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第一回 さごし、『メスとコスメ』を語る

さごしの気紛れ感想文、記念すべき第一回でございます。

今回はキリンジのアルバム『3』より、『メスとコスメ』について語ろうと思います。

気紛れ感想文って何ぞや?

そも、さごしの気紛れ感想文とは何ぞや?と疑問に思われている方もいらっしゃるかもしれませんので、ざっくりとご説明させていただきます。

説明といっても本当に字面のままなのですが、さごしが良いなと思ったものや好きなものを、自分の感性のままに、ほとんど脳ミソから撮って出しで、書き連ねていくシリーズとなります。趣味で文章を書いておきながら、恥ずかしいことに知識量は平々凡々な私が武器に出来ることといえば、この妙に曲がりくねった感性くらいしかないもので……かなり好みが分かれるものかもしれませんが、「へぇ、こんな奴もいるのか。ふんふん」程度にお楽しみいただけると幸いです。

長い前置きほど退屈なものはないですから、早速本題へと参りましょう。

メスとコスメ

始めにキリンジについて簡単な説明を。

堀込高樹と堀込泰行の兄弟によるバンドです。

以上です。

短すぎる?この曲を語るのに必要な情報はこれで十分です。『キリンジ』の魅力を語るのではなく、『メスとコスメ』という楽曲を語るのがこの記事の主旨ですから。

さて、詳細な説明及び音楽的な部分の解説は偉大な先人に任せるとして……

まずは『メスとコスメ』をお聴きいただきたいと思います。


「不二子もハニーも真っ蒼」というキャッチなワードがいきなり飛び込んでくる印象的な曲ですね。

私は普段、歌を聴いてもあまり歌詞が入ってこないタイプなのですが、この曲は違いました。このシニカルなフレーズに一気に引き込まれたのです。

『メスとコスメ』の詞は美容整形と華美な化粧により変貌を遂げた元恋人が突然に目の前に現れるというストーリーなのですが、出てくるワードがいちいち皮肉めいていて、女性が聴くと「なんだこの男」と反発されかねないほどに攻撃的なのですが、歌詞にもあるように最大限の揶揄を込めた物言いなんですよね。つまり作中に出てくる「僕」は確かに彼女を愛していたわけです。そのギャップがまた呆れるほどにアイロニックで……

歌詞が描くストーリーとその魅力

では、歌詞を順を追って見ていきましょう。

「不二子」と「ハニー」、これは言わずもがな、それぞれ『ルパン三世』に登場する峰不二子、『キューティーハニー』の如月ハニー、もといキューティーハニーですね(若い人に伝わるかどうかはさておき)。女性的な特徴をデフォルメして強調したふたりのキャラクターは、整形とメイクによって過剰なまでに誇張された女性性を皮肉るにはぴったりです。そして「君」の姿を想像するのにも一躍買っています。これを聴けば、所謂「ボン・キュッ・ボン」「ダイナマイトボディ」な女性の姿が貴方の目の前に現れるでしょう。また、キューティーハニーは人造人間という設定。これが次のフレーズに繋がっていきます。

「メスとコスメのサイボーグ」から始まるフレーズ。こちらもなかなかに毒を含んで攻撃的。この後に続く一連の言葉選びから、変貌を遂げた「君」に対してある種の嫌悪感を抱いているようにも感じられます。目の前の彼女は正に「見知らぬ女性(ヒト)」なわけです。曲中に美容整形や過剰なメイクを揶揄したワードはいくつか出てくるのですが、言葉選びがとにかく凄い。「鼻高々」はプロテーゼの挿入などの施術によって高くなった鼻梁を揶揄したものですが、同時に言葉通りの意味「得意げである様子」も含んでいるんですね。これほどまでに皮肉った言い方、一体どういう経験をすれば思いつくのでしょうか……。

サビで繰り返される「きれいだぜ」の言葉にはどこか傍観や諦観を感じます。しかし、私には単純にそれだけではないように感じられます。それはまた後ほど述べさせていただくことにして、次に参りましょう。

二回目のAメロですが、私の大好きなフレーズが続きます。「君のなりたいようになればいい」と思う「僕」は彼女を受け入れる素ぶりをします。恐らくはその場限りの……。そんな「僕」の内にあるものを察してか、はたまた続く言葉通りの意味によるものなのか、「君」はキスをすると力なく崩れ落ちます。この後のフレーズが素晴らしいのです。「かわらないね」とつぶやく彼女、その瞳は過ぎたあの日と同じ色をしているんですよ……。整形手術やメイクで飾り立てた女性であればカラーコンタクトレンズを着けていそうなものですが(人工虹彩移植手術というものもありますが、本来は眼病の治療目的で行われるもので、美容目的としては一般的ではないようです)、彼女の瞳は日本人の一般的な瞳の色と表現される「鳶色」なんです。瞳だけはあの頃と変わらないのです。彼女の呟いた「かわらないね」の言葉に別の意味を見てしまいますね。

