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【必読】Inaka Emotionとは何か、バンドのコンセプトについて

はじめに

こんにちは、仙台を拠点に活動するInaka Emotionというバンドで歌詞と歌唱以外の全てを担当している齋と申します。

普段は仙台の大学で大学院生をしています。
つい先日、Inaka Emotionの1st EP「Photoframe」が公開されました。
まだ聴いていない方はこのnoteを読んでから聴いてください。基本無料で聴くことができます。

https://youtu.be/ne3MS01UPm4

今回のリリースは、複数の曲を公開し、アートワークやミックスなどの面についてもある程度の自信をもって表現ができた点において個人的に非常に重要なものでした。

ところで、Inaka Emotionは元々「バンドをやりたい」という欲求を基にして始めたわけではなく、よりハイコンテクストでコンセプチュアルな面を強調したものにしていきたいと考えていました。

こういった志向は現在も変わりないため、Inaka Emotionというものが一体どのようなもので、どういった意図や背景があるのかを少し語っていきたいと思います。

普通のバンドはこういった部分の説明を自分からはしないように思いますし、人によってはこういった記事をダサいと思うかもしれませんが、そもそもバンド名がバンド名ですし、何も伝えないままだと何も伝わらないので、何かが伝わればいいなと思いながら書きます。

以下が長いと思うので、ここで一旦結論を書いておきます。読むのが面倒な方はこれだけ読んでください。


Inaka Emotionにおける「Inaka」は都会と田舎を対比的に捉えた相対的な概念であり、「Inaka Emotion」は、「都会において得られる社会生活上のアドバンデージに対応する、田舎でしか得られないであろう哀愁、叙情、感情、とりわけ「グローバル化」の時代において社会が最適化され、そう遠くない未来に消滅するであろう田舎というものに対するもの」である。

また、バンドとしてのInaka Emotionの目的は、上記の「Inaka Emotion」概念の普及に加え、持続可能なバンド活動や、ジャンルに囚われない活動展開の実現仙台のラウドシーンへの寄与仙台市のスクリーモ・メタルコアバンドの文脈継承、k0he1というボーカリストの活動拠点確保などを現時点では挙げたいと思う。

1.Inaka Emotionの概念的コンセプトについて

①都会⇔田舎

みなさんにとって、「田舎」とは何を指すでしょうか。限界集落のような土地を想像する人もいれば、単に自分の地元の風景を思い浮かべる人、祖父母の家がある地方のことを考える人もいるでしょう。

僕が生まれ育ったのは宮城県の海沿い南にある亘理町という町で、限界集落とか山奥とかそういうわけではないけど、平地の一面が田んぼのエリアがあったり、町で一番高い建物がJAだったりするような場所でした。両親は農業を営んでいたため、田んぼや畑が日常にありました。

高校大学は仙台市内の学校に通ったのですが、生活の節々、進路選択、バンド活動など色々な面で、「田舎」と「都会」の間にある明確な「差」について考える機会がありました。
特に顕著なのは勉強面で、よく言われる教育の地域格差のような話は仙台市レベルの地方都市内でも、県内の他の学校との比較や全国的な規模での比較等により、十分実感できるものがありました。
また、仙台市は都市の規模に対する最低賃金が低いことで有名ですし、あるいは文化資本的な部分でも明確に東京などの都市には劣ります。まして、宮城県の非仙台市市町村についてはそれがより顕著であることは明らかです。

つまり、これはかなり月並みな話ではありますが、社会生活を送る上で有利なあらゆる物質的要素において、しばしば「田舎」よりも「都会」の方が有利である、「田舎」にはないものを「都会」は持っていることに疑う余地はありません。

ところで、世の中のあらゆる「地方格差」というトピックの議論は、この「差」をどうやって埋めるか、つまり、いかにして「田舎」を「都会」にするか、という方向で議論を進めている傾向がある印象があります。

そういった方向で「田舎」と「都会」の「差」を考えることもできますし、それは「グローバル化」の時代においては当然の方向性で、その結果として将来的に「田舎」とよばれ、格差を実感してしまう次世代がいなくなればいいとも思っていますが、それはそれとして、また別の視点も考えられるのではないでしょうか。

