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ばいきんまんとドキンちゃん

君の切なくも美しいエメラルドの瞳が見つめる先に
僕がいたことなんて一度もないし
これからだってないのかもしれない。

ライバルとの戦いに例のごとく敗れた僕は、
アンパンチでひどく負傷した身体を引きずりながらなさけない声を漏らす。
「はひふへほ…」
無邪気に君が欲しがった氷の白鳥なしでの帰宅は心苦しかったが、
おなかをすかせた君をいつまでも待たせておくことの方が僕には酷だった。

「おそい!もう、バイキンマン何やってるのよ。おなかすいた」
玄関のドアを開けると怒ってほほを膨らませた君が腕を組んで待っていた。
テーブルには君が大事にしているアイツの形をしたぬいぐるみが横たわったままだ。
「ごめんドキンちゃん。今何か作るから」
手ぶらなことに関してのお咎めがないことに胸をなでおろしつつ、
僕はキッチンへと急いだ。
今日はひどく冷えるな、温かいスープでも作ろう。
そう思い蛇口をひねる。
「いてっ!」
冷水が傷に染みて、痛みを自覚した瞬間に疲れまで顔を出してきやがる。
「かっこ悪いな、僕は」
正直立っているのもやっとなぐらいの状態だったが、
リビングでくつろぐ女王様のために早くご飯を作ってあげなくてはという気持ちの方が大きかった。

「あー、あのさバイキンマン」
君がソファーに寝ころびながら話しかけてくる。
「んー?どうしたの?」
僕はにんじんを刻みながら耳を傾けた。
「私って世界で一番美しい女の子じゃない?なのにどうしてしょくぱんまん様は私に見向きもしないのかしら?」
疑問と哀しさが入り混じる声の方を見やると、君が大事そうにあいつの人形を抱きしめていた。

「そうだな、心ってやつは思い通りにいかないんだ。いくら欲しいと願ったって手に入れられないこともある。本当にやっかいなもんだよ」
僕はそう言ってため息をついた。君は聞いてきたくせに僕の返事なんかちっとも聞いていないようだった。
「ところで、白鳥は?私にくれるっていってたじゃない?どこにあるの?」
ドキン!胸が痛んだ。王女様が僕の失態を見逃してくれるわけがないよな。
「白鳥は…飛んで行ったよ!自由になったのさ」
僕が精一杯のおちゃらけた声で言うと、
「なにそれ?バッカみたい」
あまりにもつまらない返答に、君はプイと向きをかえてしまった。

「あげたかったな……白鳥」
ポツリとつぶやいた声はぐつぐつと鍋が煮える音に吸い込まれ、僕はもやもやとした気持ちをかき消すように慌ただしく夕食の支度を続けた。

バイキン城の屋根を突き破って君が僕の前に現れたあの瞬間から
心はいつも同じ方向を向いている。
君の笑顔の為なら例えこの身が滅びようとも構わない。
そんな大それた決意をしたところで、ちっぽけな僕の力では結局何もできないのだけれど。

とっておきのスパイスを入れ込んだにんじんスープをテーブルに並べると、
君は待ちきれんとばかりに手を伸ばした。
もう時刻は24時を過ぎようとしている。

「あったまる~。これおいしいわね」
そういって君が僕に笑いかけた。



あぁ、本当に、厄介なもんだ。

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