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三つ子の魂百まで 〜育て方が人格を形作る〜

「三つ子の魂百まで」とは、「子ども時代に得た性格は、年老いても変わらないこと」を指します。

3歳の子供の性質は、100歳になっても変わらないということで、持って生まれた性格は生涯変わらないことにたとえています。


つまり3歳までの人格の形成は後の人生にも影響するということです。


saiの幼児のサッカーnote

最初のnoteはサッカーのことではなく育児のことに関して書き綴っていきたいと思います。


子供の幼少期の人格形成には普段の何気ない接し方が大きく影響します。
今回のnoteにまとめた子供への接し方に関しては正解だったのか間違いだったのか、今でも悩んでしまうこともあります。

そういった点を踏まえた上でみなさんもいっしょに子供の人格形成に関する育て方や接し方について考えて頂ければ幸いです。






・現在の娘

私の娘は現在年長でサッカーをがんばっています。所属しているチームは幼児が少ないので一学年上の子供たちに混ざってサッカーをしています。

性格は負けず嫌いで発表会や演劇でも積極的に主役をやりたがるタイプです。

この"負けず嫌い"という気持ちがとても強く「〇〇ちゃんにかけっこ負けたくないからかけっこの練習する!」
「〇〇くんが縄跳び××回跳べて負けたくないから練習する!」
と言いながら様々なことに対して"負けず嫌い"が発揮されて様々なことに対して努力しています。

なににでも負けず嫌いが発揮されるわけではありませんが本人が負けたくないと思ったことに関しては"負けず嫌い"が出てきてそれに対して自ら努力をしています。




・負けず嫌いのメリット

クリスマスプレゼントで自転車をプレゼントした際はすぐに補助輪を取ってと言い、乗れない自転車を何度も何度も転びながら何度も何度も練習していました。

夜暗くなってからも帰ろうとせず泣きながら「自転車乗れるようになりたいからもっと練習する!」と言い自転車に挑戦する娘をなだめながら無理矢理連れ帰ったことも何度もありました。

父親の私から見てもその根性はすごいと思いますし自分も見習いたいと思っています。




・負けず嫌いのデメリット

しかしこの負けず嫌い根性も良いことばかりではありません。

上達するためのアドバイスを聞きたがらないのです。

自分でやり切ろうとする気持ちはすごいのですがやはりアドバイスを聞かなかったり補助が無かったりするとコツを掴むまでに時間がかかったりもします。


しかしこの一見無駄に見えるよう時間も必ずしも無駄であるとは限りません。

サッカーの育成年代でよく言われる「教えてもらったものより自分で見つけたものの方が後々自分の武器になる」という言葉があります。

これは私自身も身を持って感じていることで、自分の力で見つけたものはやはり自分の一番の武器になるのです。

周りの人が「ここはこうした方がいい」「そこはこうした方がいい」と一般的に見れば正解なことや周りの人からしたら正解なことでも、その子にとっては正解ではない場合もあります。

周りから見たら無駄な時間と思うようなことでも本人の心や身体を成長させる大切な時間だったりすることもあります。

アドバイスを聞かなかったり補助を拒否したりするのは大人の目線から考えると非効率的なのですが、その一見無駄そうに見える時間が無駄な時間とは言い切れないわけです。




・幼児サッカーにおける負けず嫌い

そしてこの負けず嫌いはサッカーにおいてはプラスに影響しているように感じます。

サッカーにおける負けず嫌いのプラスの影響。ひとつはここまで書いたことのように負けたくないことに対して努力することです。

そしてもうひとつ、幼児期のサッカーで重要になってくる"闘争心"です。

サッカー、水泳、ドッジボール、格闘技、おにごっこ、かくれんぼ、、、
勝ち負けのある様々な運動競技がありますが幼児サッカーほど闘争心が大きく影響するものはないと思っています。

水泳、ドッジボール、かけっこといったものにももちろん勝ちたいという気持ちは必要ですし闘争心が影響しますが、幼児サッカーでは特に闘争心が大きく影響します。

幼児サッカーを見たことがある人ならピンと来ると思いますが理由はボディコンタクトのある競技だからです。

ある程度のレベルになると団子サッカーから脱却してパスをするようになったりある程度ポジショニングを理解して空間的余裕が出てくるサッカーというスポーツですが、幼児期のサッカーにおいてはそういう概念は無く、みんなでボールに群がる"お団子サッカー"が展開されます。

大人から見ればお団子サッカーなんて幼児がじゃれあってボールを取り合っているよくある何気ない光景です。

しかし子供たちの目線に立ってみるとそんな穏やかな光景ではないのです。

団子サッカーはみんながボールに群がるため、スペースも存在しなければ味方すらもボールを奪いにくるため、5人 vs 5人の試合でも実質1人 vs 9人で試合をしているような感覚になってしまいます。

そうなると身体の小さな子はもちろん弾かれてしまいますし、複数の人数にぶつかられるので身体の大きな子ですら弾かれてしまうこともあります。身体をぶつけたりぶつけられたり、足を蹴ったり蹴られたりと心が折れそうになる時に重要になってくるのがこの闘争心です。

ある意味幼児サッカーというのは小中高などの育成年代のサッカー以上にボディコンタクトのある競技なのです。

私達大人に当てはめて見れば、自分と同じ大きさの大人や自分よりも大きな身体の大人が9人、自分のボールを奪うために身体をぶつけにきて足を蹴りに来るようなものです。
抜く抜かれるなんて概念も無いので間合いや駆け引きなんてものもなく、ただ一直線にボールを奪うためにやってくる。身体は当たられガンガン足を蹴られる。

こんなもの怖くないわけがありません。

もちろんこれが原因でサッカーを怖がる子もいます。
うちの娘もはじめは怖がっていました。


もちろん闘争心が無くても幼児サッカーは楽しめますし必ずしも必要なものではありません。
団子サッカーを避けようとすることで身につけられる能力もあると思います。

2003シーズンから2020シーズンまで川崎フロンターレに在籍し、プロデビューから引退までを川崎フロンターレ一筋で過ごした中村憲剛という選手をご存知でしょうか?

