神殺しの一日。あるいは世界中にあふれている悲劇について。
悲劇は陳腐になるほどにあふれかえっている。
先日、NHK BSにてコロナ禍におけるシリア難民の生活をおった番組があった。
僕も放送後にtwitterで知ったので、内容は観ていないが、つぶやきを見る限りそこにあったのは、悲惨な現状だった。
生活のために売春や、臓器売買を行い、また誘拐されて臓器を取り出されるなど、この世の地獄を体現したような日々が現実で起こっている。
一体、人間というのは進歩しているのか、それとも退化しているのか、無数の悲劇は陳腐になるほどに膨れ上がり誰からも忘れ去られている。
システムや、大局の意志の犠牲になるのは名もない市民で、先進国んひ住む誰かの犠牲や悲劇の上に立つ僕らも、いくつもの悲劇を抱えて、絶望の上にいる。
神様は助けてくれない。きっと僕らのことには興味がないのだろう。僕らだって現実に起きている他人の悲劇に目を向けることがないのだから。
もし神様がいるのなら、欠陥だらけの僕らを創造した罪のために殺そう。
だけれど、少なくとも、目に見える形ではいない。いるのかもわからない。
だから、僕は復讐のために自分の生活を少しだけ丁寧に生きて、少しだけ他人に優しくして、多くの悲劇を忘れる代わりに自分と自分の周りをあたためる。やがて、余裕が出ればその輪を広げたいが、今できることを精一杯に。日常を過ごしていくのに、他人の悲劇まで抱えていたらままならないのは、僕が弱いからではない。それでも、いつかは悲劇に寄り添えるように。
神様は殺せない。だから、僕は神様に復讐をする。神殺しの一日に誓う。
シリア難民の番組は明日午前8時からNHK BS1で再放送します。
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