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睦月

はじめに数ある作品の中から【睦月】
を選んで頂きありがとうございます。

皆様の心に少しでも残る作品を制作することを目標に日々執筆しております。

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それでは本編をお楽しみください。


【睦月】
僕はバーが好きだ。

美味いウィスキーが好きだ。

静かな空間が好きだ。

バーでの出会いが好きだ。


今夜も小さな物語がどこかの街の小さなバーの片隅で始まる。


今日も残業だ。 先日ようやく手に入れたオメガの腕時計に目を落とすと時刻は20時丁度を指していた。

僕はコートのボタンの一番上を掛けると足早に地下鉄の駅に向かった。

これから30分地下鉄に揺られれば、僕の住む街だ。

半年前は乗り換えもあり、通勤に1時間以上かかっていた事を考えると気は楽であったが、

知らない街での暮らしは、行きつけになりそうな店探しが楽しくもあり、悩みのタネでもあった。

今日は珍しく座席に座れたため、30分の電車の旅を楽しみながら、今夜の夕食をどこで食べるか、それともバーでマスター手作りのキーマカレーをツマミに最後はウィスキーを楽しむかを悩んでいた。

僕の住む街は都心から電車で30分の東京の端っこの街だ。

端っこと言っても、大型量販店に商店街と大体のものは駅前で揃ってしまう環境がとても気にいっていた。

勿論僕の好きなバーもしっているだけで5件はあったので、腰を落ち着ける店が決まるまで、嬉しい悩みに頭を抱えていた。

しかし事態は急変した。

僕は出会ってしまったのだ!!

マスター手作りのキーマカレーに!!

僕の好きな物を3つ上げろと聞かれたら

【ウィスキー】

【カレー】

【アルコール】

と答えるだろう。


このバーには僕の好きなものが全て揃っていたし、僕の好みに全て合っていた。

恐らくマスターは僕の生き別れた兄弟なのだろう。

そんな店に出会ってから僕の楽しみは仕事帰りにこの店に立ち寄る事になったのだ。


僕の心はほぼバーに決まっていた。

気がつけば次は僕の街の駅だ。


電車の扉が開くと冬の冷たい空気が車内に流れ込んでくる。

温かい車内から一歩外に出ると、息は白くこもり肺の中は冷たい空気が流れ込んできた。

僕の心は決まっていた。

改札を出るといつもの道を少し足早に歩いていた。


駅前から少し住宅街に入ると僕の好きなバーが見えてくる。

一見洒落た一軒家に見えるこの店構えは、注意しないとバーだとは気が付かない程だ。

小さく灯ったポーチ灯にひっそりと
【BAR Forest】と書かれている。

このポーチ灯が灯っている間が僕の大好きな空間がゆっくりと息をしている瞬間なのだ。


僕は重厚な木の扉をゆっくりと開けると
「カランカラン」とベルの音が咲いた。僕は店内を見渡した。


店内には僕を含め3人の客がいた。

手前側に座っているのは常連の初老の男性だ。

いつもオシャレなジャケットを着ていて、必ずウィスキーを2杯飲んで22時には帰ってしまう謎多きダンディーだ。

店の奥には見知らぬ女性が一人座りゆっくりとロンググラスを手にしていた。


僕にとってバーは思い思いの時間を過ごし時に共有し、今日の思い出と、明日への活力をもらう云わば【人生の洗濯の場所】だ。


マスターは僕を見ると「いらっしゃい」と言うと静かに氷を砕き始めた。

座る席は僕に任せるという合図なのだろう。

僕は奥の女性から2つ席を空けて席につき、ジントニックとキーマカレーを注文した。


マスターはしなやかな手捌きでロンググラスを取ると、グラスにライトを充ててから静かにグラスに氷を満たし、ゆっくりとボンベイサファイアをグラスに移し、滑らかな所作でトニックウォーターを注いでいった。