そんな彼女に対して、変わらず「僕」は皮肉めいた言葉を連ねます。何よりも印象深いのは、鳶色の瞳に浮かんだ涙を枕詞に続けられる、「いつでも君のまぶたは、やさしく泣いたあとのように美しかった」というフレーズ。なんという皮肉でしょうか。これは元々の「君」が持っていた一重まぶたの比喩であると共に、前の姿の方が美しかったと暗に言っているわけです。そして「僕」は続けるのです。「君のなりたい”本当”になればいい」と……。

「君」の行動は「あてつけ」「未練」のおそらく両方なのでしょう。しかし彼らは「熱い紅茶も冷める距離」ほどに離れてしまっているのです。これは恋が冷めるという言葉をサブリミナル的に想起させ、また紅茶が冷めてしまうという言葉から、時間の経過も表しているわけですね。美容整形手術にはそれなりの時間を要するので(それが「君」のように全身に及ぶものであれば尚更)、文字通りに想像される時間とは異なるでしょう。「僕」は言葉の端々に「君」に対する未練を覗かせていました。例えば「君」が”変わった”と噂で聞いていたということ。わざわざ別れた恋人の噂なんて気にするものですか?そして”変わった”「君」を見て「僕」は戸惑っていました。彼女に応えるようにキスをしました。はては「面影を塗り替えに来たの?」だなんて。ただの皮肉に過ぎないのかもしれません。しかしながら私にはそれだけではないように感じられてなりません。「あてつけ」も「未練」も「僕」と「君」の二人に共通するものなんです。彼女が零した「かわらないね」の言葉は”私にもそう言ってほしい”という当て付けだったのでしょう。そんな心の距離、そして相手を想っていた時間を「熱い紅茶も冷める距離」と表現するのはあまりにも皮肉ですね。

そして「僕」は言うのです。

「やさしく泣いたあとのように美しかった」と。

二回目のAメロのフレーズのリプライズなわけですが、ここに違った意味を持たせています。この部分だけ切り取ることで、あの日を懐かしむと共に、今でも「かわらない」彼女を見ていることが分かってくるんですよね。それでも「僕」は求められている意味で「君」に応えることはしないんです。なぜなら”紅茶はもう冷めきってしまっている”から……。

何度も繰り返す「きれいだぜ」の言葉は、何だか自分に言い聞かせているように感じられます。そして「君のなりたいようになればいい」と「思う」だけだった「僕」は、最後に「君のありたいようにあればいい」と「祈る」のです。

歌としての魅力

歌詞からは皮肉も揶揄も当て付けも未練も「僕」と「君」の両方に向けられたものであると読み取れました。

しかしながら、歌となるとこれが少し変わってくるんですね。そして、この楽曲はより深みを増していきます。

改めてもう一度お聴きください。


『メスとコスメ』は作詞作曲、そしてメインボーカルも堀込兄弟の兄である堀込高樹氏によるものなのですが、彼の歌声は詞に負けないくらいにシニカルでセクシーです。彼の声によって、”皮肉と揶揄”、”あてつけと未練”とでせめぎ合っていた天秤は、前者の側にグッと傾くのです。ところが、サビの直前のフレーズで差し込まれるハモリには何か違うものを感じさせられるような……。

そしてサビで空気が変わるのです。堀込泰行氏によるユニゾンとハーモニーが入ります。彼の歌声は兄のそれよりもピュアでクリーンな印象です。さらにラストのサビの直前、「熱い紅茶」のフレーズにも泰行氏のコーラスが入ります。つまり、先にも述べた”皮肉と未練”を高樹氏が、”当て付けと未練”を泰行氏が表現していると読み取れるわけです。ユニゾンの部分は特に言葉の意味を訴えかけてくるように感じられて、情感をより一層強いものにします。また、「きれいだぜ」の前の「でも」はあえてコーラスを抑えているように聞こえます。この「でも」という言葉の含む意味はもう説明する必要もないでしょう。

最後に

曲全体が纏うアイロニックな空気と大人同士のセクシーで生々しいやりとりが、この曲の魅力と言えるでしょう。

もちろん、これは私の個人的な解釈に過ぎません。多様な解釈を楽しむのは、殊、文学的な詞を持つ楽曲の醍醐味でありましょう。つまり、貴方だけの『メスとコスメ』を楽しんでいただきたいのです。私が伝えたかったのは、『メスとコスメ』という楽曲は、一ファンにここまで書かせるほどの魅力があり、それだけの価値がある作品だということ。これにつきます。

これをきっかけにキリンジに興味を持っていただければ、これ程までに嬉しいことはありません。

キリンジのファンしかこの記事読んでない?

うるせー!知らねー!

キリンジの楽曲は、歌詞、オケ、歌、共にセクシーなものから情緒的なもの、ピュアで美しいものまで幅広くあります。(私は総合して大人の色気を感じる楽曲が好きです。)オススメは『Drifter』です。本来ならばこちらを先に紹介するべきと言えるほどの名曲です。『メスとコスメ』よりもずっと聴きやすいです。この曲も作詞作曲は堀込高樹氏ですが、歌唱は堀込泰行氏。『メスとコスメ』と書いた人が同じとは思えないほどにストレートな大人のラブソングです。泰行氏の歌声も相まって、非常に心打たれます。この二つの楽曲のギャップも併せて楽しんでいただけたらと思います。


では、また次回の気紛れ感想文でお会いしましょう。

お読みいただき、ありがとうございました。




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