見出し画像

エチオピアに行った話

皆様、こんにちは。
インターンのせあたんです。(もはや奪おうとしている)

この1週間ほどバーンアウトしておりまして、
びっくりするほどやる気がなく、一日17時間寝てみたり(しかも床)
挙げ句の果てに、お母さんが駅に迎えに来てくれただけで(自分で呼んだ)
涙が出てしまうと言うびっくりドンキーな現象が起きていました。

本当にびっくりするほど、自分からアウトプットすることが出てこないので
あれやこれや、生産性のあるnoteを書きたかったのですが、諦めます。
代わりに、私が初めて一人で飛行機に乗った
16歳の時の旅行についてお話しします。

高校1年の冬休み、自称進学校にあるあるな冬休みセミナーという勉強会を
ほったらかして、エチオピアにいくことを決めました。
ただの一人旅行とかではなく、父が単身赴任でエチオピアにて
お仕事をしていたので訪れちゃおって感じです。
ちなみに、この時英語は全く話せず。

TOKYO→Addis Ababa

あふりかってどんなんだろうなぁ〜とワクワクと飛行機に乗る緊張で
前日からご飯が食べられず、機内食もカッコよく断りました。
香港と、ドバイで二回乗り換えがある中、
ドバイで13時間待たせられる地獄。
ドバイ空港は比べ物にならないくらい広く、迷っていると
白人のおじさんに連れてってあげるよ!と真逆に連れてかれ半泣き。
ついに着いたエチオピア空港で、事前に申請をしていたビザの日付が
書き間違われていて追い返され、もう一度申請をするという
大ハプニングの中やっと着いたエチオピアの首都アディスアベバ。

舗装されていない道路に、移動は全て窓のない相乗りバン。
子持ちの物乞いお母さんたちがたくさんいる光景が最初に目に入ってきて
心がとっても痛くなったのを覚えています。
スリ未遂にあったり、ぼったくられたり、全身ダニに刺されたりしてましたが
とにかく新しい世界は楽しい。
牛の散歩に交通渋滞が起きたり、急にポップコーンパーティが始まったり
朝ごはんに搾りたてのオレンジジュースが出てきたり最高に楽しかった”ホテル暮らし”

ゴハチオン村

2、3日ホテル暮らし後、向かうはゴハチオン村。
わたしはそこで、1週間授業に入れてもらうことになっていました。
父の一言で入学できるなんて、村の学校ガバガバすぎじゃない?
画像は、500円の学校の制服。

制服


授業自体全て英語でしたので、全く分からないまま。
先生に「あなたのmother tongue (母国語)は何?」と聞かれ
tongue(舌)の色を見せろ、と言われたと勘違いした私は
アインシュタインかの如く舌を見せる。先生「?」
エチオピアの村の学生は、すでに2カ国語ペラペラでした。

学校には20歳の中学2年生とか当たり前にいました。
みんな教育に感謝してた。
学校も、家事や農業と勉学が両立できるように昼くらいに終わる。
サボる人ももちろんいて、棒を持った先生が追いかけてくるんだけど
基本的みんな積極的に楽しんで授業を受けてた。
窓のない校舎に、ボコボコの黒板でも
しっかりとした教育がありました。


何より一番辛かったのは生活。
電気は辛うじてお昼の3時間くらいしか通ってない。
朝4時には、イスラムのお祈りが町放送の大音量で流れる。
お湯も出ないので、雨水を沸かして水と混ぜてかけ流してお風呂に入っていました。

ある日、学校できたお友達の昼食に呼ばれ、インジェラという
エチオピアの料理を振る舞ってもらったのだが私の口に合わない。
しかし、エチオピアの文化で愛情の証に、食べ物を食べさせ合うというものがあった。
そんなの断れるわけがないっ!
思い切って食べさせてもらい頑張って水で流し込んだ。
のちにその水が雨水だったことを知る。
よく無事でいた私、と思った。

インジェラを作るために腰を痛めながら
脱穀から粉にするまで作業しているお母さんに申し訳なくなった。
この生活がここじゃ当たり前なんだ。。。と


一番大好きだったのは国民性。
アフリカの中で、一番美男美女の国なんだよ!
って教えてくれた。自分で言うな!そういうところ好きだ!

濃〜い激ウマコーヒーの味は忘れないだろうし、
しばらくエチオピアの女の子とたちとお揃いの髪型にしてシャンプーできなくなったり
学校でかなりモテたことはいい思い出。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?