ジンの香りがココまで届くのでは無いかと思うほど僕の乾きは限界にきていた。


マスターはグラスの中を軽くステアし最後に氷を軽く持ち上げ、僕の前にそっと「ジントニック。ジンはボンベイサファイアです」といって差し出した。


僕は輝くグラスを見つめた後丁寧に持ち上げた後、香りを楽しんだ。

トニックの香りと、ジンの香草のような香りが僕の乾きを加速させていく。

ただし、ここでがぶ飲みしてはイケない。

香りを楽しんだ後はほんの一口炭酸とジンの香りを楽しみ、ゆっくりと喉を潤すように飲み込む。

空腹の胃は一瞬冷たくなるが、徐々に蝋燭に火が灯るようにポッと暖かくなっていく。

僕は今日一日の仕事の疲れや悩みがスゥと消えていく錯覚を楽しみながら、二口目を楽しんだ。


バーで飲む酒はその一口一口に物語があるものだ。


半分近く飲み終えた頃、マスターがフォークとスプーンをセットしてくれた。

いよいよ僕の大好物No.2【カレー】との再開の時間が近づいている。

僕は一口ジントニックを口に含むと、マスターに目を向けて今や遅しとカレーの到着を待った。


程なくして、マスターはカレーをそっとカウンターの上に置き

「ドライカレーです」とつぶやくように告げて、カウンターの隅に移動していった。

その所作は洗練された、高級車のような優雅さと無駄のないアスリートのような動きであった。


僕はそんなマスターを一目見た後、カレーに向き合った。

鼻を突くスパイスの香りの中に、玉ねぎの甘い香りが合わさり僕の本能と全ての細胞がカレーを求めていると思った。

自分に嘘をつくことはできない。

僕は五感を全て使ってカレーを楽しんだ。

口の中は程よい辛さの刺激とスパイスの香りで満たされ、その後から、玉ねぎの甘味に包まれたひき肉の旨味が広がる。

そのハーモニーを十分に楽しんだ後、ジントニックを流し込み、口の中をリセットしたまたカレーを口に運んだ。


ジントニックのおかわりを頼もうとした瞬間、隅にいた女性と目が合った。

僕は食べることにはしゃいでいた事に気が付き少し恥ずかしくなり、照れながら軽く会釈をした。

女性は微笑んで

「カレー美味しいですか?」と話しかけてきたので、

僕はカレー好きで、中でもココのキーマカレーは最高に美味しいと説明し、マスターにジントニックのおかわりをお願いした。

マスターは静かに新しいグラスに丁寧にジントニックを作り始めた。

僕はふと女性を見ると、嬉しそうな顔でグラスを見つめていた。


カレーと真剣に向かい合っていると「カランカラン」と音がして謎多きダンディーが店から出ていった。


僕は最後の一口のカレーを名残惜しく口の中に入れると、冷めてもしっかりとした美味しさをゆっくりと楽しみ。

「ごちそうさまでした」と、マスターに告げお皿を下げやすいように、食器を重ねた。


奥の女性は少し寂しそうな表情になり僕に「ありがとう」と告げると、席を立ち重厚な木の扉に向い歩き始めた。


僕はなんの事かわからないまま「またお会いしましょう」と別れの言葉を告げると女性はゆっくりと一礼すると振り返ること無く、店を出ていった。

マスターは静かに見送ると、そっと「サービスです」といいラフロイグを差し出してきた。


僕は何故サービスをされるかわからないし、受け取れない事を告げるとマスターは少し困った顔で

「先程のお客様からいただいておりますので」
とグラスを進めてきた。

僕は一杯奢ってもらうような覚えは無かったが、もう立ち去ってしまった人の好意を無駄にもできず、

次会った時にお返ししようと心に決め、

大好き【No.1】のウィスキーにと向き合った。

ラフロイグは病院の匂いがする癖の強いウィスキーだが、口の中に広がる芳醇な香りと、強烈なピート香。後に残るスモーキーさが癖になるウィスキーで僕の最も好きな酒でもある。

