見出し画像

"発達障害"たとえ色眼鏡で見られたとしてもこのレッテルを手放すつもりはありません

幼い頃からずっと自分の事を怠け癖のあるポンコツだと思っていました。
夜どんなに寝ても朝起きられないし日中眠い。
確認してもしても忘れ物をする。
言われた事もしとかなきゃいけない事も頭からすっぽ抜ける。
授業が聞けない。板書もできない。計算ができない。
漢字が書けない。走れない。眩しい。うるさい。
目の前の人が言ってることが聞き取れない。
外から帰ってくるとぐったりして何もできずに寝込んでしまう。
物を壊すしすぐ無くす。
衝動を抑えられずその場の思いつきでわけわからないことをしたり言ったりしてしまう。
日常生活でも人間関係でも社会的にも失敗を挙げるとキリがありません。
周りと比べて明らかに出来が悪くて良いところなんて何もないとずっと思って生きるしかありませんでした。

だから私は発達障害の診断に救われました。

全てに理由があったと知ってとても楽になりました。

発達障害を理由に努力を放棄するわけにはいかないし言い訳にもしたくないけど、説明にはなります。

人に堂々と伝えることができます。

出来ないことを人並みにできている風に見せるのはとても疲れる事です。

しなくていいならしたくないという本音をずっと抱えていました。

正式に障害者となった事でどの程度まで努力するのか、どこまでなら頑張れるのか、私自身が選ぶことができるようになりました。

楽以外何と言ったらいいかわからない、これまでの人生がひっくり返るくらいの楽さです。

ある日突然障害者として生きることになりましたが、何の葛藤も後悔もありません。

診断がつく前後の頃はもうとにかくしんどくてしんどくて早く楽になりたい一心でした。

私にとって発達障害という診断、あるいはレッテルは救いです。

たとえ色眼鏡で見られたとしても、対価となる制限が人生において課されようともこのレッテルを手放すつもりはありません。

手放せる物でもありませんが。

楽をして生きて何が悪い!と叫びたいしなんなら障害がある時点で「普通に」生きてるだけでも健常者の何倍も頑張っているし苦労していると自負しています。

発達障害は見た目ではわかりません。

本当にわかりません。

ごく稀にちょっと変わった人だなと思われる人がいるくらいでほとんどの場合は本人が言わない限り周囲は気づかないのではないかと思います。私もその1人です。

自分から言わない限りまず気づかれません。

唯一気がついた人は、ご主人と3人のお子さんが発達障害を持っている女性でした。

常日頃4人の当事者と接しているからこそなんとなくわかったそうです。

カミングアウトすると大抵はへぇーと驚かれますがたまに「全然そんなふうには見えないから大丈夫!」と言うようなことを言われます。

何が大丈夫なのか全然わかりませんが気にしないでのニュアンスで大丈夫と言われます。

私にとって障害は隠したいものではありません。

バレてないから大丈夫だよというニュアンスなのだとしたら相当失礼な人だなと感じてしまいます。

見た目でわからないからこその苦労も沢山あります。

支援を後回しにされがちだし程度も軽く見積もられがちです。

できない事なのに頑張ればできる事にすり替えられたりします。

あまりにも面倒くさすぎてプラカードでも下げて歩きたいと思った事もあります。

今はヘルプマークに多少助けられています。

とりあえず障害者だと言うことを理解してもらいやすいです。


この記事が参加している募集

#自己紹介

230,124件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?