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「まぁるい日本 国家安全保障(ビジョン2100)」No1~はじめに~

【これは、私が二度にわたり、防衛力整備の長期構想策定(平成八年~十三年、~二十八年)に携わった際、考察の前提とした「国家安全保障」をベースにして、平成二十三(二〇一一)年、現役自衛官当時に書いたものである。

自衛隊退職後、平成二十五年、国家安全保障会議設置法が成立した際、関連部分に若干、加筆、修正し、「はじめに」と「あとがき」をつけて、書籍の体裁を整えた。


はじめに
【平成二十五年(二〇一三年)十二月記】

国家安全保障会議設置法が改正され、国家安全保障会議が立ち上がった。

国家安全保障会議は設立されたが、その運用にまで踏み込んだ議論は未だない。

日頃は厳しい批評を展開するメディアも、米国でさえ現在のホワイトハウスの意志決定システムを作りあげるまで半世紀を要したのだから、日本はこれからさまざまな経験を積んで改善を重ねていかなければいけない、という前向きの気持ちがこもったコメントを出している。

時代の流れは速い。

経験を積むだけの時間の余裕があれば良いのだが、いつ大規模な震災などの災害に見舞われるか分からないし、また、国際情勢の動きは予想し難く、明日にでも安全保障会議で重大な決断をしなければならない事態が起きる可能性がある時代になっている。


これを書いた動機は、三つあった。


一つは、「構想を書きなさい」と強く薦めて下さった方がいたのが直接のきっかけである。あなただったら、何を書いてもいいから書きなさい、と薦めてくださった


後輩に伝えたいことがあった。これが二つ目の動機である。

私は、平成八年から平成十三年までの陸上自衛隊の体制改革(陸上自衛隊の体制変換/定員削減構想)と平成二十八年までのポスト体制改革の長期見積り構想の策定の主務の機会を得て、構想を作り、その多く(情報職種、即応集団、陸上総隊の創設などを提言)は実現した。

その仕事を通じて、多くのことを学び、考え、そして気付かされた。

だが、本当に大事だと感じた、検討の前提とした国家安全保障について議論したり構想にとり入れたりすることは適切ではなかったので、記録に残すことはなかった。

そういう余裕はなかったし、その後、誰かに説明する必要もなかった。

それをまとめておきたいと思った。


長年にわたって、潮が満ちたり引いたりするように、さまざまな議論が同じように繰り返されている。

憲法改正論議に始まり、地方分権(中央政府と地方自治体との在り方)の問題、行政改革や国家公務員の問題、国家安全保障会議の創設、日米関係、領土問題をはじめとする外交・安全保障論議が、盛んに語られる。

皆、古くて新しい問題ばかりである。

これらはすべて、国のかたちを現すものとして、一本の糸でつながっていなければならない課題だが、いつまで経っても日本の将来像、全体像は見えてこない。

特に国家安全保障論は、日本の国のかたち、日本の国の全体像を考えるコアであり、現在のさまざまな議論を結びつけるものだが、個別のテーマでの議論はあっても国を語っているのを未だ聞いたことはない。


陸上自衛隊の将来構想を策定するとき、国際情勢、日米関係はもちろん、国内政治や社会の動向や課題、外交、地域・地方との関わり、科学技術、防衛産業、人口動態、国際化のトレンド、国民意識の変化など、さまざまのことを考えさせられた。

議論をするときに考えたことがない要素が出ることがないように、思考の幅の広さだけは保ちたかった。個人の頭で考えることには限りがあったが、己の思考の幼稚さへの不安もあって、時間の許す限り多くの情報を幅広く集めた。

結果、いつの間にか、自分なりの国のかたちを描くようになっていた。

それが当時の仕事以外の何かに役立つとは思わなかったが、自衛隊を退職して今になって(平成二十五年)、巷間語られている議論を聞くにつれ、当時考えていたことを世に問うてみたいと思うようになり、若干の加筆修正をしたものがこれである。

私が策定した構想(~平成二十八年)は現在進行形のはずであるが、そののちにでも何かの参考になれば有り難いと思う。


三つ目は、陸上自衛隊の中枢にいて、自衛隊の構想を作った者が、どのようなことを考えていたのか。何を考えて防衛構想が作られたのか。

そういうことを含んで、自衛隊の実態を広く知ってもらいたいと思ったことである。



ものの実態を正確に伝えるのは難しい。自衛隊の実態も同じである。

自衛官は普通の市民であり、普通の国民なのだが、自衛隊を支持する人も、自衛隊に反対する人も、それぞれのイメージにあった自衛官像、自衛官の実態を描いて、自分の目に心地よい像だけを映し出す。

