見出し画像

<合気道雑感>弱くなったからできた合気道

 ——稽古中に水飲むな。
 ——稽古に冷暖房など笑止。
 なんていうのが、私が合気道をはじめた道場での、当時の〝常識〟でした。
 道場長が「地獄の〇〇道場」と呼ばれていた(これも、この時代の名残りです)本部師範の道場出身ということもあり、稽古も荒稽古の気風が残っています。ですから稽古生が新しく入ってきても、初段をとるまで残っているのは十人中、二人いるかいないかという状況でした。
 そんな厳しい稽古で私が段位をとれたのは「黒帯ほしい!」というだけのミーハーなものでした。が、ミーハー根性あなどれません。続けたことで、「合気道ってなんだろう?」といった本質を考えるようになりました。
 時代は流れ、稽古が柔らかいものになり、個人の体力にあわせて、といった空気も出来てきた頃、体に異変があらわれます。
 なんだか気持ち悪い疲れ方をする……。
 その時は知る由もなかったのですが、毒親環境でヤングケアラーでもあったことで、気付かぬまま長年のうちにストレスを積み重ねていました。介護という大きな負担がひとつ減ったところで、気持ちがやっと体にも向かうようになったのでしょう。うつ﹅﹅の身体症状が出始めていたのでした。
 やがてパニック障害とともに発症、稽古も無理となりました。
 しばらくは、生きてるだけで精一杯。完治しないまま強引に稽古に復帰した頃には、十五年の月日が経っていました。
 体力のピークはとっくに過ぎています。息を切らすと過呼吸を誘発しやすいということもわかりました。稽古を続けるためには、呼吸を乱さない、かつ無駄な力を使わない体の動かし方を早急に会得することが必要になります。
 必要は発明の母(ちょっと違う?)。これまで漫然と意識していただけのことから、必死で答えを求めるようになりました。
 体の負担を少しでも減らそうと、ずっと抱えていた膝の故障改善にとカイロプラクターのもとにも行きます。そこで新たに見つかったのは、
「ストレートネックです。あと背骨のS字カーブもないですね」
「え”……⁉︎」
「対策しないと腰痛持ち真っしぐらですよ」
「……はい」
 一、二度の施術ですませるつもりが、しばらく通うことになりました。
 このカイロプラクターについて良かったのは、施術だけでなく、細かなセルフストレッチの指導もあったことです。効果は思わぬところに表れてきました。
 首が弱く、ブリッジetc.で鍛えてみても苦手なままだった後方受け身、さらに高段者の細やかな動きに反応できるようになったことで、受け身全般が格段に上達しました。一般的に運動能力が落ちてくる年代に、です。
 どうやら骨格に合った筋力体操にくわえ、神経系を整えることによって、脳と体の連絡精度をあげた効果によるものらしいです。カイロプラクティックによって運動神経がよくなったという話がありますが、まさしくこれのことかと。
 稽古環境の後押しもありました。
 都心部に引っ越していたこともあり、道場のほとんどは冷暖房完備の貸しスペース。夏は着替えただけで汗が流れ落ち、冬は足先の感覚がなくなるほど寒かった道場から一転しました。
 快適に動けるというのは、体への負担が少ないということ——
 冷暖房のきいた〝やわな〟道場は、体が弱くても稽古ができる道場であったのです。
 これらの環境があったからこそ、病気をもったままでも「呼吸を乱さない、かつ無駄な力を使わない体の動かし方」を追求できたのだと思います。
 道場の後進の人たちが五段、六段位になっているのを知ると焦りました。私がブランクをつくっている間に、彼女、彼らは私よりずっと先にいっているのですから。
 しかし、病気という寄り道をしたことによって、気付けたことも多々あります。
 道場入会の案内に「男女年齢体力の有無問わず」と掲げながら、そういった方たちが入ってきやすい工夫を積極的にしている道場は、まだ少ないな……とか。
 個人的に、セクシャルマイノリティの方の入会をサポートしたことがありますが、私自身、充分なことができたとは、とても思えません。
 合気道はパニック障害やうつ﹅﹅の回復期の運動療法につかえるじゃないか? なんてことも考えたりします。 
 病気を抱えたがゆえの試行錯誤はまだ続くでしょう。答えを見つけられないかもしれませんが、他の方とは違った視点と立場から合気道を探求していきたいなと思っています。
 もっとも、稽古には主治医からやんわりドクターストップかかっている状態。
 さて、どれだけ出来ますでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?