マスターは僕の好みを熟知していた。


出会って数ヶ月の僕とマスターはほぼお互いの話をしたことがない。

こういったマスターと二人きりになった時に話す話も酒の話と、街の良い店の話だ。

僕は必要以上に入り込んで来ないマスターの人柄に好感を持っていた。

僕もマスターのプライベートに必要以上に入り込まないように敬意を持ってせっしていた。


僕は最後の一口をゆっくり飲み干すと「今日もごちそうさま。またよろしく」とマスターに声をかけ家路についた。


外は少し風が強くなっていた。

体感気温がだいぶ低くなった街を足早に歩いた。


1月はなにかにつけて忙しい。

新年会に年始回り、新規のプロジェクトも始まった。

僕のライフワークのバーもここ一週間行っていない。

今日はようやく早く帰れる。

オメガに目を落とすと20時をさしていた。


僕の口の中はすっかりキーマカレーだ。


【BAR Forest】のポーチ灯は消えていた。

僕はがっかりしながら、気になっていたダイニングバーに向かうことにした。

そのバーも程よく落ち着いていて料理も美味しかったが、あのキーマカレーを超える事は無かった。

僕は少しがっかりしてその日は家路についた。


明くる日も、その次の日も【BAR Forest】のポーチ灯に火が灯ることは無かった。

僕は新しい店で座りの良い椅子を見つけあのカレーの香りも味も忘れかけていた。


気がつけば春一番を観測したと朝のニュースが告げていた。

ようやく冬も終わり緑が芽吹き始める陽気に誘われて、僕は家の近くを散歩していた。

頭の中では今日買わなければいけない物を整理しながら【BAR Forest】近くの公園に差し掛かっていた。

何気なく公園を見ると、見慣れたジャケットを着た男性がベンチに腰掛ているのが目に入った。


僕はあのカレーの味と香りを突然思い出し、謎多いダンディーに足を向けていた。

話したことも無く、素性も知らない。

ましてや、こちらのことなど知っているかもわからない人に声を掛ける事は普段の僕なら決してしないだろう。

ただあの時はどうしても話しかけなければいけないと思ったのだ。


初老の男性は近づく僕に気がつくと、少し怪訝な顔をしていたが、一歩一歩近づくうちにその表情は徐々にやわらくなり、僕が近づく頃には立ち上がり、僕をベンチに座るよう促していた。


僕は少し驚きながらもベンチに腰掛けた。


初老の謎多きダンディーもベンチに腰掛けると、頃くの沈黙の後に静かに語り始めた。

「いつかお会いできればと思っていたんですよ。
私は森と申します。
以前は【BAR Forest】を営んでいたのですが、身体が言うことを効かなくなり、
義息子に店を任せて隠居生活をしております」


僕は少し驚いたが、考えてもみればこの街に来てまだそこまで時間の経っていない僕には街の歴史、店の歴史について知らない事が多すぎた。


先代マスターは心地の良い声で続けた。

「始め無口な義息子が店に立つことに
反対したのですがね、
うちの娘が大丈夫と言い張るので
任せてみました。」


初代マスターは一呼吸置き空を見つめると


「娘の判断は正しかった」


と、呟き頬を赤らめた。


僕はただ事では無い何かを感じたが、掛ける言葉が見当たらず、次の言葉を待つしか無かった。


初代マスターは徐に立ち上がると「店に行きませんか?」と行って立ち上がった。

僕は促されるまま立ち上がり、二人で店に向かった。


店までの歩く間は季節の事、桜の見どころなど他愛もない話をしていた。


店につくと、初代マスターは年期の入った木彫りのキーホルダーに付いた鍵を取り出し、重厚な木の扉を開いた。


中に入ると、どこか嗅ぎ慣れた懐かしい匂いが漂っていた。

この匂いは線香の匂いだ!

幼い頃に祖父母の家で嗅いだ線香の匂いであることに気が付き、僕はハッとした。


カウンターの一番奥に写真立てと線香それとロンググラスが一つ供えられていた。


僕はただ立ち尽くし、なんと言えばいいのか解らずにいた。

初代マスターは
「どうぞ線香をやってあげてくださいと」
僕を促すと、

一番奥の席まで移動して、そっと手を合わせていた。


僕は促されるまま、恐る恐る写真に近づくと見覚えのある顔が飛び込んできた。


それは最後にこの店でカレーを食べた時に座っていた、僕に一杯ごちそうしてくれたあの女性だった。


初代マスターは僕に線香を手渡し、蝋燭に火を灯すと
「癌でした」
と呟いた。

僕はショックで言葉を発せずにいた。

「娘は料理が好きでね、
私が店に立っていた時には
勝手に料理作ってお客様に
振る舞っていたんですよ。
始めは迷惑だから辞めろって
言ってたんですけど、
それが評判になって色々やってるうちに、
ドライカレーを看板メニューで
置くようにしたんです。」

