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わたしのコロナ禍

コロナと隣り合わせの生活が始まって2ヶ月。

ここでもまた同じ国、同じ地域に暮らしていても、コロナによって影響を受ける人、ほとんど受けない人がいて、一人一人違ったwithコロナの世界を見ている。

それは一つ屋根の下でも同じで。

夫は4月から植木屋に転職した。
植木屋は三密ではない仕事だし、庭木の手入れの需要も今のところ変化がなく、大雨の日以外は毎日働いている。
新しく始めた仕事に充実感でいっぱい、輝いている夫には、コロナの影響は今のところ感じられない。

そして私も、4月から保育園で保育士として働きはじめた。

しかし、まもなく緊急事態宣言が出され、小学校が5月まで休校になった息子を朝から夕方まで留守番させ、娘を子ども園に預けて働く日々に、、

息子は一人家でお弁当を食べ退屈して過ごしている。娘は30人あまりの子どもが一つの部屋に密集するスタイルの預かり保育。 

なんだろう、、これでいいのか私。

自分の子どもが気がかりで仕事が手につかない。

迷いと葛藤を感じながら働いていたけど、5日ほどたつと私はストレスか花粉か、はたまたコロナだったのか分からないが、ひどい咳が出はじめた。

これまではどんなに無理をしてでも、仕事に穴をあけないことが私のポリシーだった。

子どもが生まれてからも、子どもを理由に休むことは避けたいと、病児保育を利用したり、夫の休みの日にだけ働いたり、今思うと、自分が動ける以上、仕事は絶対に休んではいけないという強迫観念があった。
仕事を休んで、誰かにがっかりされたり、負担をかけることが恐怖だったのだ。

だけど今回は、熱もないしコロナかわからないけれど、万が一園の子どもたちにうつしてしまったらと思うと、無理をして出勤することが責任ある行動ではないと判断し、休ませてほしいと相談した。園長は呆れた様子ながら承諾してくれた。

その翌々日、職場の保育園は近隣の病院、施設でクラスターが発生したため休園になった。

正直なところ休園になってホッとした。
休みはじめてほどなく咳も治った。

私は両親、義両親ともに子どもを預けられるような関係を築いていない。
普段は近所の友達の家に預かってもらうこともあるが、この時期は遠慮してしまう。

バックアップ体制がない状態で、保育園で働くということは、自分の子どもを犠牲にする場面が出てくるということを、入職早々に思い知らされ、母校の保育士養成校の先生の言葉を思い出した。 

“自分の家族か、仕事か、迷うときがあると思います、保育士には代わりがいるけれど、お母さんに代わりはいないので、その時はどうか自分の家族を優先してください”

みんなが、家族(母としての自分)より仕事(保育士としての自分)を優先しなくてはならない雰囲気を変えないかぎり、ジレンマを抱え、保育士を辞める人は後をたたないだろうということだった。

保育士を辞め、潜在保育士になっていく理由は数あれどそこにも鍵があると感じる。

私はまず、自分の持ち場を守ることにした。

園からは今後のことは決まり次第連絡しますと言われたきり連絡は来ず。
どこかで、辞めることになるんだろうなと感じている。

2年間勉強してきて、働くのを楽しみにしていた保育園。

まさかの強制終了だけど、心は凪の状態。

これでいい。
嫌われてもいい。
仕事を失ってもいい。

コロナを通して
大切なものをきちんと優先すること、
それによって誰かをがっかりさせたり、
何かを失うことを受け入れる覚悟

私は初めてできた気がする。

コロナが恐いというよりも、
自分の大切なものをきちんと大切にできないことの方が恐いと気づいた。

コロナ禍は一年では収まらないとみている。
きっとこれから、保育、教育のあり方も必要に迫られ大きく変わっていくだろう。

全校集会、行事、三密だらけの従来の学校は、過去のものになるかもしれない。 

授業もひとクラスが少人数になったり、二部制になったり、オンラインが増え、学校が苦手だった子どもにも学校を利用しやすくなるかもしれない。
一方で、森のようちえんやプレーパークのような、屋外での遊びや体験の場のニーズが高まると感じる。
これからきっと、いろいろな選択肢がありになる。

時代の転換期を肌で感じながら今日も子どもたちと一日を過ごした。

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