述べています。

歴史の出発点におかれた未開社会は、スミスの体系では同時に市民社会の特質を対比的に際立たせるための理論装置でもあるわけで、その意味ではひとつのフィクションである。

スミスが未開社会の具体的なイメージを得たのは、(…中略…)北アメリカ植民地のインディアン社会からであった

ただし、未開社会の対比で市民社会を捉えると言う方法は、けっしてスミスだけのものではなかった。それは思想史の上でスミスをも含め、スコットランド歴史学派と呼ばれる一群の思想家にほぼ共通した基本的な社会の見方であり、分析の手法であった。

現代の私たちは、例えば、自分が売っている商品について、「これ、もっと安くできないの?」と聞かれて「いや、手間がかかっているから無理です」と答えることもあると思います。
「手間がかかっているから、この値段になる」と言うのは、「労働」が価値を生んでいると言う発想なわけです。
そして、「労働」が価値の源泉になると言うのは、資本の蓄積や土地の占有がない狩猟民族の社会にも見られることで、資本主義社会では、労働の対価に加えて、利潤や地代が加わって「価格」が生じてくると言うのが、スミスの見解です。

私達も、「これだけ手間がかかっていて、原価がかかって、そこに利益を上乗せして、この値段になる」と言う説明を普通にしていると思います。
しかし、そういう説明をそもそも始めたのは、アダム・スミスのような人達なわけです。
そして、その説明は、ヨーロッパ人が植民地を作り、植民地にいる先住民の社会とヨーロッパの資本主義社会を対比して考えたことだと言う歴史的事情があることを頭の片隅においておきましょう。

新興国が台頭し、国際経済社会に新しい秩序が形成される可能性のある現在、「今とは違う未来」を考えていく上で「今」の常識が生まれてきた背景を知っておくことは大切です。


日々更新されている2週間予報は、概ね最高気温10℃~15℃の間の日が続くとしています。10℃未満になる「日付」が更新のたびに微妙にずれていますが、今週末、バレンタインデー前後に曇りや雨の日があると言う見込みのようです。
雨の後、気温が高くなりそうな時に種まきをすると言うのもよいかもしれません。

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