隊員の姿、動作を見て、流石に規律正しく頼もしいと褒める人がいれば、怖い印象を与えるから柔らかく人に接するように教育した方が良いですよと、忠告してくれる人がいる。

そうかと思えば、笑顔で話している制服自衛官を見て、制服姿でやたらと笑顔を振りまくのは軟弱に見えて自衛官らしくないという人もいる。

自衛隊の実態を見る目も同じである。

時代の最先端をいくハイテク装備を取り扱う訓練を見て、流石に予算をかけているだけのことはあると頼もしげな目で見る人があれば、使いもしない高価な兵器を買って無駄遣いだと見る人がいる。

レンジャー訓練を見て、時代遅れの根性だけの訓練だと切り捨てる人がいれば、やはり厳しい訓練が人間を鍛えるのだと、畏敬の念を持って激励してくれる人がいる。

人間は皆、見たいものしか見ないし、見たくないものは目に映っていても何も見えていない。


カンボジアPKOに自衛隊を派遣するとき、賛成の声と反対の声の大合唱が沸き起こった。派遣に反対する人たちのなかには、自衛隊は表向き派遣の政治的な動きに関係がないような顔をしているが、実は海外派兵をしたくてたまらないのだ、自衛隊は裏では海外派遣を推進しようとしているのだ、と語る人たちがいた。

そんな声に押されて、POK派遣反対の声は、次第に自衛隊反対の声に変わってきているように思えた。


当時、私は、陸上幕僚監部の防衛課防衛班で勤務していた。

PKOへの部隊派遣は、自衛隊にとっては突然、降って湧いて来たような話であった。

国会で議論され、話題になって相当検討が進んだ段階でも、担当者以外は真面目な顔で「ところでPKOって何の略だったかな?」という会話が出る程度の認識しかなかったにも関わらず、である。 

いよいよ派遣準備に取りかかる段になり、NHKが、PKO派遣準備中の自衛隊を取り上げて、約一時間のドキュメンタリー風の番組を放送した。

派遣準備中の第一線部隊の現場にテレビカメラが入り、現職中隊長が、隊員一人ひとりと面接し、PKOについて説明し、カンボジアに行く意思があるか否かを確認する苦労が映し出された。

メディアでPKO派遣反対、自衛隊反対の声ばかりが渦巻いているときに、PKOを知らないまま隊員を説得しなければならない中隊長の苦しい姿が映し出された。

隊員からは、海外に行くために自衛隊に入ったわけではない、入隊時と約束が違う、状況が分からない、関心がないなどの本音が率直に語られた。

この番組で、自衛隊に対する世論の風向きは一挙に変わった。

今まで、国民に対する加害者か、共同謀議に加わっている犯罪者かのように取り扱われていたものが、一挙に百八十度立場を転換し、実は自衛官も政治の犠牲者であったのだ、隊員も本当は弱者だったのだ、という見方に変わっていった。

メディアでは初めて、自衛官の姿や声をもっとありのままに取り上げようという空気が生まれ、隊員に対する同情と応援の声が大きく広がっていった。


自衛隊、自衛官の実態を知らないのは、一般国民ばかりではなかった。

宮澤総理が、帰国したカンボジアPKO派遣第一次施設大隊の大隊長を総理官邸に呼んだとき、総理が個人的に自衛官と会うのは初めてのことだと言われ、防衛庁内からは「制服自衛官を一人で総理に会わせていいのか」という声が聞こえてきた。

最高指揮官の総理が直接一対一で自衛官に会ったのは初めてだと言われたぐらいだから、他の政治家は推して知るべしで、自衛隊の敷地に足を踏み入れたこともなければ、自衛官と話したこともない方が多かった。


野党の国会議員が、「自衛官の話を一度、直接聞いてみたいからPKOの活動報告に来てくれ」と言うので、帰国した隊員が勉強会に行くことになった。

国会で決議された実施規定にしたがって活動状況を説明したら「誰がそんな勝手なことをやったんだ」、「そんな勝手なことをやっているから自衛隊は国民の理解を得られないんだ・・・・・云々」と怒鳴られたらしい。

「野党の議員から少しは慰労の言葉がもらえるかと期待して行ったのに、参った」とぼやきながら帰ってきた。

戸惑いながらもやんわり『全会一致で議決されたはずですが・・・・』と反論したら、流石に絶句していたと笑っていた。 

政治家は、自衛隊を政治の道具として使うことを国会で承認するのだから、責任ある“指揮官の目”で、自衛隊の能力や実態を厳しく見て、評価してもらいたい。



自衛官は、自分の組織を立派に語りたいし、国民の期待に応えたいと思って話をする。隊員の頑張っている姿をお見せしたい。

お客様にしみったれたところは見せられないから、最大限の接遇をする。自衛隊に対して日頃、好印象を持っていない人たちの接遇には、特に気をつける。

そういう人たちが自衛隊を訪れて説明を受け、訓練を見、隊員と接すると、満足して「流石に自衛隊ですね」と褒めて下さり、帰り際にちらりと「やはり予算の規模が違うんですね」「人の余裕があるんですね」と漏らす。