僕はてっきりマスターの手作りと思っていたドライカレーは、初代マスターの娘さん、現マスターの奥さんの手作りだった事に気が付きハッとした。

僕が話し始める前に

「あなたが最後に来た次の日から
娘の入院が決まっていましてね、
癌が発見された時にはもう手遅れで、
我儘言って、せめて最後に
店に行きたいと言うものですから、
連れてきたんです。
そしたら貴方が来て、
娘の作ったカレーをあまりにも
美味しそうに食べるものですから、
私は耐えきれなくなって
先に店を出てさっきの公園で
恥ずかしながら泣いてしまいました。
義息子にも、
娘にも
そんな姿は見せられなくてね。
本当に泣きたいのは本人たちの筈なのにね。
歳を取るとこれだから困る。」

と、涙を浮かべて笑ってみせた。


僕はあの日のそんな事が起きていたとは知らず、カレーの事ばかりを気にしていた自分が急に恥ずかしくなり、

また何も言えなくなってしまった。


初代マスターは徐にカウンターに移動し、慣れた手付きで氷を削り出した。

狭い店内には氷を削る小気味の良い音だけが流れていた。


僕は写真の女性に線香を手向けて手を合わせた。


初代マスターは2つのグラスに丸い氷を入れると、優しくラフロイグを注いだ。

「私の出す最後の一杯です。
お付き合いください。」

と引き締まった優しい声で僕にグラスを手に取るよう目で合図し、僕はまた促されるままグラスを手に取った。


初代マスターは軽く香りを嗅いだ後、グラスに口をつけ深く味わった後

「どうぞ召し上がってください」
と言い深く目を閉じた。


僕はグラスの中のラフロイグをゆっくり口に含むと、飲み慣れたはずのこのウィスキーが全く知らない飲み物に感じられた。

喉から食道を通り、胃に溶け込むその瞬間まで、ほのかに鼻に残るこのウィスキーは何者にも形容し難い魔法の水に感じた。


僕はゆっくりと初代マスターに

「この度はご愁傷様です。
なんと言って良いか言葉が見つかりません」
と囁くと、

マスターは少し笑って。

「娘が入院して直ぐの事です、夜に発熱しましてね、医者からは今夜が最後かもしれないと言われたんですよ。

私も義息子も病院に駆けつけて、
声をかけ続けていました。 
すると娘は目を覚まして、
笑って言うんですよ」


「私の作ったカレー 

あんなに美味しそうに

食べてる人いたんだね 

それだけで私幸せだ

お父さんも、

私のこと一人で育ててくれて

本当にありがとう 

色んな事あったけど私幸せだったよ」

初代マスターは目に涙を浮かべながら

「最後は義息子に抱きしめられながら、
静かに逝ってしまいました。」


僕は涙を堪えることができずに、唇を噛み締めた。


長い沈黙の後「カランカラン」という聞き慣れた音がして鍋を持った男性が入って来た。

逆光で顔は見えない。


男性は「義父さん」と呟いた。


声の主はマスターだ。

マスターの持つ鍋からは、懐かしい匂いがした。


あのカレーの匂いだ!


マスターは僕に気がつくと
「お会いできて良かった」
と呟くと初代マスターとアイコンタクトで語り合っていた。

僕は生き別れた兄弟と父親と再開した気持ちになり、少しだけ悲しみが和らいだように感じたのだった。


その後、奥さんの残したレシピで何度もカレー作りに挑戦しているが、全く違う味になってしまうことや、これから店をどうして行くかなど、親子の会話を静かにラフロイグ片手に聞き入っていた。


それは血は繋がっていなくても本物の親子の会話だった。


僕が席を立とうとすると、カレーの試食をしていってほしいと頼まれたので、僕は喜んでそれに応じた。


三人は一口カレーを口に入れ、お互いを見回した。


全て飲み込み少しの沈黙の後

三人は同時に

「不味い」

といって笑いあった。


数日後

【BAR Forest】のポーチ灯に優しく火が灯った。


今日も静かに小さな物語が始まる。


睦月 完

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