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『長崎小夜曲』をおまもりに


上京して4年が過ぎ、東京にもすっかり慣れてしまった。



故郷の長崎へ帰省したとき、長崎空港で流れる「でんでらりゅ〜ば〜 ♫」のオルゴールが聞こえてくるとどこかホッと安心するのだけど、長崎から羽田へ戻ってきたときに京急の赤いフカフカソファに座っても私は安心してしまう。

心の在り処は一体どっちなんだ?




去年の年末、有給消化で2週間ほど実家にお世話になった。

東京の友達に 今長崎に帰ってきてるよ、と伝えると

「さだまさしの"長崎小夜曲"だね〜」とメッセージと一緒に曲のリンクが来た。

 


さだまさしといえば長崎県出身の歌手で

「精霊流し」「関白宣言」などが有名だが、この曲はしっかり聴いたことがなかった。




友達が送ってくれた「長崎小夜曲」はなんとアップテンポなサンババージョン(笑)


その曲がなんとも不意打ちに心に染みてしまったので文章にしてみようと思う。







「疲れたときには 帰っておいで
都会で溺れた やさしい鷗(カモメ)」

もう第一声からやさしい。

さださんの美しい声で歌われたらなおさら染みる。


私は辛うじて(まだ?もう?)都会に溺れてはないし、カモメというかんじでもないが、何か辛いことがあったらこの曲をきいてさださんに励ましてもらいたくなってしまいそうだ。



そういえば今思い返すと、これまで何か悲しいことがあっても地元に帰りたいと強く思うことはなかった。

たぶん私は、自分が思っている以上の覚悟をもって上京したのかもしれない。それか純粋にエンジョイしているか。んー 確実に後者である。

(あ、もちろん美味しいプリプリのお魚が恋しくて帰りたいと思うことは多々ある)






「悲しみはいつか 紫陽花のように
穏やかに色を 変えてゆくはず」


さださんのやさしさが滲み出ている描写。そしてさださんは長崎を心から愛していているんだろうなと思う。素敵。


他にもこの曲には素敵な歌詞がたくさん詰まっているのだけれど、そもそも小夜曲(セレナーデ)とはなんだろうか。

Wikipediaによると、「元来は夕べに恋人の窓の下で歌う歌であるが,ここに含まれる〈夕方〉〈野外〉〈下から上にささげる〉といった意味から派生した各種の芸術音楽の総称となっている。 〈夜曲〉〈小夜曲〉と訳されることがある。 楽曲の形式を規定せずに演奏の方法や機会を指す名称であるため種類は非常に多いが,大きく次の三つに分けることができる。…」だそうで、ふーん、というかんじで正直ピンとこない(笑)さださんは誰かにこの曲を捧げて作ったのかもしれないね。





帰省すると家族や気の許せる友達がいつでも変わらず「おかえり」と迎えてくれる。故郷のみんなとジョイフル(ファミレス)でドリンクバーを頼んで方言丸出しで話していると、東京のあれこれを知らなかったあの頃に戻る。とても心地いい。

そもそも大口ひろげて大爆笑するなんて、東京で一人暮らしをしていたら半年に一回あるかないかだ。みんなといると、それができる。


会話の中で少し標準語になってしまったものならば、「ひぃ〜!都会に染まっとるねぇ〜!」と誂われる。染まっているのではない。私は日頃、東京で化けているのだ。


このような仲間と呼べる人たちに出会うのは、都会では至難の業である。知り合って10年以上経つにも関わらず、変わらずこうして輪の中に迎え入れてくれるみんなに、私は心から感謝している。






そんな心地いい場所を離れて、わざわざ東京で暮らす理由はなんなのだろうか。最近よく考えるようになった。



きっと私は自分の力がどこまで通用するか試してみたいから東京にいる。そしてもっと色んなものを自分の目でみたいから、という理由もある。


相変わらず東京のスーパーで売っている卵は高いし、お魚はふにゃふにゃしていて美味しくはない。時に息がつまるほどの満員電車の洗礼を受けることだってある。駅のホームで舌打ちだってされたこともある。なんで舌打ちすると?そがんイライラせんちゃよかやん!!割り込んできたとはそっちやろーもん!怒





それでも、東京での暮らしは楽しい。

まだ、私は長崎には帰りたくない。帰れない。




もしも東京での暮らしが辛くなったときのために、この「長崎小夜曲」をおまもりにしようと思う。

辛くなったら、私にはさださんがついている。
そう思うとどこか安心する。


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