財務省の役人は言う。「もうちょっと我慢してくれませんか」。

こうして自衛隊への信頼は高くなり、実態に対する誤解はどんどん広がっていく。


防衛問題や防衛構想に関しても同じである。

新装備取得の必要性を訴えると、軍人はとかく見栄を張って高価なものを持ちたがると言う。万が一のことを考えて予備の能力を充実したいと言うと、予備を持ちたいと言うほど余裕があるのか、と見る。周辺諸国との軍事バランスを語り、防衛態勢を改善しようとすると、戦争の準備をして、軍国主義が広がる可能性があると論評する。人員充足率の向上、実員増を訴え、活動に問題が生じると言うと、国の財政事情を理解せず、視野が狭くて自分の組織のことしか考えない、と批判する。

「自衛隊反対」を唱える人たちだから仕方がない、と言ってしまえばそれまでなのだが、自衛隊を支持する人も反対する人も、自衛官は軍事専門家だから軍事のことばかりを考えて、視野狭窄な職業人だと思っているようである。


今は昔の話になるが、初めて自衛官と話をして「意外と話題が豊富で面白いんですね」とおっしゃる方が多かった。

「大佐っていうと、ケンタッキー・フライドチキンの人形。将軍なんて言うと、どこかの国の指導者か、戦争小説や映画のなかで陰謀を企む黒幕くらいのイメージしかないでしょう?」というと、「確かにそうですね」と笑っている。



東日本大震災のあと、「自衛隊を見直しました」、「今まで自衛隊反対を唱えていた人たちも、今度こそ本当に自衛隊に対する見方が変わったように感じています」という声が聞こえてきた。

地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、それ以前から事あるたびに、自衛隊に対する印象が劇的に変わってきたように言われているが、現実には、少しずつ少しずつである。仕方ないことだが、歩みは如何にも遅い。

しかし、何よりも問題なのは、常に隊員の活動に対する“美談”に終始して、自衛隊の実態を伝えていないことである。

これは、国家レベル、政治レベルから部隊レベルまでを含めての実態、教訓という意味で、である。

“美談”は心地よい。“教訓”は苦い。

教訓は、不都合を曝すことも多くなる。非難される恐れもある。

しかし、それを正面から直視して、さらけ出す勇気がなければ進歩はない。大事なことは、自衛隊と自衛隊を取り巻く実態を素直にとらえ、一つひとつ着実に改善していくことである。

その誠実かつ真面目な態度が、飛躍的に日本の危機管理能力を向上させ、将来の国民の生命を救うことになる。


民主党政権から自民党政権に回帰して、最近は、安全保障論議が喧しく語られるようになった。

しかし、安全保障を戦争にすり替え、戦争を非常に狭い範囲での武力行使、暴力行為の議論に置き換えて議論する。

戦闘だけを念頭において、安全保障強化と戦争反対を唱えるから、議論が噛み合わない。


その議論には、孫子が「兵は国の大事、死生の地、存亡の通、察せざるべからざるなり」と喝破した視点も、政治と戦争との関係を「戦争は単に一つの政治的行動であるのみならず、実にまた一つの政治的手段でもあり、政治的交渉の継続であり、他の手段による政治的交渉の継続にほかならない」と定義したクラウゼヴィッツの視点も存在しない。


戦争は「敵の意志を屈服させる」ことを目的としているのだから、平時の政治的側面から戦時の暴力行為までを連続的にとらえて、できるだけ幅広く深く、それこそ「よくよく熟慮しなくてはならない」と思う。

政治的目標を定め、その実現を阻害すると予想される脅威を分析する。

考えられる対応処置を準備し、あらゆる手段を使って脅威が現れることを防止する。一度、危機が発生した際には、果断に決心し、対処する。

不安感や不信感や恐怖に支配され、踊らされる状態ではなく、自国の防衛に自信を持ち、知性と理性に基づいて、落ち着いた態度で政治と戦争、戦争と平和、安全保障を語る国になりたいものである。

国家安全保障、そして国のかたちを考える一助となれば有り難い。



ここには、私が防衛構想を策定したときに、前提とした考え方や構想をつくる過程で“気付いたこと”を述べている。

陸上幕僚監部で議論された防衛構想ではなく、すべて個人的な考えであることをお断りしておく。

ご高批いただければ幸いである。



平成二十五年(二〇一三年)十二月

𠮷田明生



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