見出し画像

所属意識と自己肯定感は、殆どない。

幼稚園の時から「好きな人同士でグループを作ってください」と言われると、だいたい最後に1人あまる側の人間だった。年中くらいの時は、「えっ、別に好きな人とかいないけど?」ときょとんとしてたけど、だいたいそういう時は、先生が「だれか、まさとちゃんを入れてくれるかな〜?」となり困った顔をしていた。誰も入れようとはしなかったからだ。年長さんにもなると、仲のいい友達もできて、グループであぶれること少なくなったけど「2人組をつくってください」と言われると、偶数人数でもあぶれる不思議。

小学校は、私の学年では1人だけ市街の幼稚園に通ってたので、勿論春の遠足で「なかよしグループでお弁当を食べましょう」で1人あぶれた。「なかまに入れて?」が言えない子だった。この時も先生がみんなに声を掛けてくれたが、現れず他所のグループに入れてもらったけど、嫌そうにされてたきがする。2年生でようやくクラスに馴染めたかと思ったら、3年でクラス替え仲良かった友達皆と離された。確率は2クラスで1/2のはずなのにマジで狂ってる。
道徳の授業で「あなたには、このクラスにともだちがいますか?」と担任の先生が問うてきた
私は堂々と「わたしには、ともだちがいません」と答えた。

それでも、小学校生活3年目ともなると前よりスムーズに友達ができた。この時にできた友達は、今でも付き合いがあり大親友である。だが、この友達が入っていたグループが問題だった。
何か目立ったことをすれば(先生に褒められるとか、かわいい服をきてきたてか)昼休みに体育館やプール更衣室裏に呼び出されて、詰め寄られたり、謝罪を要求されてりした。今思えば、マジ理不尽な仕打ちだけど、ターゲットは毎回変わってたし、自分はなんとなく言い寄る側の人間にはなりたくないので、ふざけて空気を逸したりした。

5年のクラス替えでは、大親友とは離れたが、所属グループのリーダー的な存在戸は同じグループだったので、楽だと思ったが、今度は男子にイジめられるようになり、最終的にはグループのリーダーに「私、〇〇君(よくいじめてきてた男子)が好きだから、もう絶交ね」と言われた。
朝学校に行けば上靴がなく、上靴探しから始まり(画鋲が入ってることもあるので、確認してから履く)授業中は、小さく切った消しゴムが飛んできた。消しゴムを忘れた時には「あっ、ラッキー」と喜んで使ってたら次からは、消しゴムのカスで作った練り消しが飛んできた。勿論些細な事は我慢したし、我慢できないことは先生にも言ったが、その後は「お前のせいで、俺らが怒られたから、土下座して謝罪しろ」とのことである。もう、この時点で先生に言ったところで面倒なことになるのは明らかだった。
そんな中、何故かいつも新しい班決めで私に積極的に声をかけてくれるクラスメイトがいた。なんて優しいいい人なんだ。と私は思っていたが、ある時陰で
 「まさと?班に入れてやると先生の評価高いじゃん?好きで入れるわけないでしょー」

と言っているのを聞いてしまった。

誰からも好かれない。私は皆のキラワレモノ……自己評価はこの時に奈落の底に落ちた。

学校に行くのが次第にストレスになり、頭や皮膚を掻き毟る癖がでて皮膚科に行くようになった。

どうしても我慢出来ない時は、昼休みにこっそり家に帰ったりしてた。
家にいれば母がいた。「忘れ物しちゃったから取りにきたよ」と嘘ついて麦茶飲んで、また学校に向かった。

それでも、両親には、イジめられていることは話していて、中学は、同じ市内に住んでいる祖父母の家の学区から通わせて貰えないか教育委員に頼んだらしいが、認められなかった。

だがしかし中学校では、いじめに関わった主犯達とは別のクラスにされ、5年の時に離れた大親友とまた同じクラスになれた。
中学校生活は、5〜6年の時とは雲泥の差で私には快適だった。「中学は、上下関係が厳しいから真人みたいなのはすぐ目をつけられるよ(笑)」と聞いていたがむしろ女子の先輩からはとても可愛がられた。ある意味『目をつけられた』
3〜4年の時の女子グループでのつるみもなく、多少の嫌がらせくらいなら気にならなくなった。

高校受験は、公立の女子高にした。理由はすっかり男子と接するのが億劫というよりむしろ恐怖を抱く存在になったからだ。女子グループのつるみも怖かったが男子の比ではなかった。滑り止めも私立の女子高にした。

無事志望校に合格したが、人間関係は再びリセットされた。でも流石に高校生にもなると、担任も友達関係に入ってこない。お一人様ライフを謳歌した。部活は、迷ってるうちにずるずると最後まで帰宅部だった。上下関係もなんのその人間関係のしがらみから開放された3年だった……とは、言い難く1、2年は帰宅部故に部活の出し物がないので文化祭はクラスにかかりきりになり、2年の修学旅行は旅行先が殆ど中学と一緒だし、グループ行動がかったるかったので、積み立てをしてくれた親には悪いけど、参加しないことにしようと思ってたら、担任から電話がかかり説得された。
案の定、グループ自由行動の京都でお土産の八つ橋の種類を吟味してる間に置いてけぼりにされ、危うく京都で遭難するところだった。あの時ほど、携帯電話が欲しいと思ったことはなかったわ(緊急連絡先の番号を控えた修学旅行のしおりは宿泊施設でお留守番だったので、持っていても意味を成さない)

その後も、長い間グループやコミュニティに在席することは殆どなかった。唯一続いたのは年に数回花見やらバーベキューやら宅飲みやら飲み会で集るスピッツがきっかけで知り合った仲間くらいだろうか、共通の趣味はやはり大きい。

その後も、茨城に引っ越して出来た友達。娘が縁で知り合った人達もいるが、後者に関しては特に逆に娘を通じなければ一生知り合う事のなかった人達なので、実は、お付き合いはかなり慎重にしてる。そこはやはり「自分は他人から嫌われやすい人間だから気安く付き合わない方が、後で自分が傷つかずにすむ」と今でも、思っているからである。

それ故に、娘の友達作りは物凄く心配で個人面談でも心配してたくらいだが(娘の性格からして大丈夫なのはわかってはいるんだけど)
年少の時の保育参観で、娘が普通に「なかまにいーれーて!!」って言えたり、娘が何か始めると「いっしょにあーそーぼ!」って友達が集まってくるのが、なんで私が子供の頃できなかったことをこの子は軽々とやっていけるんだと目の奥が熱くなって胸がチクチクと痛む。大丈夫泣いてない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?