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『仏蘭西料理と私』~No90 モータープール~【龍圡軒 四代目店主 岡野利男シェフ】

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いつでもどこでも楽しく笑える話のテーマは、失敗談。他人の不幸は蜜の味というけれど、不幸までになると、なかなか楽しく笑えませんが、失敗談や勘違い話は、決定的なダメージが残っていませんから、大概、笑い話で終わります。
年を取ってくると、盛り上がるのが、健康の話。
特に、血圧は、重大な問題ではあってもすぐに死ぬわけでもなし。ほとんどが本人の食生活や生活習慣の問題なので、適当に笑ったり腐したりしながら警告を与えるという、適度な優越感を感じながら、楽しめる話題。
父が、大学の同窓会に行くと、若いときには一流企業に就職した奴が偉そうにしていて、40歳頃になると役人の回りに人が集まり、そして、70歳を超えて同窓会に行くと、話の中心には必ず医者がいる、と笑っていました。
失敗談や勘違い話で盛り上がるのは、若い証拠です。(A.Y)

私が生まれ育った新龍圡町から北東へ400mほど行ったところに、今ではパリのシャンゼリゼと同じくらい有名な交差点があります。それはROPPONGI六本木です。

さきほど家内と連れ添って、この六本木から帰って来たところです。こう書くと二人の仲が良いとお思いでしょうが、それは違います。それは私が吝嗇(ケチ)だからです。

今から2週間ほど前に、たまたま血圧を測ったときに、事は起こりました。

家内の静子が「私も計って」と云うので、計ってみたのです。これが一緒に出歩く始まりでした。185と出たのです。血圧が。私も正直びっくりしました。何度計っても185~190なのです。

年に一度、インフルエンザの予防接種でお世話になっている岡部医院の岡部先生に診ていただいているので、家内の血圧がそんなに高いとは知りませんでした。ここ2~3年予防接種の帰り道、と云っても5~6分ほどですが、その道すがら「どうだった」と質すと、「血圧がちょっと高いみたい」と答えていたのです。

それで家内は健康体だと思っていたのですが、そのちょっとが185とは。すぐに岡部医院に行かせました。私が「どうだった」と聞くと、家内は何食わぬ顔で「やはり高いって」と。で、「薬は」と聞くと「先生がご主人と相談して」、続けて「あなたもそうだけど、一度飲み始めるとずっとだから」って。たしかに。さらに「お味噌汁の汁は食べないように。ラーメンも」と云われたそうです。

そこで結論。それは減量、減塩、運動です。

岡部先生は本当に良い医師で、薬に頼るよりも、それ以前の対処を教え、導いてくれます。たとえば、足がつるのは水分が足りないからで、しっかりと水分を取りましょう、とかです。前にも書きましたが、私も3ヶ月で20kg、血圧も230から160へ減らしたので、これを、桜のお花見の青山墓地から始めました。

毎日の散歩。無理をせずに毎日少しずつ距離を伸ばしながら。

今日は散歩がてら六本木の明治屋さんへ。土佐高知の文旦を買いに。ついでに六本木の薬屋さんにウオノメ取りを買いに行きました。で、六本木の交差点の渋谷方面と乃木坂方面の角の薬局店、スギ薬局の前で家内を待っていると、正面に交番。

それを何となく見ていると、耳に記憶が「お兄ちゃん、知ってる?六本木の角の三菱銀行の冷たい水。美味しいよ」です。

7つ下の妹の明美が小学校2年のときに、学校の帰りに友達と毎日、三菱銀行の冷水機から冷たい水を飲んでいたのです。私はもう千代田区、九段の暁星に行っていて、私の時代には、ここはさきほど文旦を買いに行った明治屋さんがあった場所だったのです。これを機に、昔の記憶が甦ってきました。

このスギ薬局の場所は、私の同級生梶川君、次郎ちゃんの家で、あの有名な誠志堂書店です。ここをビルに建て替えるときの面白い話があります。

次郎ちゃんのお母さんは私の父、武勇の同級生で、建て替え中の引っ越し先で夜、なかなか寝付けなかったそうです。静かすぎて。六本木の交番から、夜中でもスピーカーで停車違反するタクシーに「何々交通の運転者さん、そこはダメですよ」と響くと、安心して眠れたそうです。

そして帰り道、六本木から乃木坂方面に歩き、1本目を左に入ると、記憶と云うよりも大変恥ずかしい話しの思い出が。

それはプールです。横道に入る正面に大きな白い看板に大きな赤いカタカナでプールの宣伝。それを見つけたのが、私が小学校3年か4年の6月の暑い日の学校帰りでした。毎日、登下校の道に突然出てきたプールの文字。もう大興奮。こんな近くにプールが出来るなんて。そして始まったのです。一体どこにプールがあるのか、早速その日から、プール大捜索が。

プールだから広い土地が。そうこの界隈は私の庭。広い場所は一カ所。あの物置小屋が残っているお屋敷。でもしばらく前にもあの物置小屋の屋根の上で飛び跳ねていたし・・・、と思って行ってみると、綺麗に整地されていて針金の囲い。ここではないので、一週間ほど隈無く探しました。

この話には凄いオチが待ち受けていました。

この文章を書きながら家内に話すと、「私も」の一言。

「えっ」。すると「友達二人を誘って3人で真鶴のプールに行ったの」。

家内の出は湯河原で、生まれてすぐに東京は四ッ谷三丁目に来て果物屋さんを始めたのです。そして親戚が真鶴の駅前に食堂を開いており、小さいときから夏休みによく遊びに来ていて。その子がプールでアルバイトをしているという情報を仕入れたのです。そして夏に、友人二人を誘って真鶴に行ったのです。それもたしか、中3か、高1のときだと云います。

もう皆さまお分かりだと思います。このプールにはもう一つ文字が付いていたのです。それはモーターです。モータープールだったのです。バカな私は、泳ぐプールだと思って必死になって探し回ったのです。それが駐車場と分かった瞬間、あまりに恥ずかしくて人には言えませんでした。

この話は何回か家内には話していたのですが、そこへ「私も」が入ってきたのです。

バカはバカと結婚するのですね。家内のプールにもモーターが付いていたそうです。そう、親戚は夏休みの間、駐車場にアルバイトに行っていたのでした。ああ、みっともない。

家内曰く、ちょうど同じ時期にこの言葉。モータープールなるものが、日本にはやり始めたのでしょうと。うちは5歳上の姉さん女房なので。

ちなみにそのモータープールは、私が遊んでいたお屋敷にできました。

そしてその後、あの有名なキラバンサライが建ちました。

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