つまり、実は「田舎」にあって「都会」にないものもあるのではないか?という、比較的希望的で明るいイメージを基にした視点で田舎を捉えなおすことにも意義があるのではないかと考えました。こういった思考の流れが結果としてInaka Emotionにおける「Inaka」概念と「Inaka Emotion」概念、あるいはバンド名を着想するに至るきっかけの一つになりました。

ちなみに、一応書いておくのですが、僕の家はわりと貧民側であったことを書き添えつつ、地方格差と貧困は切り離して議論するべきであると考えています。念のため

②「Inaka」とは何か

ところで、ここまで「田舎」と「都会」を区別していましたが、そもそも「田舎」と「都会」は明確に区別ができるのでしょうか。あるいは、「田舎」というものに絶対的な基準を設けることはできるのでしょうか。

結論としては、「都会」が存在することでそれに対する相対的なものとして「田舎」が存在している、つまり両者に明確な違いはなく、また、この場合における「都会」も「田舎」もある種の理念型で、実際には存在しないイデア的イメージに過ぎないと考えます。
(このあたりの議論はあまり整理できていないので、適宜改訂するかもしれません)

そして、理念的な「都会」から相対化され、それ自体が自分自身の経験として紐づけられ、コンテクストを同じくした時の「田舎」のことを、ここではあえて「Inaka」、つまり、Inaka Emotionのコンセプトの一部を担う概念として提示したいと思います。

要するに、「Inaka」とはすべての個人にとってのホームタウンであり、ふるさとであり、実家であり、あの日見た景色であり、情景であり、自分自身が今ここに存在する必然性なのである。とここでは主張していきたい。

③「Inaka Emotion」とは何か


今挙げたような「田舎」においては、いわゆる「都会」では得られないものがある。それは、郷里へのクソデカ感情であり、思い出であり、記憶である。もう二度と味わえないようなあの日の経験や、もう二度と会えないようなあの人や、もう掴むことが許されないあの日のチャンスのことを考えたときに心の中から湧き上がってくるノスタルジーである。
あえてこう言いたい、我々は「思い出」を消費して生きているにすぎないと。

ゆえに、この定義においては明確に全ての人が等しく「Inaka Emotion」を胸に抱えることができるし、決して都会の人間を対象から外す意図はないということを述べておきたいと思います。
ただし、こういった「Inaka Emotion」をより解像度高く持ち続けられる、それこそが「都会」の人間にはない「田舎」の人間の強みなのではないかと、そう強く思うわけです。

④Inaka Emotionが生まれた日

章の最後に僕自身が明確に「Inaka Emotion」を意識した日の話をします。

2017年9月24日

当時大学受験生だった僕は、当時は県外の大学に行くことも視野に入れていたため、いろいろな場所について調べ、「大学」という、ある意味科学の代名詞のような場所を目指す過程で、ふと「近所だけど行ったことがない場所があるのはどうなんだろう」と考えました。
今までは家と駅を往復する以外にろくに外出することがありませんでしたが、その日、かつて震災で津波が来た近所のエリアに散歩に行きました。
そこには、津波の影響があったかどうかはわかりませんが、一面田んぼが広がり、「自然」を感じる空気が吹き、雄大に広がる空がありました。

当時の実際の写真 画質がさほど良くない

その瞬間、「俺、ここに生まれてよかったなあ」と思ったのです。

これが私のInaka Emotion創世記


ちなみに、最近行った県北の方が田んぼの一面具合がすごくて、すごいなってなりました(小並感)

2.Inaka Emotionのバンドとしての目的などについて

以上述べたような思想を基にInaka Emotionがあるわけですが、なぜこれをバンドとして表現するのか、それには意味があるのか、そもそも目的は何なんだ、などについてもたくさん考えておりまして、それについても軽く触れていきます。

①「Inaka Emotion」概念の普及

上記の僕の思想は単純に文章として公開するにはまだ先行した文献等を参照するに至れていない点や、そもそも僕の出身地が言うほど田舎じゃないんじゃないかという話もあり、説得力がありません。というか僕の学問的な専門分野は全然違うので、そこまで手が回っていません。

しかし、バンドないし創作活動というカテゴリにおいてはむしろ独自性を生むのではないかと考えています。

というのも、継続したバンド活動にはライブハウス・楽器屋・スタジオ等へのアクセスなどの環境要因が必須と言っても過言ではないため、そもそもバンドという方法はかなり「都会的」であると僕は考えています。事実、僕自身はバンドというものを始めてから何度か地理的な壁や物質的な面でのやりにくさをしばしば感じていました。

