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「個」というサイズの意味が問われる時代、みんな当事者という感じ。

#先日の余談

< 注:この記事の内容は執筆時点のものです。脱稿:50%ぐらい(434W)>

インターネットという媒体を通して「個」というサイズの意味が問われる時代なのだと思います。みんな当事者という感じ。

その個が持つ固有の「名称」の役割がどこまで重要なのか?ってことなんだけど、匿名性ってそのほとんどが個ではないんだ。

内容の良し悪しに関係なく、匿名性って個人を隠す行為だと思ってて、匿名の発言ってその容れ物(例えばメディア)の発言になってる。

匿名という言葉には、自分の名前を隠して知らせない行為よりも、なんらかの行動をとった人物が誰なのか判別できない状態に意味を持っており、前者だと本名じゃなくても、その発言に説得力があったり信用ができると、その発言者を定めることができるので匿名にはならないって考えている。

芸名、作家名、ペンネームって、誰が行っているのか周囲は認識できるので、匿名じゃない。

特にインターネットだと、プロフィール画像が「顔」になるけど、「名称」より「顔」が大切ってことでもないんだけど、何処に責任があるのかってことに近いです。

当事者の話は、、、

(続く)

<言葉> #個 #匿名

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