シャニマス アンティーカ感謝祭の話

久しぶりにアンティーカの感謝祭をやったので。
アンティーカというか主に咲耶さんについてだけど。

咲耶さん、見れば見るほど大型犬で、ついににこにこしてしまう最近。
みんなと一緒にいるのが本当に嬉しいんだよね…アンティーカのカード、咲耶さんはいつもみんなのことが見える位置にいるの本当に良い。
「みんなを見ている」というより、「みんなが集まって一緒にいる様子、ひいてはその事実」を見てにこにこしてるんだな〜と思うと、健気で泣けてくる…。

いや実際、感謝祭で、1人で寂しい思いをしていても周りに心配をかけまいと自分はそれでも幸せだと思い込んで生きてきたからその幸せを自分の本心だと錯覚してしまっている、というのが幼い頃の家庭環境の片鱗とともに明かされるシーン、何度見ても普通に泣いちゃう。

アンティーカはメンバーの人格形成の過程を考えても「家族」がひとつのテーマだと思うけど、アンティーカ自体が「家族」という気はあまりしない。それで言えば最近のストレイライトの方がよっぽど家族してるし。
アンティーカはきっと「居場所」なんだな〜。


白瀬咲耶さんって一見、言葉遣いも立ち振る舞いも人一倍大人びていて、天然ジゴロなせいで年上だろうが手玉にとってしまう…みたいなイメージがあるけど、その実、咲耶さんが「人の世話を焼く」というようなシーンってほとんどない気がする。
咲耶さんは冷静に人を嗜めたりもするけど、それよりはみんながバタバタやってるのをにこにこ眺めている印象があるし、恋鐘さんの方がよっぽど摩美々さんとかの世話を焼いている。
咲耶さんは、どちらかというと、その危うい自我を常に周りに見守られているような印象がある。感謝祭がまさにそういう話だからそうと言われればそうなんだけど。

咲耶さんの自己犠牲のもとに成り立つ利他主義は、大抵が行き過ぎてしまった思考や、から回った気遣いから成っているもので、そういう「成熟のしてなさ」みたいなものが端々に感じられるところが好きです。
高校生とは思えないルックスの内側に、しっかり「高校生だな」と思える自我が存在している…。

三峰さんと咲耶さんの人間性ってどこか似ていて、三峰さんの本心の隠し方、踏み込ませなさっていうのはいっそ完成していて、自分がどう動けば周りにどういう影響が出るのかよく理解していて、なんというか現実味があると言えばいいのか…。
咲耶さんの場合は想像力が暴走してしまうことがあって、それによって行われる自己犠牲や本心の押し隠しが、自分では隠せているつもりなのかもしれないがまだまだ未完成ですぐに周囲に気付かれてしまう。
それは、本心を曝け出したくないと無意識に思っているのに、他人に干渉する隙を与えることであって、三峰さんはそれを絶対にしないんだよな…。
だからこそ感謝祭で最初に咲耶さんに思いをぶつけるのが三峰さんなの、いやもう本当に…言葉が出ませんね…。

三峰さんと咲耶さんでは、自分への理解度にも大きく差があるとも思う。
「踏み込ませたくない自分の性質と、それに対する適切な接し方」まで熟知した三峰さんは厄介には違いないが分かりやすくもあり、咲耶さんは高校生らしく発展途上の自我を抱えているのでまだハッキリとした「自分」が存在していない。
だから自分の本心に鈍感になるが、それは気付かないのではなく気付きたくないという場合が多く、周りにも無意識的にそれを要求してしまうフシがある。
「自分はこう考えていて、こういう人間だと、認めてしまいたくない」というような、本質的な自我に抗う未熟な雰囲気が常に漂っているところがある。
それは先にも言及したとおり、両親に心配をかけさせまいとするあまり自我を押し殺してきた幼い頃の経験が土台になっているものだけど。
自分の寂しさを認めてしまうと潰れてしまいそうになるから、今この自分が感じる寂しさは、周りの大切な人間にとってひとつの幸せのあり方だから、自分もそれで幸せなのだと思い込むことで防衛機制として働かせてきたんだよね。


まだアニメの話をするけど、1期がユニット結成〜wing出場の話だとしたら、2期って完全に感謝祭の流れなんだよな〜。
自分たちでライブの構成考えるとかもそうだし、何より次回予告でアンティーカの不穏な雰囲気があったから、あれは感謝祭のストーリーをなぞったりするのだろうか…。楽しみだな〜〜。

ゲームにおいても1周目の頃のカードって割とみんなふんわりしたことを言ってるだけだし、年を跨ぐにつれ増してきたシャニマスの面白さみたいなものは1周目のカード自体にはほとんど無いと正直思っている。
そんなゲームの雰囲気すらそのままアニメに持ち込まれていると考えたら、めちゃめちゃ良いなあ…と思ったりしている。

長くなった。
おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?