そこで、田舎的な思考において田舎的なものを都会的な方法によって表現することを試みるというのも、単純にそれ自体が面白そうというのもそうですが、今後バンドをしたいと考えている地方の人間や、スタイリッシュな都会のバンドになろうとしてもなり切れない僕みたいな人間にとっての「バンド活動」のハードルを下げることができる可能性を秘めているのではないか、そういう意義が見出せたというのが、バンドという方法を選択した理由の一つとしてあります。

僕はあの日、先輩から高いギターを売ってもらったけどバンドが組めずにギターが置物になってしまったあの人を救いたいと、いつもそう思っています(特定の人物を指すものではない)。

②仙台のラウドシーンへの寄与・文脈継承

田舎的な表現をバンドでやる意味については以上の通りですが、実は既存のバンドで何となくそういったコンテクストを感じるバンドが一つあります。

仙台が誇った幸福模索スクリーモ、「Story of Hope」です。

https://youtu.be/OYYiDnQ94XY

仙台のバンドではありますが、仙台郊外の市や町出身のメンバーが何人か在籍していたことや、


バンドには東日本大震災で被災したメンバーが在籍しており、“音楽を通して幸せを伝える”という意味合いを込めた“幸福模索Screamo”を掲げて宮城県仙台市を拠点に活動を行っている。

https://natalie.mu/music/news/171458

という部分から僕は強いシンパシーを感じるバンドで(僕も11歳の時に震災を経験しています)、もはや曲を聴くと「Inaka Emotion」感じてしまうレベルになっています。今回のEPでも意識的に「SoH」の文脈を汲んでいる仙台のバンドであることがわかるようなリフやフレーズを多く盛り込んでおり、音楽的な面でも非常に強い影響を受けています。

仙台の他のバンドだと、高校時代にはじめて行ったライブハウスで目撃したArtfilmや、Fake Faceなどにも影響を受けており、そういったバンドが築き上げてきた仙台のシーンに貢献したいという思いが高校時代からありました。色々上手くいかずに7年ほど経ってしまいましたが…

ご存じの方もいるかもしれませんが、今の仙台ラウド・メタルコアは、僕が初ライブでサポートベースを弾いたことでおなじみOptimistや、僕の大学の先輩でおなじみの提婆達多のようなバンドが積極的に活動しつつも、明らかに絶対数が以前よりも少なくなっているのが現状です。
そういった仙台のシーンに少しでも何かを与えたい、そういう思いがあります。

少なくとも今回のEPについては、そういった文脈を意識しつつ、音楽的な幅も見せることができ、結果として他にないような独自のサウンドになったのではないかと思っています。

③持続可能なバンド活動

上記に関連するのですが、バンド活動で最も難しいのは活動し続けることなのではないかと思います。特にメンバーの転勤や家庭の事情で脱退、活動休止、解散のようなパターンが少なくありません。また、バンド活動は時間と財布を圧迫するので、そういった面の負担についても原因としては大きいような印象があります。

そこで、Inaka Emotionに関しては僕一人が手を動かせばとりあえず何かしらの活動は回るような状態で運営することを試みており、基本的には作曲・レコーディング・ミックス・マスタリング・ロゴ・アートワーク・動画制作・マネージメント周りなどはすべて自力でやってみています。いい作品を作るために投資するべきだという意見も理解できますし、実際めちゃめちゃ頑張る方向でやろうと思えばもっとやれることが沢山あることは自覚しています。
これからバンドをはじめて本当にめちゃ頑張りたい人は最近のビトクさんのnoteにすごく参考になるとんでもなくいい記事があるので是非読んでみてください。

僕自身はこれを読んだ上で、自分がバンドを続けることを第一に考えた場合、支出を徹底的に減らすということを重視することにしました。
もちろん音源などのクオリティが下がる危険性はありますが、前述の田舎的なコンセプトであることや、こういったコンテクストも含めて作品であること、そもそも、ミックスもマスタリングも自分の音源でやらないとできるようにはならないし、できないよりはできた方がいいと考えられることなどから、むしろまだInaka Emotion全力投球できる状態ではないが時間はある程度取れるような状況において、いい意味で身の丈に合った選択であるように思います。