私は彼の著書を読むことが多いのですが、どの著書でも彼は「なぜ身体の小さな僕がここまで長くプロで戦ってくることができたか?それは身体が小さかったから。足が速くなかったから。」と言っています。

「身体が小さかったから。足が速くなかったから。」
その言葉に続くものは「だから考えた。」という言葉です。

中村憲剛選手は特段身体が大きく強いわけでも足が速いわけでもありません。
しかしそんな彼がプロという厳しい世界で長く戦ってこれたか。それは彼が身体が大きくなかったから。身体が大きくなかったからこそボディコンタクトをせずぶつからないでプレーをするプレースタイルを身に着けました。

つまり団子サッカーで上手くいかなくてもその団子サッカーを避けることでいいポジションでボールを受ける技術が身に付くかもしれないし、一見ネガティブに見えることも良い結果に繋がることもあるのです。

意見が二転三転しましたが、闘争心というのは必ずしも必要なものではありませんがそれでもサッカー、とくに幼児サッカーでは闘争心というのはあった方が良いように感じます。


・幼少期の娘


闘争心があり自分よりも身体が大きな一学年上の子供たちの中に入っていって身体をぶつけてボールを奪いにいく娘ですが、幼少期の娘はこんなバチバチの負けず嫌いの闘争心のある性格ではありませんでした。

幼少期、1〜2歳の頃の娘は今では想像できないような人見知りで内気でか弱い性格でした。

そんな娘に私はどのように接したかというと、私はわざと変なことをして笑いを取りました。

やはり親というのは子供の笑っている姿が見たいものです。
子供の前で変顔をしたり、ある程度言葉がわかってきて色や物の名前を理解してきた頃にわざと間違えたことを言ってみたり…
りんごを指差しながら「みかん!」と言い、娘に指摘されたら「あぁ〜間違えたー!」とおおげさに身振り手振りをして娘を笑わせ娘の笑顔を見て幸せを感じていました。

いっしょに遊ぶ時はたまにそんなことをして笑いを取っていたのですが、ある日保育園からの連絡帳に「〇〇ちゃんは変顔をしたりしてよく先生やお友達を笑わせて楽しんでいます(笑)」と書かれていました。
なんだ保育園ではそんなお茶目なことをやってるのか(笑)と思ったと同時に、親のやってることを真似したりと親の育て方は子供の性格に影響するということを感じました。



・負けず嫌いになる子への育て方

そしてさらに成長した娘には勝ち負けという概念を教えました。
そしてよく競争したりして遊ぶようになりました。


「ご飯1番に食べたからパパの勝ち〜!」
「先に玄関のドアタッチできたから〇〇ちゃんの勝ちね!」
「どっちが高く積み木積めるか勝負ね!」

などなど…


勝ち負けを理解できるようになると競争に対して真剣になるようになってきました。

「あの木まで競争ね」と言うと顔つきが真剣になり、勝った時はとても嬉しそうに笑い負けた時は悔しそうにするようになりました。

そんな風に接していくうちに勝ち負けの概念が娘に染み付いていきました。


年中の運動会の開催日の数週間前、娘がどうやったら足が速くなるのか聞いてきました。
私はたくさん走ると速くなるよと教えました。
公園でジョギングのような走り方で走る娘に「遅っそ(笑)」と笑うとダダダダダダ…!とダッシュしてきて殴りかかってきました。
その時の走り方が速かったのでそんな風に走りなと教えました。

その年の運動会のリレーでは観客の父兄が驚く程のダントツのスピードを見せたもののチームが勝つことができず本気で悔しがって泣いていました。
年長の年もアンカーの自分にバトンが渡ってくる前に勝敗が決まってしまい走り終わってから悔しくて大泣きしていました。

年中、年長とリレーで勝つことはできず運動会の最後の集合写真はいつも泣いていた思い出があります。

元々内気な娘でしたが日々何気ないところで競争をしたりすることで負けず嫌いの性格が育っていったんだと感じました。



・「こんな風に育ってほしい」は本当に正しいのか?


しかしこの育て方、子供との接し方は本当に正しかったのでしょうか?

子供がなにかで一番になる姿やサッカーでがんばっている姿、なにかに積極的になっている姿を見るのはとても嬉しいです。

反面、たまに人見知りをしたり内気になっている姿を見るとこれが本来のこの子の性格なんだろうなぁと思い、自分の育て方や子供との接し方が子供の人格の形成に影響していることを実感します。

狙ってそういう育て方や接し方をしたわけではありませんが本来の子供の性格とは違った方向へ育ててしまったようにも感じ、接し方を間違えたのではないかと悩むことがあります。

日常生活で競争を取り入れるのは親として楽な部分もあります。
なかなか食事が終わらない子供に対して競争させることで早く食べさせたり、着替えが遅い子供に対して競争を取り入れることで早く着替えさせたり…

これが正解だったのかそうでなかったのかそもそも答えが出るのかすらわかりませんが少なくとも子供への接し方や育て方、周りの環境は子供の人格の形成に大きく影響するということを実感しています。


育児というものは考えても答えが出ないことも多いです。
しかし、だからといってなにも考えないわけではなくこれからも子供たちと真摯に向き合って行きたいと思います。


これから定期的に幼児サッカーや育児について自分の考えをnoteに書き綴っていこうと考えていますのでみなさまどうぞよろしくお願い致します。

sai





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