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いまの自分にできること(あるいは嫉妬の渦を乗り越えること)

note再開。ぱちぱち自分。

再びペンを持つ(というかキーボードを打つ)気持ちになれたのは、将来的に結婚しようと約束している彼女のおかげだ。
正確には、彼女との会話の中で猛烈な嫉妬に襲われた、自分の小ささがキーボードを走らせている。

彼女は(僕の目が節穴でなければ)世間一般的な美形の部類に入る。端的に言うと、モテる女だ。話が面白いし、それでいて優しい完璧な女性だ。
詳しくは聞いてないし聞きたくないけど、彼女にはモテる女性の遍歴がそれなりにあって、昔デートしたことのある男の話になった。

その男は彼女をカラオケに連れて行って、心理的にも(というか物理的にも)距離を縮めようと頑張っていたらしい。ラブソングを熱唱して口説くという、僕が聞いてもサブい方法で頑張ってたようで、彼女はしらけていたらしい。

そこまでは僕も笑い話で聞いていたのだか、俺って年収〇〇万ぐらいあるから・・・って自分が高収入であることをちょくちょく挟んできたようで、だからなにって感じじゃない?って笑いの共有を求めてきた。
僕はもちろんそうだよねー、って自然に笑い返したのだが、実は手が少し震えてしまった。

・・・劣等感。そう劣等感なのさ。
話を振られたとき瞬時に考えたのが、僕にはそこまでの年収がないということだ。もう中年だし、現職のままどれだけ出世してもそこまで到達することはできない。それを考えたとき、それでも自然に笑顔を返すのが辛かったのだ。

彼女は頭の良い女性だ。決して高収入でない僕を卑下する意図はない。ないことはわかっているのだが、過去の男たち(彼女が一時期、とても裕福な男性と付き合っていたことを知っている)に勝てないということが、その嫉妬を表立って出せない自分が嫌だった。

彼女は僕のことを深く愛してくれている(のを実感する)。自立している女性だし、金銭面で僕を評価しているわけではないことはわかっている。
でも、自分には勝てない相手がいることを思い知ると、嫉妬が身を焦がしてつらかったのだ。

でも僕は負けたくない。なにか策があるはずだ。考えに考えた。

哲学者カントは「対象が認識を規定するのではなく、認識が対象を規定する」のだと言葉を残しているが、ここにヒントがあるのではと思った。

僕はおそらく、自分の中に「劣等感」を抱えているのだ。おそらく年収は単なるトリガーであって、これが「顔面偏差値」でも「高身長」でも「友人の数」でも「性格」でもなんでも関係ないのだ。根本は「劣等感」という認識がもつ思考形式に問題があるのだ。

考えないようにするのは簡単だ。仕事に子育てと日々忙しいし、スマホゲームやYouTubeに逃げて何も考えないようにすれば、この嫉妬は立ちあらわれない。

でも、そこには未来に一縷の望みもないような気がする。どれだけ逃げても、自分からは逃げることができないからだ。ドナドナされる子牛は逃げられないからドナドナされるのだ。ドナドナドーナー・・・

やはり立ち向かうしかない。どうするか?
自信をもつことだ。世間的な評価ではなく、自分の自分に対する揺るぎない評価を築いていくことだ。

まずは少しでも収入を増やす。たとえ微々たるものでも、前に進む。それは少なからずの自信を生む。自信があれば、無駄な嫉妬に負けることはない。

次に、自分のやりたいこと(でも日々の忙しさを言い訳にして放置していること)に向き合うことだ。僕のやりたいことはなんだ?

「書くこと」だ。僕は書くことが好きなんだ。
最近は仕事で、上から振られる管理業務が増えてきて、仕事をあまり面白いと思えなかった。金を稼ぐため、子どもを食わすためと割り切って働かないとと思おうとするのだが、中途半端に自分を慰めるだけだった。それがきっと、自分の自己評価を貶めている。

昔noteを書いていたときは幸せだったし、たとえ誰に読まれるわけでなくても、自分がなにか大きなものに繋がっていくような「未来」を味わえてた。自分に必要なのはそれだ。

その他、筋トレをすること、彼女に向き合うこと、やれることはまだまだある。昨日より今日、今日より明日に向かって好きな自分になっていくのだ。自分への自信を取り戻すのだ。

僕は彼女のことを愛していて、彼女は僕を最高の男性と言ってくれる。それは嬉しいが、でもそれだけじゃダメなんだ。

自分で自分を最高と思えるとき、そのときに少しでも近づくために、日々のささやかな前進を重ねたいと強く思った中年の夜でした。



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