今の目標はとりあえず10年後もInaka Emotionを続けていることです。

④k0he1というボーカリストの活動拠点確保

このように、Inaka Emotionにおけるほとんど全てを自力でやっている僕ですが、歌詞とボーカルだけはこいつにお願いしている最強の男がいます。もうひとりの正規メンバー、k0he1です。

彼は高校の同学年だったことで知り合ったのですが、当時からお互い激しい音楽が好きで、組んでるバンドは違えど、当時の先輩の影響でsumerian records系のバンドを聴いて一緒に「ヤベー」と言ったり、文化祭で一緒にSiMや初期BMTH、BoOのM∆CHINEをやったり、Slam Worldwideを紹介したりして仲良くしていました。
その後、僕は大学で東北最大級のメタルサークルである東北大学軽音楽部Strangersに入部して提婆達多の先輩をはじめとする多くのメタラーと出会うわけですが、そんな中別大学でメタル欲を持て余していたk0he1を誘ったことで彼も入部し、そこから4年間沢山のバンドをコピーしました。

k0he1や提婆達多のZoiさんとGraupelのカバーをした回や、こちらは僕は出演していませんが、k0he1や提婆達多のギター二人に加え、提婆達多などのデザインを手掛けるハットリさんがベースを弾いていた、SBTWのコピーをした回など、

彼との学生生活には思い出が沢山あります。まあ僕はまだ学生なんですが。

そんな彼は、提婆達多のサポートを務めたことがあったり、

道連れ -MICHIDURE-(EP)では一曲目でfeat.するなど、

実力は折り紙付きなのですが、どうにも外向きのバンド活動には恵まれておらず、いまいち腰を据えた活動ができていなかった印象があります。僕自身数年前から彼とともに演奏するオリジナル曲を作ろうと模索していましたが、そこには思想が介在しておらず、どうにもうまくいきませんでした。

これまで書いたような形でInaka Emotionが形になり、ボーカルと歌詞をどうしようかという段階に至ることができたことで、結果としては彼が志願してくれてともに活動することになりましたが、僕と最も音楽的コンテクストを共有している人間の一人であり、ボーカリストとしての実力もある彼にその部分を任せることは必然だったように思います。
彼自身のスタンスがどうなるかはわかりませんが、少なくともボーカリストとして限界が来るまで何らかの活動をしてほしいと僕は考えているため、彼の活躍の場を用意し続けるという意味もInaka Emotionにはあるのかもしれません。
(余談ですが、部活の後輩にもうひとり表に出したいボーカリストがいるのですが、彼についてはどこかでフィーチャーするかもしれません)

追記:例の後輩をfeat.しました


⑤ジャンルに囚われない活動展開の実現

これについては後日アートワークやロゴについての解説note記事を別途作成し、そちらで詳しく述べたいと思います。

3.今後の展望、ライブ活動など

音源をリリースしたことですし、ぼちぼちライブ活動をしていきたいと僕は思っていますが、残念ながら現状正規メンバーが2人であり、そう軽率にライブを受けられる状態ではありません。しかし、近いうちにライブが可能な人員を確保し、それぞれ個人個人の都合などもあるのですべては難しいとは思いますが、可能な限りライブ活動を行えればと考えています。

実は初めはライブをしないプロジェクトバンドにする予定だったのですが、僕の目的から逆算するとライブがほぼ必須である気がしてきたことや、そもそもライブをすること自体が好きであること、ライブハウスが昔ほど苦手ではなくなってきていることなどからかなり前向きに検討しています。逆に積極的にライブを観にも行きたいと思っているので、どこかでお会いした際にはよろしくお願いします。

また、ライブ活動を検討する前後にマーチ販売やCDフィジカルでのEP販売等も検討しておりますので、SNSのチェックの方をよろしくお願いします。


おわりに

思っていた4倍くらいの分量になってしまいました。ここまで読んでいただけた方、本当にありがとうございました。

今回の内容を踏まえてEPや今後のリリースをチェックしていただけると、より深みが増すのかもしれないなと思います。背景を理解することでよりみなさんがInaka Emotionを身近に感じて、好きになってもらえればそれ以上の喜びはありません。

重ね重ねになりますが、是非1st EP「Photoframe」のご視聴と拡散の方をよろしくお願い申し上げます。

では、次回、EPの曲解説か、アートワーク等の解説記事でお会いしましょう。Inaka Emotionの齋でした。

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