北東連邦大学の留学生活2

 皆さん、Дорообо!(ドローボー)! «サハ語でこんにちは!という意味です。»

 9月も終わりになり、冬に向かって寒くなってきています。ヤクーツクはもう少しすると雪が降ってきます…🥶 日本からヤクーツクに来た時は8月でしたが、乾燥のあまり喉を痛めた経験があるので、日本からマスクの常備は必須ですよ笑😅

 今回は、私が受講していたサハ文化の授業と法学部とサハ文化学部の授業についてお話ししたいと思います。

 まず、私が受けた授業のスケジュールは以下の通り。

9月〜12月 サハ文化を学ぶ為の英語による個人授業を受講 

サハ語 (Якутский язык)

サハ民間伝承(Якутский фольклор)

サハ語の歴史(История якутского языка)

北方先住民族文化(Устно-народное творчество коренных народов Севера)

 各授業を受けた感想↓

 基本的に英語を使いこなして説明してくれる先生は多くないです。その中でもサハ語の臨時の先生と、サハ語の歴史の先生は英語でスムーズに説明してくれました。

 サハ語の授業は、英語で書かれたサハ語の参考書と日本語で書かれたサハ語の参考書を使って勉強しました。初回だけ、ご年配の先生がご指導してくださり、その後は臨時の先生が最後まで教鞭して下さいました。(ご年配の先生が末期癌だったため)

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 サハ民間伝承の授業では、ご年配の婦人の先生と毎週ヤクーツクにある、博物館や音楽学校、劇場へ行き、サハ文化を肌で感じる授業でとても面白かったことを覚えています。 ただ、先生は英語が出来るということでしたが、説明になるとロシア語で説明されてとても複雑でした。最後は、学部生も交わった発表会で「サハ語と日本語の類似語について」発表しました。

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 ↑ヤクーツク市内の音楽学校

  サハ語の歴史の授業は、先生が毎授業ごとに附箋に各カテゴリーごとのサハ語を書いたものを私に渡し、それを使って勉強しました。サハ語の中でも普段使う単語、今は使っていない単語など、様々な種類の単語に触れました。その中で、ロシア(ソ連)がサハ語に与えた影響を学びました。サハ語から、サハ共和国での歴史背景を学べたのでとても楽しかったです。

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 こちらは、Ленские Столбы(レンスキー・ストールブィ)と呼ばれる、レナ川の柱群から見つかった古代ヤクート人の彫刻です。


 北方先住民族文化の授業は前期は気付いたら、エベン語の授業になっていました😓 先生から北方先住民族の劇によく招待され(有料)、行きました。劇はプロの方がやっているので、完成度はとても高かったです。

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 9月〜12月 上記の個人授業(午後から)と並行して、午前中にロシア語の授業をうけました。

 前回の記事でお話ししましたが、東アジア圏(🇯🇵🇨🇳🇰🇷)で集まったクラスです。

9月 クラス分けテストが実施(ТРКИの文法問題が出題А1-С1レベルまで)

 最初はА2クラスで日本人2人と韓国人8人で受ける。→途中から中国人が多く入ってきたので、クラス編成。

10月 初級クラスへ。韓国人3人、中国人8人、日本人は私のみ。

 月〜火曜 午前2コマのみ。大学で勉強。

水曜〜木曜 午前2コマ+午後1コマ 大学で勉強
金曜 午前2コマ+午後1コマ 博物館巡り、市内散策、教室で人狼ゲームなど。

1コマ目 9:30〜11:00

20分間の休憩。所謂、コーヒーブレイク。

2コマ目 11:20〜12:50

昼休憩 12:50〜13:00

3コマ 13:00〜14:30

 20分間休憩で、朝ごはんを購買で買って食べている人や、昼休憩は、日本人、中国人は寮に戻ってご飯を食べて、韓国人は外食している印象がありました。私は寮に戻るのが面倒なので、学食で済ませることが多かったです笑😅

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ロシア歴史博物館にクラスで行った時の写真。

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大学近くのカフェの料理。(現在は移転)

1月 後期授業をどうするか話し合う。

 年明けの1月14日ごろに始まります。ここでは、ロシア語の授業を取るか、サハ文化の授業をどれくらい取るかをサハ文化授業のディレクターと話し合いました。

2〜3月 学部授業+サハ文化の個人授業

 学部授業に関しては、知り合いの先生や友人からの紹介で先生と交渉したため、授業料は発生していないです。

•歴史学部 毎週火曜9:50〜13:15 2コマ分

      内容は  「北東ロシア民族と文化の歴史」

•法学部 毎週水曜9:50〜13:15 2コマ分

     毎週水曜 15:50〜19:15 2コマ分

 内容は学部4年生の「世界の北極圏における法」と院生の「北極圏の先住民族の法」→2月の間、試験的に受講。


•ロシア北東民族の言語・文化学部

毎週木曜日 9:50〜13:15

内容は「サハ言語学の疑問(問題)」«вопросы якутского языкознания»→1月〜3月のリモート授業になるまで

•個人授業 授業料合計3万円支払い

オロンホの授業 毎週金曜9:50〜11:20→2月〜5月

北東原住民族(エベン文化と言葉)  毎週金曜 15:00〜16:30→2月〜3月途中で、詐欺まがいにあっているとこに気付いてやめました…


 各授業内容と進め方

・「北東ロシア民族と文化の歴史」先生がフィールドワーク(海外や地方で、現地研究をすること)をする人なので、その時の経験などを話してくれます。時には毛皮付きの熊の手も見せてくれました。😳😳2コマ目は学生によるPowerpointを使用した発表会です。 私は授業の聴講生という立場だったので、教材を買うなどのことはしませんでした。

「世界の北極圏における法」と「北極圏の先住民族の法」は同じ先生で、先生がスライドを見せて説明をします。最後の15分間で学生にこれについてどう思う?これはどういう意味だ?という記述式の回答のやり取りをしていました。知り合いから授業の参考になる資料を貰い授業の概要は把握しましたが、先生が言っている内容を理解は30%くらいでした。(ロシア語の北極圏に関する専門用語の理解は必須です。)

「サハ言語学の疑問(問題)」先生は前期のサハ文化授業でお世話になった先生です。授業は先生が持っている本の内容をもとに展開されていきました。途中で疑問のある学生が質問をして答えていくという流れです。先生の配慮で、章の終わりごとに英語で説明してくれました。私は、章や年代の流れをノートにとりました。

・オロンホの授業は、先生が大学と併設されているオロンホ研究所の研究員の方でした。先生が同大学日本語学科卒業のため、授業は日本語で実施し、日本語訳されたオロンホの物語を読んでいくなかで、サハ文化について学んでいきました。ニュヘルベゲという主人公のオロンホの物語を読み、サハ語の単語や、オロンホの世界観、サハ語から日本語への訳した方を学んでいきました。 オロンホの授業では、古くからのサハ文化やサハ人の生い立ち(神話)を知ることができ、民族や文化に対する理解がとても深まりました。

・エベン文化と言葉の授業は、後期も流れで受講となりましたが、正直先生の方針で授業とは名ばかりの宿題で日本語とエベン語の辞書を作る作業に追われ、あまり、深く文化を学ぶことや民族間の比較はできませんでした。そのため、途中で中止を致しました…

 

 以上が私が1年間通して北東連邦大学で受けた授業です。3月からリモート授業に切り替わりオロンホ授業しか受講していませんでしたが、異国の地での授業を受けるということを経験できて良かったと思っています。


 次回は、大学授業開始前のサマースクールについてお話ししたいと思います。

 それでは、Всем пока~~🙌



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